ばかにもいろいろ #0088

『作品』と『商品』は違う ~商業化には社会的責任が伴う #0088

ばかにもいろいろ #0088

#0088 ばかにもいろいろ

お久しぶりです。No.40のものです。名前が長くてご迷惑をおかけしているようなので、短くしました。

ところで、変な住宅についてみなさん意見をお聞かせ願いたい。

建築雑誌を見ていると、ときどき変な外観の住宅に出くわします。確かに個性的で、住宅メーカーのとたいして変わんないんじゃない?っていうのよりマシですし、建築家に頼んだ甲斐があったというもんだって感じでいいのかもしれないんですが、問題はそれが果たして施主の希望でそうなったのかどうかです。確かにその建築家の作品を見て設計を依頼されたのでしょうから、多少はそういった期待も含みながらのこととは思います。

しかし、そういう人に限って、芸術家気取りで、施主が意見を言い難い雰囲気で打ち合わせを進め、ほとんど建築家のエゴで完成したのではと、気になってしまいます。そのエゴのために当初の予算をかなりオーバーさせることもあります。ある設備機器系会社の情報誌に「予算がオーバーするのは世の建築家の常で・・・」とあったのですが、予算を管理するのも建築家の仕事ではないのでしょうか?晩御飯のおかずを買うのとは訳が違って、ほとんどの施主は数千万の借金をして(ローンを組んで)建てるわけですから。

たとえば3500万円の予算で設計をはじめて、それに対する設計料で設計契約をしたとします。
そして、第一回見積もりで5000万円になって、「差額の設計料はボランティアです」と言われたらあなたならどうしますか? さらにその額には「○○は別途」というのがいっぱいあったとしたら、、、

そのエゴが外観だけでなく、インテリアにまで及んでいるとしたら、

たとえば子供が独立した初老の夫婦がマンションをリフォームするとします。予算は結構あります。その設計で、床材を(かっこいい?)大理石にし、(高そうな)銘木で造作をつくり、ただでさえ狭い浴室に(巨大な)ジャグジーのジェットバスを入れ、そのくせ、洗い場は90cm四方程度、トイレもそこに置かれ、そちらも90cm四方程度、そして50cmくらい段差をつけた和室にクソ重い床下収納のフタ…etc…..。 (あくまでたとえばですよ)といった設計をみなさんはどう思われますか?

「ばかけんちくたんてい団」ではほとんど公共建築のばかですが、あれは「ばか」な人たちが「ばか」な人たちと話し合ってお金だして(それは税金かもしれないけど)できているから「ばか」な人たちが満足してわれわれは「ああ、またあんなばかして、」といっていますが、住宅の場合、施主一人がいっぱいお金だしてるわけですから、本当に施主が満足できるものを作らなければならないのでは、と思うのですが?

『作品』と『商品』は違う

『作品』と『商品』は似て非なるものです。

基本、作り手は、どんな作品を作ってもいいですが、『商品』として売り出されたら、たとえ1枚500円のイラストでも、社会的責任が伴います。

おそらく、建築に対する批評が厳しくなるのは、そこに莫大な資金が投入されるのと(公私によらず)、ひと度、建ってしまえば、近隣住民の暮らし、しいては国全体の利益やイメージまで多大な影響を及ぼすからでしょう。

建築家が白いキャンパスにどんな建物を描こうと、どんなものでも『作品』として尊重されるべきですが、現実に建設するとなると、まったく無関係な住民の暮らしに直結するのですから、「創作の自由」で済まされないのは当たり前です。自宅の向かいに、高さ10メートルを超える巨大観音像が建立されたら、誰でも心穏やかではいられないように。

その上に、建設費の出所が国民の血税とあっては、黙って見過ごすわけにはいきません。

まして、裏でゴニョゴニョあったとしたら、非難されるのは当然です。

そういう意味で、「建築家」が「わたしは芸術家。デザインのことしか分からない。それ以外は、自分の関知するところではない」というのは通用しないでしょう。

何故なら、誰かが代金を支払って建設されたものは『商品』でもあるからです。

恐らく、一般市民が違和感を抱くのは、都合のいい時だけ「芸術家」で、後のことは業者のせい、施主である自治体のせい、そこまで責任とれないで逃げまくる姿勢でしょう。

中には、熱心に頼まれて、施主の希望通りのものを作っただけなのに、なんで自分がこんなに非難されねばならないのか、自治体と業者の金のやり取りまで、オレは知らん……というケースもあると思います。

が、建設(費)の規模によっては、それが地元民、しいては国に、甚大な影響を与えることは明白ですから、「オレは知らない」で済まされないことも多々あると思うんですね。まして建設費を負担するのが住民一人一人の税金となれば、尚更です。建築家先生、自分の評価さえ上がればそれでいいのかと、言いたくなるのが当然です。

建築に限らず、絵画でも、音楽でも、作り手は、自分の『作品』が大事で、最初から 「商品」として考える人は少数派と思います。

たとえ商業化を意識しても、世に出す時は「芸術」の看板を掲げる人が大半でしょう。

しかし、どんな作品も、商業化された時点で『商品』に違いなく、作り手がどれほど芸術性を主張しても、そこに商業的価値=金銭のやり取りが発生する限り、社会に対して、知らぬ存ぜぬは通用しないと思うんですね。

この掲示板で「ばかけんちく」と称されるものも、突き詰めれば、社会批判であり、庶民のまっとうな感情です。

作り手は、その商品=建築に対して、本当に社会的責任を果たす気があるのか、と。

もちろん、作り手も人間ですから、間違いもあります。

パースの段階では、すごくお洒落だったのに、作ってみたら、見た目も居心地も”痛い建築”になってしまう例もあるでしょう。

だとしても、作り手に「オレは芸術家。その他のことは知らない」というのと、社会的責任を果たす覚悟があるのでは、住民の受け止め方も大きく違ってくると思うんですね。

ばかにもいろいろ #0088

『ばかけんちく談話室』は、1995-2007年にかけて、古井亮太氏が運営されていた『ばかけんちく探偵団』に設置されていた掲示板です。詳細は「ばかけんちく談話室について」をお読みください。
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