ばかもリアルに #0109

デザインが優れても、市民には使い勝手が悪い建物もある #0109

ばかもリアルに #0109

#0109 バカもリアルに

<前半、個人情報が入っている為、省略>

偽装するニッポン」を読みました。論理がぐいぐいと気持ちいい本です。

今みたく人の好みが千差万別でバラバラだと、みんながステキ!って思うモノはとても難しいです。(パルコの雑誌では、この状況をタコツボ化と呼んでいました)かえって「これは世界に通じる美だ」とか言われると、僕はすごく警戒します。ファシズムだ!!なんてね。(笑)

でも、生まれたときから身近にばかけんちくがあったら、それなりに慣れちゃうんじゃないかと思います。それは建築としてカッコイイかどうかじゃなくて、です。

例えば臨海副都心のばかけんちく群。あそこで生まれ、生活する子供にとっちゃ、ポストモダーン(笑)なビルも学校近くのビルだったり。大山くんちへの途中の目印だったり。自転車で転んでスゲー痛かったことを思い出す場所だったり。リアルなものになるんでしょう。

ばかであろうとなかろうと、生活する人が建築に好き勝手な意味をつけゆくんだと思います。それはそれでオッケー!!。 浅草のうんこビルの前はアベックがいっぱいいます。イイコトあったアベックにとっちゃ、思い出のビルかもしれない。うんこ乗っけてても。

つくり手の思っている意味と、受け手が作る意味は全く関係ない。コミュニケーション論でそんな説がありました。ちょっとシニカルになっちゃうけど、まあ、つくった人と、そうじゃない人の意味のズレが楽しいと思います。そのズレを見ないフリしたり、啓蒙するのはヤボです。

だから、ちょっとぐらい「ばかけんちく」でもいいかな、と思うんです。むしろ作った人のスカしたテーマを、わや(大阪弁)にするような意味をつける方がパワフルだし。

原爆ドームだって原爆落ちる前は何だったんだろう。あれも、作った人の狙いとは無関係に「平和」という意味を持ってしまった。

#私の知人は首都高速で非常に(もうだめだ!!と思うぐらい)うんこがしたくなり、その状態で「シナネン」の看板の横を通り過ぎたそうです。いまでのその看板を見ると「もー、あんときのこと思い出して冷や汗もんだぜ」と言ってました。….これは建築の話というよりパブロフの犬だな。#

ざっくばらんな話ですが。談話室だし。いいでしょ。

ばかであろうとなかろうと、生活する人が建築に好き勝手な意味をつけゆくんだと思います

確かにそうかもしれません。

作り手は「この独特のファサードにポストモダニズムの潮流が……」なんて思っていても、見る側にとっては、変な屋根であり、駅前の風景であり、雨宿りの場所だったりする。何をどう主張しようと、地元住民にはそんなことはどうでもよくて、『WiFiが快適に使えばそれでよい』『ハーゲンダッツがあれば、なお良い』ぐらいの感覚しかないのかもしれません。でも、それも含めての建築で、一般大衆にあれこれ期待する方が無理な話なのかも。

つくり手の思っている意味と、受け手が作る意味は全く関係ない。コミュニケーション論でそんな説がありました。ちょっとシニカルになっちゃうけど、まあ、つくった人と、そうじゃない人の意味のズレが楽しいと思います。そのズレを見ないフリしたり、啓蒙するのはヤボです。

ただ、それが「オモロイ」「スゴイ」の感想だけで済むならいいですが(大阪万博記念公園の『太陽の塔』みたいに)、明らかに住民の不利益を引き起こす場合(経済的にも、交通、暮らし、その他の面でも)、やはり、『齟齬』だけで済ませるものではないと思うんですね。

私は京都に生まれ育って、大型の建設計画が持ち上がる度に、周辺の神社仏閣(高級住宅街も含む)から反対の声が上がり、景観論争は京都市のお家芸みたいな感じでしたから、余計でそう思います。

どんどんお洒落な商業施設やホテルを建設して、経済の活性化に繋げたい政財界。

昔ながらの景観と、静かな暮らしを守りたい、神社仏閣+周辺の住民の猛反対。

一般の住民も巻き込んで、ここまで激しい論争が巻き起こる市も珍しいのではないかと思います。

とりわけインパクトが大きかったのが、JR京都駅ビルの改装問題。

さすがに施設が老朽化して、現代の交通事情や暮らしに合わなくなった頃から、指名コンペを開催し、新しい駅ビルのデザインを募集したわけですが、『高さ』で揉め、モダンすぎる外観で揉め、建物による南北分断で揉め、ホームの位置で揉め、今も「アレのせいで、南北の分断がいっそう深刻になった」という住民もおります。きっと、どんな建物が建っても、永遠に揉め続けるであろう。それぐらい、京都をいじるのは難しいし、建築デザインも「すごくて、新しければ、それでいい」というものではない。

観光客にとっては「わぁ、素敵」でも、そこで暮らす住民にとっては「バス停にアクセスしにくくなった」「○○線のホームが遠くなった」「北の駅前から南の八条口に抜けるのが大変」等々、いろいろ不満はありますから。

京都駅に怒る : リアリティとオリジナリティはこれからも有効か?』でも話題にされています。(ついでにコメントの討論も面白い)

そうそう、梅原猛が京都新聞に評論を寄せて、激オコだったんですよね。荒巻知事の名前も懐かしい……。

ここでも『ポストモダン』という、水戸黄門の印籠のような用語が登場します。『ポストモダン』と言われたら、誰も反論できないんですよね。

そして、私が一番違和感を憶えたのは、デザインの理屈ばかりで、実際、それを利用する人への配慮がまったく感じられなかった点です。

ポストモダンとか、空間の様相がなんちゃらとか言われても、庶民にとって一番重要なのは、「改札を出たら、すぐそこにバス停」「コンコースを真っ直ぐ歩けば湖西線乗り場」「階段もなく、ややこしい機械類もなくて、足腰の悪い、おじいちゃん、おばあちゃんでも、切符一枚で楽に乗り降り」……そういう利便性でしょう。

乱暴な言い方をすれば、ガラスの形が丸でも、四角でも、どうでもいい。

すぐそこにバス停。

すぐそこに電車の乗り場。

駅正面のバス停やタクシー降り場から、裏の八条口(新幹線乗り場)まで、真っ直ぐ歩いて、五分。

重いトラベルバッグもガラガラ引き摺って、階段無しの楽々移動。

それが全てですよ。

その上に、「町が一望できる展望台カフェ」とか、「噴水のある憩い広場」とか、ほっと息抜きできるような場所や仕掛けがあって、自然に日常の風景や暮らしに溶け込む。

「その程度」といえば、その通りで、偉い先生にどんな高邁な理想を並べられても、使いにくいものは使いにくいし、けったいなものは“けったい”なのです。

そう考えると、建築は、やはり「価値観の違い」や「芸術家の意欲的な試み」では済まされないところがあって、どれほどデザイン的に価値のあるものであろうと、美観やその他のこだわりから、いつも利用しているホームがうんと遠ざかった為に、多くの人がアクセスするのに難儀している事実も忘れてはならないと思います。まして駅ビルは『こだわりのカフェ』ではないのですから。

紹介記事でもありましたが、こうした一般の利用者の不満や要望がまったく届かず、「これが新しいんだ、立派なんだ、正しいんだ」で押し切って、スゴイものを建ててしまう、また、そのように市民にも思い込ませる、そのこと自体が恐ろしくもあり、淋しくもあります。

なぜって、その後、その建物を使い続けるのは、何の決定権もなく、不満を形にする知識や技術も持ち合わせない、一般市民だからです。

ばかもリアルに #0109

『ばかけんちく談話室』は、1995-2007年にかけて、古井亮太氏が運営されていた『ばかけんちく探偵団』に設置されていた掲示板です。詳細は「ばかけんちく談話室について」をお読みください。
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