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パブリックアートについて ~必然性を提示すべき #0079

#0079 パブリックアートのこと

先日、アメリカの町並みのことでばかけんちく談話室におじゃましましたものですが、その時ちょろっとパブリックアートについて書いたらば、偶然にも同時にそのことを話題にしておられた方がいらっしゃったのには驚きました。同じこと言ってたりしたのにも。

そう、パブリックアートが実に多くの問題をはらんでいる様は、現代建築と五十歩百歩の五里霧中というところでしょうか。「彫刻公害」なんていう言葉まであるくらいですから。
 
「何でここにこれがある必要が?」と思わず絶句する作品も多く、また私はすばらしいと感じましたが(写真でみて)住民には不評で撤去された作品もあります。(リチャード・セラの鉄の壁のような作品がそれ。理由は「邪魔だから」。)

作品である以上個々人の好き嫌いという問題はどこまでもつきまとうのですが、やはりその置かれる場所に対して、パブリックアートは何らかの必然性を提示しなければならないかもしれません。たとえば「この場所が美しくなる」という漠然としたことですら、あまり考えられてはいない例が多すぎるのではないでしょうか。

それと、建築家やデザイナーがアートもどきを作ってしまうという暴挙がまかり通っている現実も問題でしょう。いくら建物を作るのが仕事とはいえ、建築家のつくるアートもどきは、実に5階の上に6階を、じゃなかった誤解の上に曲解を重ねた、「それって誰かの作品のコピー? しかも出来の悪い」という風になってしまうことが多いのです。とほほです。

イタリアには大学で建築を学んだ服飾デザイナーもいるし、世界中に建築出身の美術家がいます。けれど彼らは今現在は建築家ではありません。デザインとアートは違う。これは断じて優劣の違いではありません。優れた建築家は優れたアーティストと組みますもの。

建築家でつい過剰な意匠から飛び出して、アートもどきまで手掛けてしまう方には、そこんとこよろしく!って言っちゃいます。どこ、とは決して申しませんが、某美術館はそんな暴走した建築家がアートを建物の内外でいたぶっています。

私どもの画廊のホームページで、ちょっとだけパブリックアートの事を書いてみました。そこで紹介しているのはいわゆる野外彫刻で、街のど真ん中にあるようなものとはちょっと違うのですが、ヨーロッパで試みられている自然保護をからめたプロジェクトで私には大変興味深く感じたものです。そこに作品の置かれる必然性ということが、こういう方向から検討されることも出来るのだという一例として紹介しました。ホームページの宣伝みたいになってしまってなんですが、興味のある方には読んでいただきたいです。

「野外彫刻の置かれる意味 森の時を刻む―土屋公雄の作品世界」というページです。
そのページのURLは ○○ (2019年:存在せず)

ただ、建築というのは個人や企業などの私的な所有地に建てられることも多いので「こんなばか」といくら叫んでも、行政はなかなか動くことができないことが多いのではないでしょうか。その点、パブリックアートというくらいだから公共の場所に設置されることがほとんどで、「市民の声」はまだしも届きやすいかもしれません。あまりに「NO!」と言うことがなかったのでしょうね、私達は。そろそろ重い腰をあげる時かもしれませんし、「風思庵」はまさにそんな気運の発信地のような気がします。

作品である以上個々人の好き嫌いという問題はどこまでもつきまとうのですが、やはりその置かれる場所に対して、パブリックアートは何らかの必然性を提示しなければならないかもしれません
というのは、重い言葉です。

昔から、必然性のないものが、「知名度が高い」「話題性がある」というだけで、その場に置かれることはよくあります。建築やオブジェに限らず、観光地の土産物やアトラクションもそうですね。何の必然性もないモノやヒトが、表面的な繋がりだけで重宝され、いつの間にか庶民の感覚にも大きな影響を及ぼすようになっています。

忍者のように既にキャラクターとして成立しているものなら理解できますが、史実に無理矢理こじつけたような土産物やモニュメントを見ると、「売れれば何でもいいのか」という気持ちになることがあります。

施設の維持にお金がかかるのは理解できますが、あまりにも本質とかけ離れたものをこしらえると、遠くから観光に来た人をガッカリさせるばかりでなく、地元住民や自治体の知性やセンスまで疑われて、あまり賢明とは言えません。

いくら見た目やコンセプトが面白いからといって、そこにある必然性を欠けば、商業主義の醜怪なシンボルとして、後々までたたられることになります。

ところで、デザインとアートの違いは何でしょうか。

建築に限っていえば、デザインとは、利用者の安全性や快適生も考慮した全人的思想の結晶であり、アートとは種類の異なるものだと受け止めています。

たとえば、十階層に及ぶ螺旋階段も、鏡みたいにピカピカの床も、アートとしては面白いですが、デザインとしてはどうでしょう。

目の前にピンク色の建物がたって、皆がハッピーな気持ちになるでしょうか。

十階層に及ぶ螺旋階段も、体力自慢の人なら楽しいですが、身体障害者や高齢者にとっては危険な設備になりかねません。

鏡みたいにピカピカの床もオフィスなら映えますが、幼稚園や保育園なら子供が転んで大怪我をするかもしれません。

『絵』としては美しくても、実用には向かない色形もたくさんあり、それがデザインとアートの大きな違いだと思います。

デザインとは精神の具象 ~創意工夫と理念を色や形に表すにも書いているように、アートを表現とするなら、デザインは社会性や機能性も織り込んだ、『構築』に近い作業かもしれませんね。

パブリックアートについて #0079

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『ばかけんちく談話室』は、1995-2007年にかけて古井亮太氏が運営されていた『ばかけんちく探偵団』に設置されていた掲示板です。 詳細は「ばかけんちく談話室について」をお読みください。
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