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正解を追い求めるプロセスこそが創作 #0072

#0072 パブリックアートはばかですか?

こんにちは。初めて投稿させていただきます。

いろんな「ばかけんちく」に対する意見が飛び交っていて、なかなか楽しいですね。ただ、どの意見も「あれはばかですね。」「そうですね、本当にばかですね。」というばかりで、それらに真っ向対立する意見というものがみられなく、議論が一方向しか向いていないように思えます。変わった建築が好きな人の、擁護意見というものは無いのでしょうか。現状の意見交換には、なんとなく食傷気味です。(本来なら、自分で対立意見を用意するべきなのでしょうが、今回は別の話をしたいので、また別の機会にします。)

さて、ここからがタイトルに沿った本題となります。
 
私は建築系の大学院でデザイン学の勉強などをしている者であります。最近、研究のテーマとして「パブリックアート」というものを取り上げる事になりました。

「パブリックアート」という言葉を皆さんご存じでしょうか。パブリックアートといって横文字にすると、なんだかとてもオシャレなもののように思えますが、実際のところ、その辺の広場や歩道などになにげなく(または仰々しく)設置されている環境彫刻のことを指します。渋谷のハチ公や上野の西郷さんなどもそうです。青山の国連大学前の「ミニ太陽の塔」みたいなやつもそうです。

バブル景気以降、大規模な都市再開発とともに、パブリックアートと称して街中に様々なアートが設置されるようになり、一般の人がそれらを目にする機会が増えてきたように思えます。しかしそれらの中にはあまり好ましくない作品も多く見受けられます。「ばかけんちく」ならぬ「ばかアート」と呼ぶべきものかもしれません。(例えば「ばかけんちく」の都市博の回で、のこぎりアートの事について「原色バリバリで幼稚である」といった意見が述べられていましたが、昨今のパブリックアートの設置事業の多くがあのようなものであるのではないかと思います。)

立川市の再開発の「ファーレ立川」や、新宿副都心の超高層ビル計画の「新宿アイランド」等は共に都市機能やビルの景観とアートとを密接に結びつけたプロジェクトとして話題になったものです。真っ赤な原色で"LOVE"という文字を表現したオブジェや、地面からにょきにょきと生えているモンドリアン風の色彩の彫刻などは、ばかけんちくに負けず劣らずの強烈なインパクトを持っています。

私個人の意見としては、新宿アイランドのアートについては、あのような都市空間の中においてはけっこうマッチしているのではないかと思います。人間的でない空間に非人間的なアートを配置することは、ある意味で周囲に調和しているのかもしれません。

こういった「公共空間」に設置されるアートというものは、周辺の環境を考えねばならない建築のデザインと同様に、周囲との調和のしかたが大きなポイントとなってくるものです。一体どの様にすれば、調和というものが得られるのでしょうか。それは数値的に置き換えて判断できるものなのでしょうか。または「良い」とか「悪い」とかの主観的な感情に委ねられるものなのでしょうか。

環境というものについていろいろと意見を持っておられる皆さんが、ばかっぽい(?)アートについてどの様に考えているか、とても興味のあるところです。

以上の話は、ばかけんちくの本題とは少しズレがある内容かもしれませんが、環境を考える上で、ばかけんちくについて考えることと同じように、とても重要な要素であると思います。

いろんな方の意見を聞いてみたいと思っています。

初めて匿名掲示板を目にした時の興奮は今も忘れられません。
それまで専門誌や新聞紙、TV番組など、権威の世界でしか語られなかった業界の実情が、匿名の生々しい意見や体験談を通して、明らかになっていったからです。

早い話、我々庶民には物を言う権利もなく、地中深く掘った穴に顔を突っ込んで「王様の耳はロバの耳」とつぶやく以外なかったのですが、匿名掲示板の登場によって、ついに「王様の耳はロバの耳」と大声で言えるようになり、地中深くに埋もれていた、「やっぱ、そうですよね!」「私もおかしいと思っていました」という庶民の声が一斉に解き放たれたからです。

はっきり言って、かしこまった専門家の論評より勢いがあって、面白い。

意見も、提案も等身大で、誰にも忖度などしません。

そんな生のままの書き込みがそこら中に溢れていたのが、ネット黎明期の匿名掲示板の面白さだと思います。

そんな中、大学院生さんの疑問と質問は、まさに学術の世界です。

本来、学問とは、誰かが一方的に教え、誰かが一方的に学ぶものではなく、皆で意見を出し合って、磨きをかけるもの。

既に目の前に正解があったとしても、新たな答えを求めて、知的にクエストする遊びでもあります。

学びの本質は、知識が10倍に増えることではなく、それまで一方向しかなかった思考に、新たな物の見方や解釈が加わる点にあるんですね。

そう考えると、いろんな立場、いろんな考えの人が、自由に、また対等に、意見を交わせる匿名掲示板は、もっと多様な可能性に満ちていたように思います。

ところが、多くの人は理性よりも感情がまさってしまい、どうしても最後は言論プロレスになってしまう。

「何が正しいか」より、「誰が正しいか」に論点が移ってしまうからでしょう。

議論というのは、審判ではなく、公聴の場です。

だけども、そこにジャッジが持ち込まれたら、たちまちマウンティングの世界になってしまいます。

それはもはや知の殿堂ではなく、サルのポジション争いです。

果たしてお猿の大将に人間の学問の継承が務まるのでしょうか。

大学院生さんの、一体どの様にすれば、調和というものが得られるのでしょうか。それは数値的に置き換えて判断できるものなのでしょうか。または「良い」とか「悪い」とかの主観的な感情に委ねられるものなのでしょうか。という問いかけはいいですね。

「正しい芸術」「正しいデザイン」なんて、この世には存在しないし、誰かが好ましく感じたら、それと同じくらい、不快に感じる人もあるもの。

だからといって、「こんな抽象的なことを考えても仕方ない」という結論にはならず、正解のない問いかけだからこそ、私たちは必死に考えなければなりません。

何故なら、正解を追い求めるプロセスこそが、創作だからです。

パブリックアートとは何か #0072

匿名文化を守る自由の女神 パブリックアートはばかですか?

Dragon Ashはほとんど聴いたことがないですが、この局は好きでした。

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