38歳 マリー・アントワネットと同じ年齢になる(ベルサイユのばらに寄せて)

この世には、その身にならないと分からないことがたくさんある。

私も、10代の頃は、「マリー・アントワネットという女性は、なんと愚かで、浅はかなのかしら」と思っていたが、自分も結婚し、子供を生み、マリーと同じ年齢だけ生きたら、彼女がそうならざるをえなかった理由も分かるような気がした。

ルイ16世が言っている。

「安全な場所から人を非難するのはたやすいことだ。誰も私と同じ立場に立たされた者はなかった」

マリーのことも、後からとやかく非難するのは簡単だ。

誰も彼女と同じ立場に立って、同じ辛酸を舐めた者はいない。

彼女を非難する者が、同じ責務を負ったとして、果たして、正しく、立派な行いが出来るかといえば、それは分からない。

その身になって、はじめて、「ああ、こんなにも苦しく、切ないものだったのか」と、その重さを知るのではないだろうか。

女性にとって、年を取るということは、決して楽しいことではない。

腰回りはどんどんたるんで、肉ダルマのようになってくるし、顔にもシミやらシワやら増えて、ちょっとファンデーションを塗ったぐらいでは誤魔化せなくなってくる。

誰もが避けられない運命だと分かっていても、その変わり行く様を一つ一つ思い知らされるのは、やはり淋しく、酷である。

だが一方で、年齢は、知恵や優しさという素敵なプレゼントをくれる。幾多の経験を生かしさえすれば、それはシワにはならず、圧倒的な心の強さになる。

若い時は、「四十、五十になったら、誰が何と言おうと、もうお終いよぉ」と思っていたが、「いい年の取り方」というのは確かにあるもだ――と思うようになった。

私は、年を取って、良かったと思う。

ベルばらで唯一苦手だったマリーのことが、大好きになれたからだ。

今は漠然とマリー・アントワネットに親しんでいる10代の若い読者さんも、38歳になったら、マリーの生涯の短さと、運命の起伏の激しさが、身をもって分かるようになるだろう。

結婚すれば、夫に7年も放ったらかしにされるのが、妻としてどんなに酷い仕打ちか、実感として理解できるようになるだろうし、子供が生まれてから、すっかり落ち着いた心の変化にも、より深く共感できるようになると思う。

人を裁くことは10歳の子供にも出来るが、物事を正しく理解するには何十年とかかる。

そして、人が一生かかって身に付けなければならない能力とは、裁きを超えた愛なのである。

ベルばらKidsプラザ『東欧ベルばら漫談』について

この投稿は2007年~2008年にかけて”優月まり”のペンネームで『ベルばらKidsぷらざ』(cocolog.nifty.com)に連載していた時の原稿です。サイト内の『東欧ベルばら漫談』の一覧はこちら

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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