専門家の説明責任とは ~身内主義と責任逃れ #0118

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#0118 住民は暴走しないか?

「(建築は)顔が命」について補足説明】に続くコメントです。

#0115の○○さんの「もろもろお返事」に思ったこと。

「#0111 ○○さん」へのお返事で

>「街の人々」と「建物を作る人」の間のコミュニケーションの断絶は、非常に
>深いと思います。もし本当に「街全体の連帯責任」を問えるとしたら、こうい
>うコミュニケーション不全をなんとかしてからでないと。反論の場もないのに
>街の人々に責任を問うのはカワイソすぎると思いますが。

私もその通りだと思います。

ただ下記の

>街の人々に、これから作ろうとする建物(道路や公園なども)の情報を公開して、
>積極的に意見を聴いたり、時には計画や設計自体に参加してもらえるような場を
>用意することっていうのは、これから本当に必要になるんじゃないでしょうか。

というのも、それは理想としては正しい姿ではありますが、現実に「意見を聞く」 相手の「街の人々」の方にも結構問題あったりして、と思う私です。

行政は具体的な建築までは街 の人々に意見を求めたりしないのが殆んどですが、建築ほど重要でないと考えられているのか、時折「パブリック・アートやオブジェ」関係では街の人々の意見を聞くどころか、プランを募ったりもします。そのプランが採用された時のお礼金などはなかったり(名誉だってことなんでしょうね、それは違うぞ!タダほど高いものはないんだってば)、「へっ?」という程に少ないのでもちろんプロは応募しません(そんなことしていたら通常のビジネスが出来なくなる)。

で、善意の素人がご意見を述べたりすると、それが40年前の抽象彫刻まがいだったり、ピラミッドだったりするんですねぇ。そして、採用されたプランを「市制だより」かなんかで見たりすると「おいおいおい、これって××そっくりじゃない」と思ったりして、で後で新聞紙上で「盗作」騒ぎが起きたりする。まるで見てきたようにリアルに書いてしまえる私って一体………。

この「ばか建築談話室」に参加しているような方々が市民の代表であるならいざ知らず、大抵は「暴走課長」と五十歩百歩の五里霧中では?
それを考えると「住民参加」にも不安を覚えます。

こう考えるとどうしても専門家を頼らないわけにはいかなくなり、その専門家が「ばか」をやったりした日には、どうしたらいいんでしょうか? 袋小路です。

問題は、っていきなり結論めいて何ですが、つまり建築というものは(美術もそうですが)あまりにも専門外の人達、でも本当はとてもそれを必要な人達(だって街に住むのは市民なんですから)に充分な知識を与える場が欠けているのではないか? ということです。

結局、「見る、そして考える場」を教育の現場に作ってほしいという所に落ちつくのでしょうか? 

でもこれは時間のかかることではありますが、必要なことと思います。消費者教育の一環として。文部省にこういうことを望むのは不可能でしょうか?
「ばか建築」のラビリンスからの脱出は不可能か?

話は変わりますが「顔が命」の京都の山下和正氏設計のビルは1992年の芸術新潮12月号の「大特集 揺れ動く京都」の中で紹介されています。

ちなみにこの号には「偽装するニッポン」の著者中川氏も寄稿(「歴史をつなぐ京都の近代建築」)されていますし、件の顔ビルは編集者の都築響一氏による「死にゆく古都に別れを告げる二泊三日の旅」という秀逸なばか建築レポートが載っていたりで、ばか建築マニアには見逃せない一冊です。

そこでは顔ビルは「山下和正の問題作「顔の家」は、今では町並みに溶け込んでしまった感もあるが、初めて見た人はやはり驚く」とか「あの青山フロムファースト・ビルを建てた山下和正作とは信じられない「顔の家」」とか書かれていました。

ちなみに○○さんのお気に入り(笑)の京都タワーもレポートされていますので、機会がありましたらご一読を!

つまり建築というものは(美術もそうですが)あまりにも専門外の人達、でも本当はとてもそれを必要な人達(だって街に住むのは市民なんですから)に充分な知識を与える場が欠けているのではないか?ということです。

専門家の重要な責務に『説明責任』というものがあります。

医療に喩えれば、医師や看護師は、病状や治療方針について、患者および、その家族が納得いくような説明をし、社会的同意を得なければなりません。

手術が必要な患者さんに対して、患者にも家族にも理解不能な医学用語を並べて、「だから手術すべきなんです、ね、ね、ね」とはならない。

たとえ小学校の理科みたいに初歩的な内容でも、画像を用い、模型を使い、先方が納得するまで、親切丁寧に、現在の病状と手術の必要性について説明しなければなりません。
そうでなければ、医師に命を預ける手術など安心して受けられないからです。

そしてまた、先方からの疑問や質問に対し、「理解できない、お前らがバカなのだ」とは言いません。
言葉を尽くし、配慮に配慮を重ねて、信頼獲得に尽力します。
そうでなければ、『医療の専門家』という看板を掲げることはできないからです。

ある意味、素人にも分かりやすく説明できるだけの知識とスキルを備えているからこそ『専門家』を名乗ることができると言えますね。

このコラムでもさんざん書いているように、どこの世界も「身内主義」が横行して、身内にだけウケればそれでいい、部外者は黙れ、みたいな雰囲気が出来上がっています。

うっかり批判しようものなら、仲間内でタッグを組んで、総攻撃をしかけ、相手が黙るまで恫喝するようなことも平気で行われています。

これでは到底、若い感性も意欲も育ちませんし、強い者におもねる、お茶坊主みたいなのばかりが幅を利かせる世界になってしまいます。

学問を私物化する……とでもいうのでしょうか。

昔からそうなのかもしれませんが、今は、SNSなどで、手軽に相手に意見できることもあり、そうした傾向にいっそう拍車がかかっているような気がします。

また、世間の専門家に対する見方も、『一般人より、よく知っている人』程度の認識しかなく、説明責任や社会的責務について取り沙汰されることは、ほとんどありません。それも、うっかり口にすれば、お仲間に集団で攻撃される、まるで昔の暴走族の殴り込みの様相で、まだTV討論会で、生唾とばして議論する方がフェアな気がします。

そうして、専門家も自分の立場や論説を主張するだけで、説明責任も果たさないし、何かあってもヤンキー仲間に守られて、自身を省みることもない……となれば、自身は発展しても、それを社会に還元することはできないと思います。何故って、それを必要としている人は、何も知らないし、治療や修理に必要な技術も持ち合わせない、一般市民だからです。

冷蔵庫が壊れたら、電機屋さんに修理をお願いするように、世の中にはそれを得意とし、状況や方針を説明して、きっちり社会的責任を果たす専門家がいるから、人々は安心して暮らすことができます。

もし、電機屋が、一般には理解不能な工学知識を振りかざし、法外な修理代を請求して、その後、再び不具合が起きた時、「素人は黙れ」とか言い出したら、何の為の機械工学の知識であり、電機屋の看板なのか、と疑いたくなりますね。

建築もそれと同じです。

専門家の説明責任とは ~身内主義と責任逃れ #0118

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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