アメリカ式「街の財産、でもある」#0071

町並みは公共の財産 ~都市設計は国家の長計 #0071

アメリカ式「街の財産、でもある」#0071

#0071 アメリカ式(建築は)街の財産、でもある

いつも楽しく貴ホームページを拝見させていただいております。

ぢゃいあんさんのメールにアメリカでは学生の建築デザインでも

>少なくとも1ヵ月は敷地の周囲の環境の分析に使います。
>「周囲から浮く」というのが最大のけなし言葉として使われます。

というのがありましたが、私もアメリカ(ロスアンジェルス近郊の住宅街)であの国の住民の住環境へのこだわりの一端を垣間みたことがございますので、報告いたします。

私が遊びに行ったのは日本人の作家夫婦のお宅でしたが、とにかくその周辺の住宅は建物といい、庭といい、実によく手入れされているのです。別に高級住宅街ではありませんでした。大概の建物は築5~60年といったところで、こじんまりとした小さな家がほとんどです。「すごくきれいな町並みですね」と私が感想を言ったところ、ご夫妻は「手入れを怠ることは許されない」のだとおっしゃいました。住民がどんなライフ・スタイルを選択してもそれは自由、職業も宗教も誰もなにも言わない。でも、家のペンキがはげていたり、庭の芝生が伸びほうだいだったりすると、周囲からは苦情が殺到する、とのこと。また、いかに公共の土地にある樹木でも(時には私有地のものまで)住民の承諾なしには伐採することが許されないのだそうです。彼らはひとりひとりに「町並みは私達の財産」という意識がすごいです。恐いくらいに徹底しています。

どこかのプレハブ住宅のコマーシャルに「街の財産、でもある」というのがありましたね。ああいうのが街の財産とは「いくら宣伝でもあんまりだ」と思いますが、基本的には各個人がそのくらいの公共意識を持たないと、美しい町並みは護られたり作られたりしないのでしょう。最もその個人の意識が現在問題なのでしょうが。

私は現代美術の画廊で仕事をしている関係で、パブリックアートのあり方についていろいろ考えさせられることが多いです。「ばかけんちく」ならぬ「ばかアート」っていのもありますから。「ヤンキータイプ」も「アトリエタイプ」もちゃんとあるんですよね、これが。このばかけんちく談話室で交わされる会話の中で「市民のまっとうな感覚」と「建築専門家の意見」が、時に微妙にずれるのも何か身につまされることもあります。ばかけんちく探偵団がついに現代美術の作家まで対象とするらしいので(養老の例のあれ)どきどきしながら成りゆきを見守っています。

あ、そうそう、そのアメリカの個人住宅の興味深いことのひとつに「古くてよく手入れされている家ほど高く売れる」ということでした。日本とは随分違いますね。

欧州にも、そうしたエリアがあります。『オールドタウン』『セントラム』と呼ばれる、旧市街です。
こうした地域では、有名なスーパーマーケットやファストフード店でも勝手な装飾は許されません。
マクドナルドの象徴である『M』の巨大オブジェもなく、ひっそりと町並みに溶け込んでいます。

トピ主さんの

「市民のまっとうな感覚」と「建築専門家の意見」が、時に微妙にずれるのも何か身につまされることもあります。

というお言葉が有り難い。

建築に限らず、音楽でも、絵画でも、専門家と一般人の間に横たわっている深い河はこれですね。

ちなみに、スレッドには、実名・住所・電話番号が記載されていました。

そういう時代だったのです。ほんの20年前まで。

ところで。

海外の美しい町並みにあって、日本の町並みに決定的に欠いているもの。

それは百年、二百年の先を見越した、『都市設計』だと思います。

その昔、平安京が開かれた時には、千年の治世を考慮して、独特の碁盤の目の町並みになりましたが、現在は、外国人観光客に併せて、『京都』という名のテーマパークと化しています。 
参照 →建築教育の責任と市民の無関心 #0069

今の京都を見れば、市民はともかく、観光行政や治世を預かる人が、京都という町をどう思っているか、よく分かります。

モダンなデザインやサービスは取り入れつつも、昔ながらの町並みを頑なに守っているクラクフやプラハに比べたら、京都は節操なしみたい。

隣国はともかく、遠くから来る外国人観光客は、「お座敷」とか「禅の庭」とか「いろり」とか「藁葺き屋根」とか、そういうものを期待して日本に来るのに、メインストリートにあるものといえば、ギンギラギンのドラッグストアに電化ストア、その辺の100円均一ショップで買えるような、安っぽいアクセサリーの店とか、犬猫と遊べる店とか、日本の伝統文化とはまったくかけ離れたものばかり。

みな、「日本をどう思いますか?」と聞かれたら、お愛想で「いい所ですね」と答えるけども、腹の中ではゲンナリしている人も多いと思いますよ。

日本の食文化は世界一と胸を張ったところで、諸外国の国際観光地みたいに、気軽に腰掛けられるオープンカフェもなければ、明け方まで飲み食いできるお洒落なバーも無い、スタンドでタコ焼きや抹茶アイスクリームを購入しても、ゆっくり座って食べられる場所もなく(ベンチもゴミ箱も撤去)、観光客が路傍に座り込んで、浮浪児みたいに飲み食いしている姿を目にしたら、幻滅しますから。もっとも、外国人観光客のあまりの行儀の悪さに、ベンチもゴミ箱も撤去したのでしょうが、その為に、かえってイメージダウンしている部分もあって、昔ながらの京都民としては本当に複雑な気持ちです。

だからこそ、千年の治世を意識した都市設計が重要で、住宅や商業施設のデザインはもちろん、交通を主とするインフラの在り方や観光行政も含まれます。

見世物小屋の興業みたいに、「今日はコレが流行ったから、明日はコレ」みたいな、行き当たりばったりの対応では、(言っちゃ悪いが)不様な雑貨店や看板の乱立、観光客の無法化、地主とテナントだけが得する経済構造などを加速するだけで、しまいに抑制が利かなくなってしまいます。

ウケりゃいい、売れればいいの考えでは、とてもじゃないけど、歴史や文化を謳い文句にした観光都市の発展は望めないし、地元民の生活を圧迫するばかりで、誰をも幸せにしません。地価・家賃の高騰や高齢化に拍車がかかれば、若い地元民が逃げ出して、ますます税収は減る一方だし、その穴埋めに、観光客ファーストの傾向がいっそう強まるとしたら、これはもう救いようのない悪循環でしょう。

歴史教育の本質は、長いスパンで社会の方向性を考えることであり、文化の目指すところは、美しいものや楽しいものを作ることではなく、その価値を理解する点にあります。

そして、都市設計は、それらの集大成であり、「令和10年までに駅前のショッピングセンターをリニューアルする」みたいな話とは次元が違うんですね。

日本で都市設計がなおざりにされる最大の理由は、「都市設計のできる専門家がいない」というより、行政を司る側にその重要性を理解する知識とセンスが欠けている点にあると思います。実際、建築家先生の書物など読んでいると、しっかりした考えの方はたくさんいらっしゃるんですね。しかしながら、建築や都市開発に携わる行政の側に、それを理解する能力が無いから、まったく門外のタレントや文化人を呼び寄せて、浅はかなものを作ったり、大事な文化財を取り壊したりして、地域に深刻なダメージを与えてしまうんですね。

それもこれも近代教育の賜であり、今から修正したとしても、功を奏するまで、二十年か三十年はかかると思います。

そして、それまでに、もっと多くのものが失われ、はたと気付けば、『○○ファミリーランド』の看板だけが立っている、寂れた田舎町になってしまうのではないかと本気で危惧します。

建築も、都市設計も、理解のある施主=指導者層にセンスと知識がなければ、専門家がいくら頑張っても、『○○ファミリーランド』になっちゃうんですよね・・

「市民のまっとうな感覚」と「建築専門家の意見」が、時に微妙にずれるのも何か身につまされることもあります #0071

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