デザインの主張が公の利益を損なうこともある #0108

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#0108 名古屋にばかけんちくはあるか?

名古屋の話題ですね。
#0098さんの

>みんながバカだ、バカじゃないと論じあっているのを見ていてうらやましいです。
>名古屋には、皆さんがバカだと笑い飛ばせるような建築やアートがない。

というご意見、よくぞ言ってくれたと思います。

でも私の「うらやましい」は、○○さんとちょっとニュアンスが違うかな。地方居住者の私としては、「東京トイレマップ」もそうですけど、「東京」を舞台にすれば話が通じるうらやましさってのをそこはかとなく感じていました。ホームページに紹介があったからといって、週末に、あるいは通勤通学途中にでも、現物を見て納得する、「くくく」と笑う、という楽しみ方が私にはできませんからねー。

○○さんが問題にしている「名古屋には個性的なばかけんちくがない」ということ、これはよく考えないと何とも言えない気がします。名古屋人の特性として「パクリ」に生きるということはあるかも知れません。関西だと東京に対抗意識を燃やすかもしれないけど、名古屋は東京も関西もパクる。しかし名古屋に都市のパワーがないということは、言えないと思いますよ。パワーが向かう方向が他の町とは違うのかもしれないし(これって個性的?)、見落としているだけかもしれない。

#0103さんの

>タイガーバームガーデンをあちこちに出現させている

という見方で見れば個性的なばかはけっこう発見できるのかな。
ところでタイガーバームガーデンって何ですか?

私が思い当たる名古屋のばかけんちくは、(身の毛がよだつほど嫌いなのは)某大建築家によるポストモダンな名古屋市美術館です。これはアトリエ系ですね。

なぜ嫌か。理由は簡単、

1.空間が主張しすぎて展示された美術を邪魔するから、

2.動線がめちゃくちゃなせいで不必要に混むし歩かされて疲れるから。

美術館という機能を満たしていない単なる巨大な造形物は、流行を過ぎれば捨てられない租大ゴミです。しょせん建築家のエゴでしかない造形で、アートの仲間入りをしたつもりかとおかしい。展覧会を見に行っているのに空間を見せつけられると「でしゃばるな!」と

>「何をするか! 馬鹿者!」(声:かくさんすけさん)

下がりおろう、みたいなかんじに思ってしまう。あれはばかランク-9.85ぐらいです(10点満点)

ちなみに○○さんのおっしゃる名古屋駅前のぐるぐるじょうごは、見慣れるうちに好きになりました。しかし駅前広場がないのは事実ですね。駅前で待ち合わせするときは、みなさんどこで会うのでしょうか?
 
名古屋という町は、しかしデ博(デザイン博をこう言う)をきっかけに景観行政が進められ、あちこちの町角がかなりきれいになっていると思います。「きれい」という言葉は問題あるかもしれませんが、町並み破壊系のばかけんちくが目立ってないおかげでほんのりほのぼのとした町並がつくられているのではないでしょうか? デ博でばらまかれたパブリックアートは、当初は「なんだこんなもの、竹の子みたいに突然生えてきやがって」と思われたかもしれません。これらが次第に住民に親しまれるようになっているかどうかが成功不成功の一つの指標になりえるように思います。

名古屋の町並みでむしろ問題なのは、ばかけんちくよりも、大きい枝までがんがん払う「名古屋刈り」のせいで貧相な街路樹や、裏通りでも道幅が広くて碁盤目状でおもしろみにかけることなどだと思っています。

しかし名古屋に都市のパワーがないということは、言えないと思いますよ。パワーが向かう方向が他の町とは違うのかもしれないし(これって個性的?)、見落としているだけかもしれない。

というのは重要な指摘ですね。

自治体によって、向かう方向が違うのは、どこの世界も同じです。首長の哲学か、あるいは地元経済界の重鎮の影響力か知りませんけど、決定権をもつ人間にセンスも知識もなければ、何でもメチャクチャになりますね。

だから、国によっては、将来、政治経済界のトップに立つような人材には、最高の教育を施し、国語数学理科社会だけでなく、芸術、哲学、人文分野の高雅なセンスも吹き込む。でないと、彼等が実権を握った時、ドル箱ともいえる国際観光都市に、キモかわいいシシィ人形や、奇妙キテレツなモーツァルト音頭が溢れかえってしまうからです。

昔から、王国の首都には、『都市哲学』を極めたような人がご意見番になって、文化、インフラはもちろん、内紛や侵略にも強い都市作りを目指したものでした。

漫画『ベルサイユのばら』でも、ヴァレンヌ逃亡事件の際、国王と王妃の逃亡を手助けしたフェルゼンが、パリの複雑な町並みに迷い、時間を浪費したエピソードが描かれていますが、実際、王侯貴族が住んでいた旧市街(王城の周辺)は、複雑な作りの所が多いです。観光マップを見ながら、王城の入り口を目指しても、いつの間にか一本間違えて、アレアレ、川辺に来ちゃったよ……なんてこと、よくあります。ほんと、自分が何所に居るのか分からない。フェルゼンが夜のパリで道に迷ったのも納得です。

言い換えれば、町こそ執政者の意思と哲学の表れ、理解しない人には単なる「建物の集まり」にしか見えないかもしれませんが、道路の一本一本、配管や配線の隅々にまで、時の執政者の考えが如実に反映されているものです。

財政の逼迫した地方の小都市でも、公共場所の花の手入れは熱心にやってたり、洒落たベンチが置いてあったり、そうした細かな所に住民への配慮や町の目指す方向が垣間見えたりするんですね。

そして、その中に暮らす人々も、日頃、強く意識することはないけれど、「やっぱり我が町はいいなあ」と安心するようになる。

そうした愛郷心が上手く噛み合えば、町興しに大成功することはなくても、快適さ、治安のよさ、住民の定住率、人口微増(もしくは横ばい)といった形で、自治体の安定運営に繋がっていくわけです。

しかし、そこで「身内が儲かれば、それでいい」みたいな利己的な方向に走れば、すぐさま反対運動などは起こらなくても、じわじわと住民の不信感や居心地の悪さとなって行動に表れてきます。行動というのは、引越、破壊、無関心(治安、文化、環境保護、すべてに対して)といったものです。

住民に見放された自治体ほど哀れなものはなく、表面上、上手くいっても、だんだん町から活力が失われ、衰退していくのではないでしょうか。

上記でも大学院生さんが指摘されている、

1.空間が主張しすぎて展示された美術を邪魔するから、
2.動線がめちゃくちゃなせいで不必要に混むし歩かされて疲れるから。

自治体の首長に限らず、公の利益より、我を優先する動きは今も続いていると思います。

アートにおいて、作者が顔を売るのは普通ですけど、アートの種類によっては、我よりも公が優先されることもある。

Instagramの自撮り写真じゃないのだから、好き勝手やればいい、というものでもないでしょう。

そして、作った本人は「お前らには分からないだろう」のつもりでも、『居心地の悪さ』はすぐに伝わります。

私の家の近くにも立派なショッピングセンターがありますが、中央に大きな広場を設けて、客の動線を分断してしまった為に、建物の右側は繁盛してるけど、左側は閑散としている、という失敗例があります。

デザインした人は、中央の広場に人が集まって、コンサートやイベントができるんだから、全体に客足を回せるだろう……という考えだったのかもしれませんが、普通に考えて、建物の右から左に移動するのに、わざわざ広場を横切って行きたい人は少数ですよね。冬は寒いし、皆が皆、イベントや散歩を楽しみに来てるわけじゃない。買い物客の大半は、「短時間で、効率よく、いろんな店を回りたい」のですから、広場で動線が伸びるのは不便極まりないです。たとえ左側に好きなブランドが入店したとしても、いくつも買い物バッグをぶら下げて、幼子を連れて、広場を横切って、そこまで行く気にはならないですよ。

それなら、一つの建物に、たくさんのショップが立ち並ぶショッピングセンターに行った方がいい。

デザイン的に面白みはなくても、買い物客にとっては、一階=小物、フード。二階=女性アパレル。三階=男性アパレル&子供服。四階=シネマ、電化製品、スポーツ、みたいな、ありきたりのフロア構成の方が有り難いのです。

だから二棟+広場付きのショッピングセンターより、一つに集中型の方がはるかに客足が多いし、閑散とした左側の棟は有名ブランドでも客足がさっぱりなので、しょっちゅうテナントが入れ替わり立ち替わりしていますよ。内装は決して悪くないのに、広場で分断したのが、本当に失敗だったと思います。

企画の段階で、親子連れや買い物客の心理が分からなかったのかな、と。

こんな感じで、デザインする側の主張が需要から外れると(またそれに施主が押し切られると)、十年経っても回収できない負債を抱える結果になりますので、建物のデザインって、本当に難しいんですよ。だから、他の業種の倍ほど、勉強が必要なんですね。町作りも含めて。

デザインの主張が公の利益を損なうこともある #0108

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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