金シャチ #0107

守るべき品位と世界観 文化財のキティちゃん化は上質な観光客を遠ざけるかもしれない #0107

金シャチ #0107

#0107 金鯱

○○です。
#0100さん、#0103さん両氏のご意見を読みました。

 やっぱりきたか。そうです、金鯱です。

以前から僕は名古屋の街に氾濫する金の鯱は「ばか質」が高いと思っていました。あれは課長どころか市役所全体が暴走しまくっています。タウン誌は「若鯱」、水道局の広報誌は「鯱水」、国体をやれば「わかしゃち国体」、サッカーは「グランパス」、お話にもでた名古屋港遊覧船「金鯱号」(ここまでくるとかわいくなってくる)、いったん街にでればマンホール、電柱、案内板に跳ね上がる鯱、しゃち、シャチ。外人が見たら、名古屋という場所はたくさんのシャチが生息する自然豊かなネイチャリング都市だと思ってしまいそうです。名古屋港に潜ったら交信できそう。

僕もただ漠然と「無個性」と言う言葉を使いましたが、この「金鯱」現象も、岡崎の「葵の御紋」も、やはり、「無個性」な都市の現れではないかと思うのです。都市全体に、「ガンダム」を作るような創造力(と言っておきます)が無いために、ただのお城の上にのっかっているお守りや、たかがお城の持ち主のマークに都市全体をすり替えて、代表させてしまう。都市的スケールで、「赤ずきんちゃん」現象が起こっている、と思っているわけです。

これは、なにも名古屋だけではなくて、地方都市全部でいえることだと思います。いくらを屋根の上にのっけた資料館や、蝶の形をした昆虫館、鹿児島に行けば桜島と西郷さんのオンパレード。どこでも、「ばかエキス」が充満しています。

これ自体、「パワー」のない都市にとっては仕方がないことなのかもしれませんが、これが地方のばか建築やばか・オブジェの温床となっているのも事実でしょう。

と、思いました。

今度、ちゃんと「偽装するニッポン 公共建築のディズニーランダゼイション」を読んでみようと思います。では。

文化的シンボルのキティちゃん化

町全体が一つのモチーフで飾られるというなら、ウィーンも似たところがあります。

どこへ行っても、モーツァルト。シシィ(エリザベート皇妃)。クリムト。

ただ、名古屋と異なるのは、モーツァルトやシシィやクリムトは世界中に名の知れた芸術家、もしくは歴史的人物であり、その取り扱いには一定のルールがある点ですね。

喩えるなら、キティちゃんのように、シャモジになったり、饅頭になったり、炊飯器になったり、“仕事を選ばない”ということはない。
モーツァルトの肖像画入りチョコレートや、シシィ人形が売り出されても、皇妃たるものの品位を貶め、作品の世界観を損なうようなギャグ饅頭にはしない、ということです。

たとえば、ウィーンにも子供向けのグッズやイベントはありますが、「さすが芸術の都、ウィーン」と唸らせるようなもので、間違ってもキモかわいい『シシィ人形』は作りません。着ぐるみがチンドンするようなモーツァルト音頭も作らないし、クリムトの絵柄が風俗産業の看板に使われることもありません。

実際に行われているのは、18世紀の宮廷コスチュームを身につけた、宝塚みたいなオーケストラ団員が「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」や「ユーモレスク」を演奏し、それに併せて、美しいチュチュを着た、これも本職のバレエダンサーが愛らしいバリエーションを披露したり、スマートな王子様と夢のようなパ・ド・ドゥを踊って見せてくれます。

そんなもの、ある種の子供にとっては退屈きわまりないですが、それでも上のレベルを目指してやるわけですね。

そして、日頃、TVのバラエティショーぐらいしか興味のない、団地暮らしのファミリーでも、ウィーンに来れば、「うちの子も芸術の風に当てなければ」と、そういう場所に連れて行くんですよ。

だって、芸術の都、ウィーーーーーーーーーーンなんですもの!!

そう思わせる雰囲気が、町の随所に散りばめられているのです。

その点、名古屋の鯱は、キティちゃんと同じく、仕事を選ばないところがあります。

たとえ金の鯱が長靴を履いて、道頓堀の食い倒れと愛し合うビデオに出演しても、多分、『オモシロ』で許されるような気がします。

金の鯱に、守るべき品位もなければ世界観もない……というより、作り手に守る気がなければ、何にでも作ってしまえますから。

このあたりは、歴史に対する敬意や、文化に対する使命感、美意識の違いですね。

ウイーンがモーツァルトの傘やTシャツやショットグラスを売り出すのは、もちろん土産物として価値があるからですが、その一方で、モーツァルト・グッズを通して、音楽や歴史に対する理解を深めて欲しいという願いもあります。理解すれば、愛情も深まり、観光客にリピートしてもらえるからです。

そんでもって、モーツァルトやクリムトに心惹かれるような客層は、たいてい金持ちのインテリで、一席何百ユーロもするようなコンサートや高級額絵などに惜しみなくお金を使い、芸術団体のパトロンになってくれます。

いわば、グレードの高い顧客を掴む為にも、モーツァルトやシシィやクリムトの品位と世界観を守ることは、必須のお約束なんですね。

それとは対照的に、日本の主流は大衆文化であり、「オモロイもの」「キモカワイイもの」にお金が動きます。

肩書きが三つも四つもあるようなアカデミーの偉い学者先生を呼んで、高尚な芸術イベントをするより、ファミリー向けのドタバタとした出し物を見せる方がはるかに人が集まるし、屋台のタコ焼きやキャラクターグッズに一銭、二銭と小銭を落としてくれる。

東郷青児の展覧会や山田耕筰の音楽会を開くより、キモカワイイ、ご当地キャラの着ぐるみと記念写真を撮って、なんとか戦隊のサイン会やって、SNSうけしそうな面白グッズを販売して、アイドルに一曲歌ってもらう方が分かりやすいし、イージーだからです。

それはそれで親しみが持てるし、人が集まる所には活気が生まれて、幸福に感じるのも本当だけれども、一方で、ウィーンの高級ホテルに連泊して、ディナーやコンサートに惜しげもなく大金を使う、金持ちインテリ層を掴みにくいのも事実でしょう。彼等は18世紀風の古い町並みを好んでも、漫画だらけの土産物やご当地キャラの着ぐるみと記念撮影するイベントに興味を示すことはないからです。

金の鯱に長靴を履かせるような遊び心も面白いですが、悪ふざけも一線を越えると、文化そのものを破壊する恐れがあります。

守るべき品位や世界観を無視して、何でもキティちゃん化してしまうと、後には取り返しのつかない知識の劣化と虚しさが殘るような気がします。

金シャチ #0107

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