「使い勝手」も含めてのもの全体が「作品」のはず #0009

#009 「バツ10個です」「転勤!」

>#0008 Iさん

> もしその「作品」にワープロ打ちの貼り紙なんかがあったら、
>「建築を理解する学生」は建築家でなく使用者をけなしてました。

ひえー。使用者かわいそう。それじゃ、利用客と建築家のイタバサミ?。

しかも、こういうのの矢面に立つのは、施主とかじゃなくて、「事務のおじさん」とか「受付のおねーさん」でしょう?。

結構、私、ヘンな建物に出会ったとき、こういう方達に「変わった建物ですね~。」とか聞きますが、たいてい返ってくるのは「苦笑」ですよ。「みなさん、そうおっしゃいます。」とか言いながら、目が「それでオレ達、ほんと困ってんだよね~...」って訴えてるような(こっちも苦笑)。

Hさんが言われていたように、こういう「使い勝手」も含めてのもの全体が「作品」のはずですよねぇ。

利用客にとって「使いにくい建物」で、事務のおじさんにとっては「やりにく職場」じゃぁ、一体誰を幸せにするのか、その建物は?。

建築は単純なイロとカタチのカッコよさだけの「作品」「造形物」じゃないはずですよ。

その中の「社会」とか「生活」をデザインするっていうのがホントなんじゃ?

 つくる人が「イロとカタチ」しか考えてないような、単なる「でっかい彫刻」みたいなケンチクは、やっぱりバツ10個で転勤! っすね。

そういえば、建築雑誌の写真って、どうして人が写ってないの?

オープンして人が入ってナンボでしょう?

「ホトケつくってタマシイ入れず」って感じがすごくするけど。

これもやっぱり「でっかい彫刻」現象を現しているような気がします。

「使い勝手」も含めてのもの全体が「作品」のはず

「使い勝手」も含めてのもの全体が「作品」のはずという言葉が気に入って、クリップしました。

デザインとは精神の具象 ~創意工夫と理念を色や形に表すにも書いているように、どんな建物も、作り手の思想の表れに他なりません。階段一つとっても、見た目の美しさだけを優先して、「滑りやすい」「手摺りが低く、子供が落下する危険性がある」「一段一段が高すぎて、高齢者が昇降するには苦労する」など、利用者のユーザビリティを完全に無視したデザインでは、社会の役に立つとは言い難いですね。

もちろん、意匠の全てが「社会の役に立つ」必要はないでしょうけど、車やシステムキッチンなど、工業製品を含む創作物の大半は、利用者の暮らしや安全に直結するものです。それが誰かに使われることを前提とした場合、見映えだけでは、到底、デザインの役に立たないわけですね。

利用者の安全性や使い勝手について、どこまで想像力を働かせることができるか。

それこそが、創作に文学的要素が求められる所以です。

階段にしろ、バスルームの間取りにしろ、人への想像力や社会的感性がなければ、真に有用な形は描き出せないんですね。

『使う人を幸福にする』という目的は、時に、自己主張よりも大きな意味を持ちます。

たとえ、自分の好みでなくても、万人の福祉の為に妥協は必要でしょう。

また、そうした妥協が見え隠れすることが、逆に、作り手の個性として生きるケースもあるのではないでしょうか。

自己実現とは、自分の好きなように作ることではなく、『社会の中の自我』を認識する過程でもあります。

自我が社会に役立って初めて、人はいっそう自己というものに自信を深めるのではないでしょうか。

「バツ10個です。」「転勤!」 #0009

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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