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建築とは少数がわかれば良いというものでもない #0010

2020 5/09
>建築設計の方々は、自分の手掛けた建物とは、完成後、どのように関わ
>りをもっていくのでしょうか?。自分が意図したコンセプトがちゃんと
>維持・発揮・実現されているかどうか、確かめに行ったりするのでしょ
>うか?。...これも「お忍び」で行くのと、「公式に(例えば定期的
>に)」行くのではずいぶん意味が違うと思いますが。
> 特に「建築家」として「私が設計した」と個人で名乗るからには、逆
>に、その後の建物の行く末に、モノスゴイ責任が伴うものだと思うんで
>すが。

『わからんようなコンセプトを組んだのが悪いのです』 #0010

 おそらく建築家によっても違うのでしょうし、物件によっても違うでしょう。

おおらかな住み方をしてくれた方がうれしい、と言う建築家もいますし、ある種の厳格さを住み手に求める建築家もいます(なんでそんなに傲慢になれるのか僕には良くわかりませんが...。)あるいは、住宅であれば、竣工後しばらくはなにかとフォローしてあげる必要がありますし、商業建築の場合は、改装であれなんであれやるのが当たり前ですから、ドライにもう自分の手を離れてしまったんだとあきらめざるを得ません。

でも、機能上不具合があるということと、コンセプトをわかる/わからないの話は、全然別の問題だと思います。もし、コンセプトを守ろうとしてその不具合が生じるとすれば、それはそのコンセプトに機能上の不具合があるということで(当たり前ですが)、要するにそのコンセプトは不適当だということです。不適当なコンセプトを守ろうとするのは馬鹿げている。実際に、そうまでしてコンセプトを守らないといけないような建築は、どっちにしてもたいした建築ではないのです。良い建築の一つの要件は、ある種の寛容さでしょう。

別の言い方をすれば、多少の不具合があってもここに張り紙をしたら台無しになっちゃうなと、使用者に思わせるだけの説得力のある空間を作るべきなのでしょ。無理解を嘆く前に、そこまで自分には出来なかったことを思い知るべきだと僕は思います。

基本的に、建築ってのは少数がわかればそれで良いってものではないでしょう。無理が通れば道理が引っ込むってのは、通るうちは良いですけど、長い目で見て建築家が自分で自分のの首を絞めることなのですから。

きれいごとを言っているように響くかも知れませんが、でもそういうもんだと僕は思います。

それから、建築写真ってのは、誰のためのもんですかね?

一般の人は建築写真なんて見ないんじゃないかと思うし、それなりにニーズに沿っているようにも思うのですが...

「基本的に、建築ってのは少数がわかればそれで良いってものではないでしょう」

これはどんな分野にも当てはまることですね。

日本の文化全般の欠点は、身内受けに凝り固まって、「世界に知らしめる」という態度に点です。

アニメでも、漫画でも、映画でも、「分かる奴にだけ分かればいい」「これが日本の持ち味。分かる奴だけが好きになればいい」という態度で、諸外国の制作者が世界を相手に切磋琢磨しているのとは随分考え方が異なります。

「世界中のファンに理解されるにはどうしたらいいか」という工夫より、「自分の表現を好きだと褒めてくれる人」の方が重要で、批判に弱いのも、作品の良し悪しと人格はまったく別問題という切り分けができないからかもしれません。

それはそれで小さなマーケットを開拓できるかもしれませんが、世界全体に広がっていくことはなく、最初から世界の頂点を目指して、切磋琢磨や試行錯誤を重ねている制作者とどんどん差異が生じてしまう点について、果たして「これが俺たちのやり方」と開き直っていいのでしょうか。

私は、どうもその点に、「文化全体よりも俺が大事」という、自己愛的なものを感じずにいられず、それは建築、絵画、文学、舞踊といった王道的な分野でも同様の主張が見られるような気がするんですね。その一方で、世界を目指す派は、とっとと海外に拠点を移して、日本の文化圏は一切顧みないという。

ところで、表現には二つの目的があり、一つは「自分を表現する」、もう一つは「大勢に伝える」という点にあります。

とりわけ、建築は、大勢が時代を超えて利用するものですから、「俺が、俺が」と、己が前面に出過ぎたものは、社会性において、著しくバランスを欠いた作品と言わざるを得ません。色形だけでなく、そこに住まう人や利用する人が高揚感や幸福感を得られないものは、巨額のスクラップと受け止められても仕方ないと思います。

そして、そうした批判が投げかけられた時に、「分かる奴だけ分かればいい」と開き直ってしまうのは、自己愛以外の何ものでもなく、時に存在そのものが害悪になってしまいます。

そう考えると、真に成熟した創作者は、自分を表現すると同時に、公益をもたらすものであり、その一番分かりやすい例がルネサンスの三大巨匠の絵画や建築物ではないでしょうか。『それ』を見る為に、世界中から、何百万、何千万という観光客がやって来る、町の住人がおらが村の建築物を誇りに思う、そうした『万民の幸福』があって初めて、創作物も、色形以上の意味を持つと思うのです。

『分かる人だけが分かればいい』という態度は、一見、超越したように見えますが、己という枠組みを乗り越えることはできず、成長もそこで止まってしまいます。

それでも身内に受けたらそれでいいと考えるか、精神的にも、技術的にも、己の枠組みを突き抜けて、万民に響くものを考えるかが、一つの分かれ道かもしれません。

『わからんようなコンセプトを組んだのが悪いのです』 #0010

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