ばかけんちくがうらやましい #0098 #

作り手に愛がなければ、ギャラリーも見捨てる #0098

ばかけんちくがうらやましい #0098 #

#0098 ばかけんちくがうらやましい

初めまして。名古屋で建築の大学院に行っております「○○」と申します。
いつも楽しく見させていただいてます。

突然ですが、名古屋と聞いて何を思い浮かべますか?
ういろう、きしめん、えびふりゃー、金のしゃちほこ?
(グランパスってかっこよく聞こえますけど「しゃち」って意味なんですよ。)

名古屋では、数年前、全国の博覧会ラッシュに乗って「世界デザイン博」というのが行われました。名古屋とデザイン、10年以上名古屋に住んでいる僕でさえも結び付けられないのに、他の地方の方にとってはとうてい無理でしょう。当然、この博覧会、支離滅裂でした。

この博覧会のおかげで、名古屋市内のあちらこちらに奇妙な彫刻がばらまかれることになったのです。その親玉的存在が名古屋駅のど真ん前に建つ、清水義範氏をはじめとする作家の皆さんに「じょうごのおばけ」、「巨大なうんこ」といわしめた題・「飛翔」なる巨大オブジェです。

このオブジェ、駅のロータリーを占拠しているせいで待ち合わせ場所にもならず、全然役に立ちません。また、これが名古屋を象徴しているとは全然思えません。どっかで見たことのあるような、無いような…..早く言えば、「無個性」なんです。

これは、名古屋の建築・パブリックアート全般に言えることです。つまらない。なにも東京の超ドライな「うんこビル」(実は、僕このビルのデザイナー結構好きなんです。彼のレモン絞り持ってます)を作れとは言いませんが、なんか、へんなところで縮こまっているんです。やっつけ仕事で、オブジェばらまいときゃいいや、という感じがあるのは否めません。一昔前の「まちおこし」が巨大になったようなものだと考えて下さい。

だから僕は、みんながバカだ、バカじゃないと論じ合っているのを見ていてうらやましいんです。名古屋には、皆さんがバカだと笑い飛ばせるような建築やアートがない。ガンダム専門学校やでっかいオーダーがない。(「養老」は名古屋ではありません、念のため)

ぼくは、皆さんがバカ建築と呼んでいるものは、大阪の道頓堀にあるグリコの看板や、くいだおれの人形みたいなモンだと思っています。都市のパワーが、ああいったものを創る、作ってしまう。

確かにバカ建築は問題です。

でも、名古屋のような「無個性」な「バカさ」にも是非注目して下さい。

通勤、通学の途中で駅のロータリーを眺めてみて下さい。

無意味なオブジェ建ってませんか?

御意見お待ちしています。
(メルアドが記載されている)

作り手に愛がなければ、ギャラリーも見捨てる

欧州の国際観光地にありそうで無いもの。それは日本でいう『ばかっぽい』オブジェや建物だと思います。

その代わり、よく目に付くのが『アート』な顔をした、どこか場違いな建物。

日本の観光地と欧州の観光地の大きな違いは、日本が最初から「ばか」と開き直って、キテレツなものを建ててしまうのとは対照的に、欧州のそれは、いかにもモダンで前衛的な顔をしているけども、よくよく周りを見回してみれば、まったく町並みに合っていない、一目で『ばか』と分からない、カモフラージュ系ばかが多いという点でしょうか。

ある意味、欧州のばかけんちくの方が、はるかに巧みで、確信犯という気もします。

それにつけても、『アート』や『クリエイティブ』といった肩書きの破壊力と選民思想は一体何なのでしょうね。

多くの人は、自分に芸術的素養が無いことも、クリエイティブでないことも自覚しているから、「オレにはある!」と言い切ってしまえる人に対して――あるいは、その道の権威からお墨付きをもらった人に対して――何も言えなくなってしまうのかもしれません。

しかし、誰が、どう見てもおかしな作品でも、「○○賞を受賞した」「○○先生が絶賛」というだけで、何も言えなくなってしまうとしたら、それこそ『裸の王様』でしょう。

誰も何も言わなくなったら、人はいつその誤りに気付き、正すのでしょうか。

それとも見て見ぬ振りで、やり過ごすのでしょうか。

「アート」や「クリエイティブ」と称されるものの中にも、愚かな創作や展示物はあります。

たとえば、海外の有名な観光地で、『日本の伝統文化』を謳い文句にしたパビリオンがあるのですが、そこに展示されているのは、いわゆる「カワイイ」のキャラクターグッズでした。入り口には、日本を代表するポップアート(?)の旗手による、等身大のプラスチック少女人形(巨乳+ミニスカート)が置かれ、「これが日本のカルチャーだ」みたいな飾り方がされていました。

しかし、そのパビリオンを訪れる人は、着物や盆栽、お琴や茶道、わびさびの禅空間や侍文化を期待して来ると思うんですね。

実際、その他のパビリオンは、皆が期待する「エジプトらしさ」「フランスらしさ」「アフリカらしさ」「ノルウェーらしさ」「メキシコらしさ」といったものを前面に打ち出し、自国の伝統文化の素晴らしさをアピールしていたからです。

逆の立場で考えてみましょう。

皆さんが、「エジプトのパビリオン」に古代エジプト王朝の世界観を期待して訪れたら、ツタンカーメンのコスチュームを着たマイケル・ジャクソンみたいなダンサーが現れて、「これが現代のエジプトだぜ、ハウハウ!」とか踊り出したが、「なんや、これ?!」と思うでしょう。

ピーター・ラビットみたいな「愛らしいイギリスの田園の暮らし」を期待して訪れたら、髪の毛を七色に染めたパンクな兄ちゃんが現れて、「F○○king、 Qu○○○~」とかシャウトしたら、幻滅しませんか? あるいは案内役がヴィクトリア・ベッカムで、展示物がハリー・ポッターとしたら? 確かにイギリスには違いないですが、「ちょっと、違うやろ……」という気持ちにならないでしょうか。

極端な喩えにしても、それぐらい、来訪者の期待と展示物がずれてしまっているわけですよ。

日本パビリオンの主催者にしてみたら、「着物も、侍も、もう古い。今の日本文化はOTAKUであり、KAWAIIだ!」をアピールしたいのかもしれませんが、それこそ主催者のエゴですよね。ミニスカート+巨乳の少女人形も、国際OTAKUフェスティバルの会場なら、観客を釘付けにしたかもしれませんが、家族愛を売り物にした世界屈指のテーマパーク、それも世界一、小児性愛やポリティカル・コレクトネスに敏感な国の文化パビリオンで、それは有り得ないだろうと。場所柄を考えれば、ここはやはり、着物であり、甲冑であり、藁葺き屋根と囲炉裏の世界観だと思うのですよ。たとえ『ありふれた』ものであったとしてもです。現に、メキシコのパビリオンで、伝統のメキシコ帽をかぶった男性店員がタコスを売ってるのに満足してるわけですからね。「これがメキシコだ」みたいな。

この場合、アーティストは依頼されて制作したのだろうから、そこまで責められるべきとは思いませんけども、主催者がこのような場所でサンリオのキャラクターやアニメグッズを展示して、「日本文化の素晴らしさを分かってもらえる」と思い込んでいるとしたら、勘違いも甚だしいし、「それを理解しないお前らが悪い」と切って捨てるなら、こりゃもう末代まで救いようがありません。

和の文化を期待してパビリオンを訪れた人も、日本の現代アートに興味をもつどころか、主催者やアーティストの知性や品性を疑って、本当に見る目のある上質なギャラリーも寄りつかなくなってしまうのではないでしょうか。

どんな創作も自由ですが、ひとたび公開されれば、そこには社会的関係が生じます。

なぜならギャラリーあっての、公開であり、鑑賞だからです。

たとえ手垢の付いた手法でも、皆がそれを期待するなら、その期待に沿う形で新しいものを取り入れたらいいし、どうしても、それを見せたいなら、その世界観にふさわしい会場を選べばいい。

少なくとも、主催者と作り手が「これが日本の現代アートだ。理解しろ」と押しつけるものではないと思いますよ。

たとえ作り手のハチャメチャな発想が行き過ぎたとしても、どこかギャラリーへの配慮が感じられるものは、いずれ受け入れられるだろうし、議論が弾めば、文化の活性化にも繋がると思います。

作り手が、作品の価値を理解せぬギャラリーをはなから無視するなら、ギャラリーの方、作り手を見捨てるでしょう。

その結果、自作が将来的にゴミ扱いされ、焼き払われても、誰も文句は言えないのではないでしょうか。

ばかけんちくがうらやましい #0098

『ばかけんちく談話室』は、1995-2007年にかけて、古井亮太氏が運営されていた『ばかけんちく探偵団』に設置されていた掲示板です。詳細は「ばかけんちく談話室について」をお読みください。
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