Re:建築教育の責任 #0070 いちごのおうち

建築家の個性と公共性のバランス #0070

Re:建築教育の責任 #0070 いちごのおうち

#0070 Re: 建築教育の責任

>#0069 ぢゃいあんさん

>アメリカで建築専攻の学生をしています。

 海を越えての投稿、本当にありがとうございます。
 いやぁ、インターネットっぽいですねぇ。

>アメリカの田舎(特に高速道路沿い)は笑える建築の宝庫ですが、
>都市部は既存の町並を保護しようとする市民の力が強く、ばかけ
>んちくをつくるのは、ほぼ不可能といった感じです。

高速や街道沿いに「ヤンキー・タイプ」が集中するのは万国共通なのかもしれませんね。遠くからでも視認しやすい「看板」を兼ねた形態、ということでしょうか。日本だと、ラブホやパチンコ屋が主ですが、アメリカでもやはりモーテルとかですか?。

>少なくとも1ヵ月は敷地の周囲の環境の分析に使います。

素朴な疑問として、どういう観点で、どんな項目を調査したり、分析したりするのでしょうか。

単純にデザインをなじませるため、「見た目の景観」だけを調査するのではないとは思いますけど。地元の風土とか歴史とか、住民の気質とか、そういうものも対象になるのですか?。だとしたらすばらしい...いや、というよりも、本来、行うべき基本的な作業なのかもしれませんが。

ただ、日本の場合、なじませるべき周囲の環境自体が、大した価値を持っていない場合も多いと思うんですが。

#0057で○○さんが、

>むしろ、周りに写っている「小市民的」な低層ビルや電柱
>のほうが景観としては、ちょっとストレスに感じます。

..と言われているように、「大量生産の工業製品」的な規格品っぽいビルばっかりが、既に街並みを占領してしまっていますし。

日本の都市部では、街並みの統一感とか、伝統との脈絡とかが壊れきってしまっている場合がほとんどだと思います。そういう場合、「周囲から浮かない」ということはどういうことなのか?。「大量生産ビル」に自ら合わせるという「苦渋の選択」をしていくしかないのでしょうか。

多くの「アトリエ・タイプ」のばかけんちくは、この「苦渋の選択」に屈服するのをヨシとせずに、アクセントになるようなものを造って、「周囲とのなじみ」よりも、ツマらない街並みぶっ壊す道を選んだのではないか、とも思えます。

>学期末の作品講評会などでは、「周囲から浮く」というのが
>最大のけなし言葉として使われます。万一『いちごのおうち』
>のようなすごいのをデザインする学生がいたら、建築学部から
>叩出されかねないでしょう。

そこまでイキますか?。ちょっと怖い。

>そのような状況が、アメリカの都市にある個々の建築をつまら
>なくしている、と言えるのかも知れませんが、都市そのものの
>面白さや美しさには貢献していると思います。

う~ん、そのバランスが難しいですね。

先の話しのように、街並みとの「なじみ」を選ぶべきか、あえて「爆破」を選ぶべきかは、本当にその地域地域で全然事情が異なると思います。その事情を読みとるためにも、先の「周囲の環境の分析」が必要なのでしょうね。

思うに、この作業をせずに周囲の環境を読み違えて、本来、なじませるべき場所を「爆破」してしまうのが、「ムカつくばかけんちく」になってしまうのでしょう。「五重塔」のような。

逆に「爆破もOK」な場所でうまく爆発させてるやつは、「ヘンだけどまぁいいか」と笑って許せるばかけんちくになるのかもしれません。

>市民の無関心がばかけんちくを野放しにしていると言えるかも
>しれませんが、それ以上に、建築教育関係者の責任は大きいよ
>うに思われます。

実は、次号「ばかのなな」として既に取材をしたヤツは、まさにその「建築教育」の行われている専門学校です。「ガンダム系」の筆頭をぶっちぎりで独走するその姿には開いた口がふさがりません(笑)。

よって「ばかのなな」では、必然的に「建築教育ってなに?」という話しになるでしょう。

今週中にはUPしますので、ぜひその時にまた感想等をお願いします。

突き詰めれば、公共の芸術の難しさですね。

「大量生産ビル」に自ら合わせるという「苦渋の選択」をしていくしかないのでしょうか。という問いかけがそれを表しています。

周囲にあまりに配慮していたら建築家の個性は失われるし、逆に、建築家の個性重視で「いちごのおうち」みたいなものばかり作ってしまうと、公共性は失われてしまう。

古井さんの言葉を借りれば、「それが笑って許されるか、許されないか」。

バランスの難しさですね。

建築教育の責任と市民の無関心 #0069にも書いたように、建築学は、建築科や美術科の学生、技術者だけでなく、文化教育の一環として行われるべきだと思います。文化・技術の両面からです。

それが功を奏するか否かは、教える側の見識にかかっていて、知識や技術の新しさは次のレベルの話なんですよね。

日本では、文化教育というと、「感想文を書く」みたいな次元で語られることが多いですが、文化教育の本質は、歴史、美術、社会、科学など、様々な情報(知識)を統合して、一つの方向性を導き出す点にあり、絵だけ、文学だけ、分かっても、実際の役には立たないんですね。建築学にしても、経済、環境科学、物理学など、様々な分野の基礎知識が不可欠で、デザインだけでは役に立ちませんから。

文化教育を否定する人、価値を見出せない人は、絵画や音楽のレッスンと勘違いしているのかもしれませんが、実は文化ほど論理的思考(ある意味、科学性)が求められる学術もありません。

「きれいだなあ」「凄いなあ」だけでは、決して正解に辿り着けないのが、文化教育の難しさです。

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By Hoary投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

Re:建築教育の責任 #0070

シンガーソングライターの小椋佳は定年まで銀行員を勤め上げた。
人の心に触れる曲を作るには、人間社会との関わりが不可欠であることを知っていたからだ。
売れっ子でも、だんだん作品がつまらなくなるのは、内輪の世界に閉じてしまうから。
パートやボランティアや結婚生活等で人間社会の勉強を続けているアーティストは長続きする。

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海洋小説『曙光』MORGENROOD

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