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「かわいそう」と「傷ついた」が問題の解決を困難にする #0095

#0095 Re:「ばか」にたいする考え方

○○さん、はじめまして。

>「ばか」とは、いたいどうゆうことなのでしょうか、
>何を基準としてるのでしょうか。みなさんはどうも自分自身または、
>一般的な価値観(常識)で理解できないものを頭ごなしに否定して
>「ばか」と称している、つまり単にバカにしているように感じました。

そうですか。「単にバカにしている」と思われてしまうというはちょっと悲しいですが。僕らの力不足ですね。

「ばか」という言葉を、文字どおりの「ばか」としては使っていないつもりなのは、探偵団のホームでも説明していますが、微妙なニュアンスですから、上手く伝わらないのかも知れませんね。

○○さんは、関西の方のようですね。関西の方は、「あほ」とツッコまれると笑って返せるけど、「ばか」と言われるとムッと来る、という話しをよく聞きますが。

#0044でも▲▲さんが、
 
 >「ばか」といってけなすよりも「アホやな~」といって
 >好意的に笑えるものがいいですよね。

と言われていますが、人によっては「ばか」は、ちょっとキツめに響くのかな?。

 「ばかけんちく探偵団」の「ばか」のニュアンスは、「あほ」に近い感覚、のつもりです。突き放しながらも、何となく「愛」を込めてるつもりなんですが(笑)。

建築家がああいうものを作ってしまう感覚というのは、シロウトながらなんとなくわかります。私だって、ある敷地に「何を作ってもいい」と言われたら、人の言うことなんか無視してやりたいことやってみよう、とチラっと思うでしょう。思わないはずがない。

ただ、ここで本当にやりたいことをやってしまう人もいれば、不本意ながらフツーな形に甘んじてる人もいる、また、その辺のバランスをうま~く取ってカッコいいもの作ってる人もいる、というところが問題でもあり、面白くもあるわけです。

こういう「建築家の表現者としての葛藤」とか「自分らの街の風景に無関心なみんな」とか「大御所を無条件に認める風潮」とか「アートやデザインっていう言葉に弱い僕ら」とかをみんなひっくるめて、「何かヘタだなぁ~、ばかだなぁ~、もっとウマくやる方法はないのかなぁ?。どう思う?。」という感じで、「ばかけんちく探偵団」をつくってるつもりです。

本当に、「理解できないものを頭ごなしに否定」するつもりなら、こんなページ、やりませんよ。やってもツマらないでしょうし。ただ逆に、「カタいこと言わずに、笑って許そうよ」だけでも、街もタテモノも良くならないし、このページをやる意味もないのです。

>自分または、ひととは違う価値観を持つ人の物のとらえかたは、
>面白いじゃないですか。世の中少しくらい「ばか」がいても
>いいじゃないですか。

その通りです。僕らも「ばかけんちく」の存在自体を否定しているわけではないんですよ。
何人かの方からは、「よくぞ言ってくれた。ただ、「愛すべきばかけんちく」というのは分からない。こういうものには怒りしか感じない。」というようなメールも頂いてます。一号さんと全く逆ですね。
僕らは「怒り」だけじゃなくて、「笑い」「悲しみ」「あきらめ」「希望」みたいないろんなものを「ばかけんちく」に読みとりたいと思うから、わざわざページなんかやってるわけです。

なぁんてことは、本当は言葉にして言いたくはないんですが。ページの中で匂わせながら伝えなきゃね。力不足でごめんなさい。

批評が批評として機能しない社会:「かわいそうだから」「がんばってるから」で許されていいのか

「カタいこと言わずに、笑って許そうよ」だけでも、街もタテモノも良くならないし、このページをやる意味もないのです。

日本人の特色として、「物事を批判されると、全人格を否定されたような気分になる」という、過剰反応があります。

たとえば、自分の描いたイラストに対し、誰かが「この娘の髪の色、もう少し赤みを帯びた方が、活発な印象をアピールできるんじゃない?」と言ったとします。

すると、イラストを描いた方は、「バカにされた」と全人格を否定されたような気分になって、怒ったり、恨んだりするんですよね。

感想を述べた方は、決してイラストを描いた本人までバカにしてるわけじゃない。

活発な女の子を描くのに、地味な茶色髪よりも、『リトルマーメイド』のアリエルみたいに、もう少しヴィヴィッドな赤毛にした方が闊達な印象が伝わりやすいんじゃない? と言ってるだけなのに、「バカにされた、傷ついた」で、これまで積み上げた自分の全てを否定されたように受け止めるんですね。

これでは、誰も、何も言えなくなるし、描いた本人も永久に気付かぬままです。

表現力不足のまま、売れない女の子の絵を描き続けて、苦しむのは本人なのに、感情だけで批評を遮ってしまうと、修正の機会も、成長の芽もなくして、同じ地べたをぐるぐる這い回ることになります。

もちろん、心ない言い方をする人もありますが、「批評は批評、人格は人格」と分けて考えないと、問題は永久に解決しないし、進歩もありません。

人間も、社会も、優しいだけでは何も変えられず、だからこそ、幼い時から、「意見を言う」「意見を聞く」という訓練が何よりも大切なのです。

管理人の古井さんが、『ばかけんちく探偵団』を運営されていた時も、水面下では、厳しい意見もたくさんあったと思います。

『ばか』という言葉だけに反応し、「けしからん」と怒り出すのは、今も昔も同じです。

しかし、コンテンツの隅から隅まで眺めていれば、決してバカにするだけではなく、「どうしたら、いろんな人に建築に興味を持ってもらえるか」「そもそも建築とは何なのか」「専門家はどんな風に自分たちの業界を考えているのか」「素人の意見は無駄なのか」、等々、おふざけ調子の中にも、随所に深い考察がちりばめられているんですね。

それは掲示板の参加者も同じです。

少なくとも、専門家が素人に、また素人から専門家に、あからさまにバカにするような書き込みは見たことがありません。

どちらかといえば、専門家の方が一歩ひいて、素人の率直かつ、ちょっとズレた発言を大人の余裕で受け止める感じでした。

だから、素人の古井さんが、その道の偉い先生と同行して、ばか建築について語り合うような企画も成立したのだと思います。

そして、ますますネットが身近なものになり、誰でも、いつでも、手軽に発信できるようになった今、以前に増して罵詈雑言が飛び交うようになった背景もあり、ますます『批評』に対して耳を塞ぐ傾向が強まっています。耳を塞ぐだけならまだしも、昨今は、「素人は黙れ」と恫喝して、口封じにかかっています。相手が怯えて、口を閉ざしてしまうことが狙いなのでしょう。まるでやってることがテロリズムです。

最近でも、感染症対策に対して、「こうじゃないか」と反対の意見が出れば、「役所の担当も一所懸命やってる」「頑張ってる人間をバカにするのか」みたいな論調で、封じ込めに走る人も方々で見受けられました。

確かにそうかもしれないけれど、方策の誤りを指摘することと、人格否定は、まったく別問題です。

一所懸命やってる事は理解しつつも、方策として、それは間違いではないかと疑問を投げかけ、別の方法を提案することが、何故、相手を蔑むことになるのでしょうか。

そんなことを言い出せば、医師が手術に失敗して、患者が死んでも、「一所懸命やってるんだから、いいじゃないか」「頑張ってる医者をバカにするのか」という話になってしまいますよね。

真剣に治療にあたっても、Aという錠剤を使うより、Bという点滴の方が効果が上がることもあります。

その時、「Aの錠剤が効いてないのではないか。Bを試してはどうか」と提案することが、なぜ、医師自身を否定することに繋がるのでしょうか。

「こんなに一所懸命やってるのに、オレのやり方を否定するのか」と逆ギレされては、肝心な治療も一向に進まず、患者さんも死んでしまいますよね。

本当に怖いのは、そこに明らかな間違いがあるのに、「一所懸命だから」「批判したら可哀想だから」という理由で、耳を塞ぎ、目を閉じ、それを指摘する人間の口も封じてしまうことです。

医療に限らず、建築でも、教育でも、政治でも、「かわいそう」という同情が問題点をボカすようになれば、結局、皆が不利益を被って、腐った水の中でパクパクしながら息絶えてしまうんですね。

こと、日本社会において、批評を人格否定に直結するのは、根本的に自己肯定感が低いからだと思います。

物心ついた時から、親や教師にけなされ、無視され、自尊心を育むことなく育った結果が「かわいそう」と「傷ついた」の一言です。

相手が「傷ついた」といえば、口を閉じるしかない社会は、屋台骨が折れても見て見ぬ振りで、いずれ家屋ごと倒壊してしまうでしょう。

「ばか」に対する考え方 #0095

ばかけんちく談話室について

『ばかけんちく談話室』は、1995-2007年にかけて古井亮太氏が運営されていた『ばかけんちく探偵団』に設置されていた掲示板です。 詳細は「ばかけんちく談話室について」をお読みください。
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