運営者情報

『Novella』の管理人・石田朋子のプロフィールです。
サイトの歩みと特色は、『詩を作るより、田を作れ』 ~Novella 文芸コラムについてに明記しています。
サイト内のタイトル一覧はサイトマップからどうぞ。

名前

石田朋子

うちの娘がいつまでも嫁に行かないと、不安になった母が占い師に尋ねたところ、「この人は、一生、名前が変わりません!」と言われて、本当にその通りになりました。
結婚後、外国式の夫婦別姓になりましたが、日本の戸籍の名前は変えてないからです。

年齢

永遠の30代独女(35歳あたりで時計が止まっています)

星座

水瓶座です。月は射手座、金星は魚座にあります。
そう言えば、分かる人には分かるタイプです。
ちなみに占いはタロットカードが一番好きです。

学歴・職歴

高校卒業後、医療機関に就職し、臨床検査技師のアルバイトを経て、看護学校に入学。
卒業後は医療機関で勤務し、2002年に東欧に移住。
看護師ですが、現場を離れて久しいので、今は名乗らないようにしています。
結婚後は他メディアに寄稿することもありましたが、「サイトが閉鎖されて、運営者と連絡が取れなくなる」「後から手直しできない」など面倒も多いので、今はセルフパブリッシングのみです。
自分で自分の原稿を管理できないのが、基本的にイヤなんだと思います。
社会的に関係のある会社や知人に迷惑をかけたくないので、実生活に関することは、ネットでは書かないようにしています。

NHK教育 『メールマガジン 心の小宇宙』にメルマガ作者として出演
池田理代子『ベルばらKids』公式サイトに『東欧ベルばら漫談』を執筆
ラジオ『吉田照美のやる気満々』に在住者として出演
NHKラジオ『海外からのお便り』に在住者として出演

【公開中の著作&マガジン】
海洋小説『曙光』 MORGENROOD
親の死を願う子どもたち (青少年の自立と親子関係について)
なぜあなたの恋は上手くいかないのか(恋と女性のライフスタイル)

書く訓練はどこで受けましたか?

看護学校です。『情報収集』『分析』『実施』『評価と考察』という理論構築の手法を徹底的に叩き込まれました。
看護記録、計画立案、研究論文、患者指導のパンフレット、等々。
今はどうか知りませんが、私の現役時代は『看護業務は書くのが四割』と言われて、連日ものすごい量のペーパーワークをこなしていたんですね。書くのが遅いと、帰れませんから(T^T)
それでも、情報収集から始まり、データを分析して、結論まで持っていく・・という流れは、小説を執筆するにも大いに役立ちました。
世の多くの人は「看護学校」=注射の打ち方を練習する場所みたいに思い描いてますけど、実質は、上記の思考訓練を身に付ける場所です。「可哀想」だけでは看護はやれんのです。

文芸ポリシー『クソ映画にも五つ星の愛を』

バブル世代のサブカルチャーファンです。
特に70年代~90年代の作品に思い入れがあります。
基本的に雑食で、エログロから高尚なものまで、フィールドは幅広いです。

レビューに関しては、「クソ映画にも五つ星の愛を」の精神で、基本的にネガコメはしません。
有名な映画評論家、淀川長治氏に学ぶところが多かったからかもしれません。
(参照記事 → <a href="https://novella.works/hyoron" rel="noopener noreferrer" target="_blank">愛なき評論はアーティストを殺す</a>)

クラシックからサブカルまで

自由な空間が一畳分ぐらいしかない、小さな町屋にもかかわらず、ステレオ、三味線、お琴、クラシックギター、ピアノ、ブリタニカ世界百科事典、世界文学全集、日本の歴史大全などがある家庭に育ったので、幼少時より、科学と文芸に親しみ、主に80年代のサブカルチャーの洗礼を受けて、現在に至ります。

少女時代のヒーロー

カール・セーガン(NASAの師匠。COSMOSの作者)
矢追純一 & 川口浩(冒険と好奇心の大切さを教えてもらった。とりわけ地学に関する川口氏の功績は大きい。洞窟シリーズの大ファンでした)
池田理代子とエースをねらえ(女性の生き方を指南してくれた、偉大なお姉さま。竹宮恵子、萩尾望都、山岸凉子、青池保子、あのあたりも影響大です)

青年期の心の支え

黄金期の少年ジャンプ(北斗の拳、キャプテン翼、北斗の拳、聖闘士星矢、魁!男塾などをリアルタイムで経験した世代。ジョジョの連載第一回目にも立ち会いました。毎週月曜日の発売日が楽しみで、土曜日の夜から興奮して眠れなかったくらい。あれほど熱中した漫画誌は二つとないです)

思い出の場所

京都市立青少年科学センター(小学校時代の裏庭。入り浸ってました)
阪急宝塚線(住まい・勉学・リフレッシュ。全てを兼ね備えた、日本最高のエリアです)
山陰線(各駅停車の深夜の鈍行が好きでした)
国道九号線(丹波の山を越えて、日本海に抜けるルートが好きでした)
伊豆大島&阿蘇山&鹿児島(日本離れしたダイナミズムに惹かれます)

憧れの場所

カムチャッカ半島&イエローストーン国立公園(地学の宝庫。小説の舞台に応用したほど好き)

好きな分野

地学全般(特に鉱物学と地球物理学)

好きなモノ

車とコンピュータ(メカ好きです)

文理両道 科学と文芸は表裏一体

私自身が……というよりは、私の子供時代は、理科教育や、科学ものが充実してたんですね。
敗戦の時代からようやく立ち直り、欧米に追いつけ、追い越せで、技術立国を目指して、国民が一丸となって頑張った時代ですから。
まだ本田宗一郎や盛田昭夫や松下幸之助が存命で、手塚治虫も石森章太郎も現役でした。

とにかく日本には資源がない、技術で生き延びる他、道はない――ということで、子ども向けの理科教材も充実してたし、TV番組も、カール・セーガンの『COSMOS』を筆頭に、『NHKスペシャル』、民放の『科学特番』など、ハイレベルな科学番組もたくさんありました。

一方で、矢追純一の『UFOスペシャル』や辻本源治郎先生の『心霊写真コーナー』、2時のワイドショー『あなたの知らない世界』など、ミステリー&オカルト系も充実しており、科学雑誌『Newton』と併せて学研の『ムー』も親しむ、両道の人も多かったのです。

思えば、心霊写真だの、守護霊だの、いかがわしい番組を作っても、国民全体にそれをギャグとして笑える科学的素養があったのですよ。

理科の基本を知っているからこそ、「集合写真の背後に、人の顔のようなものが……」という話も、ちょっと距離を置いて楽しむことができたのです。

ところが、今はそれを鵜呑みにしてしまう人も少なくありません。

特にネットで様々な情報が行き交うようになってから、その傾向が顕著になったように思います。

また社会がそこから目を背けるようになったのも、90年代後半、オカルトが“カルト”になって、大勢が犠牲になった影響も大きいでしょう。

『理科離れ』も言われて久しいですが、学研の『こどもの科学』みたいな実験教材より、「漢字の書き取り」や「計算ドリル」みたいに、成果がすぐに数値で測れる教材を好むようになった理由も大きいと思います。

何故なら、「プランクトンの飼育セット」や「電池と磁石で走るモーターカー」みたいに、一見、何の役に立つか分からない実験教材は、化学式や数式みたいに、直接、テストの成績に結びつくこともないからです。

それどころか、実験に失敗すれば、子どもの心が傷つくこともあります。

私も小学校六年生の時、「電池と磁石で作るモーターカー」がどうしても動かず、20回以上、作り直して、とうとう二階からぶん投げたことがあります。

泣いて、怒って、『電池』と『磁石』が私の中で禁句になったこともありました。

しかし、そんな失敗例でも、執念深く覚えておれば、中学生になって『フレミングの法則』を目にした時、原理が形になって理解できるんですね。

磁力とか、電流とか、目には見えないエネルギーが、あの日、どうしても動かなかった電池や磁石を通して、実感できるわけです。

プランクトンの飼育セットも、うちはとうとう孵化せず、「学研は死んだ卵を送りつけたんちゃうか?!」と疑心暗鬼になったこともありました。

それでも、「なぜ孵化しないのか」ということを、何度もテキストを読み返したり、百科事典で調べたり、いろいろ考えるうちに、細胞の働きや生育環境など、周辺のことが分かってくるものです。

それが、ある時、突然、生物学や生化学と結びついて、一気に理解が深まるんですね。

理科は、理屈だけ暗記しても、実体験が伴わなければ、真の理解には至らないものです。

たとえば、ろうそくの火の温度分布は、ネットで調べれば一瞬で分かりますが、それがどのように作用するかは、実際にろうそくの火に線香を近づけてみなければ分かりません。

私も、子供の頃、自宅の仏壇で、「線香の先をどこまで近づければ着火するか」という実験を何度も繰り返して、時には、折り紙を燃やして、手指に火傷を負ったこともありますけど、そうした着火の瞬間や火傷の痛みを知っているから、「エネルギー」という目に見えないものを数理で解き明かすプロセスに共感できるのです。

ところが今は、「火遊びするな」「ハサミは使うな」で、子供から体験する機会を取り上げてしまうし、実験教材が思うように作れないと、親が出版社に電話して、「作るのに失敗したから、もう一度、教材を送れ」「うちの子が傷ついた」とかクレームを入れる時代でしょう。

そんな環境で、どれほど理屈を積み重ねても、実感が伴わないのだから、理科好きになるわけないし、まして科学的発見に繋がるわけがないですよね。

でも、教える側に、その価値が分からなければ、どれほど理屈を叩き込んでも、子供の身には付きません。

一度も間近で虫を観察したことがない子供に、鈴虫が羽根を摺り合わせて鳴く話をしても、いまいちピンとこないのと同じです。

また、理系と文系は分けて捉えられることが多いですが、科学知識と文学的センスは密接に繋がったものです。
天体望遠鏡を覗いて、星以外のものが見えない人には、科学的発見など無理なのですよ。

何故なら、科学も、突き詰めれば、想像力の先にあって、あるレベルまでは知識人の世界だけど、そこから先は、ドリーマーだけが進んでいけるからです。

目の前の符号が何を意味するか、知っているだけでは不十分で、そこから何を読み取るかが必要不可欠なんですね。

その読み取る力の源泉は何かといえば、松本零士的なファンタジーです。

実際、真の科学者ほどロマンティストな人はなく、さらにそれを突き抜ければ、クレイジーになります。

でも、クレイジーでなければ、寝食も忘れるような研究はできないのです。

そして、その原点は何かと問われたら、子供の頃にぶん投げた「電池と磁石で作るモーターカー」であったり、仏壇のロウソクであったり、病に苦しむ自分自身だったりします。

科学者ほど文学的感性が不可欠で、それを蔑ろにする者は、物識りで知られても、決して水深6000メートルの深みには辿り着けないのです。

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