カラマーゾフの兄弟 アレクセイ

幸福に必要な鈍感力 ~鋭い知性はむしろ人間を不幸にする

カラマーゾフの兄弟 アレクセイ
江川訳のカラマーゾフ

第1編 ある一家の由来

第4節 三男アリョーシャ

人間の善性は鈍感に通じるところがある。

誰の目にも《好ましい人》が必ずしも高徳とは限らず、単に「鈍感なだけ(良い意味で)」ということは往々にしてある。

なまじイワンのように鋭敏で、洞察力に長けると、何かにつけて嫌な部分が目について、かえって冷笑的になる。傍目には、これほど嫌みでとっつきにくい人間もなく、優れた知性が必ずしも人間を幸福にするわけではない証だろう。

その点、善良な鈍感さは、周囲の期待を外すことはあっても、不快にさせることがない。

イワンの言動が周囲の反感や怒りを買いやすいのとは対照的に、鈍感なタイプは「あの人は、ああいう性格だから」で全てが許されるところがある。

アリョーシャが能天気な善人というわけではないが、イワンより一本、神経線維が少ないおかげで、ずいぶん生きやすいのは本当だろう。
もちろん、アリョーシャにも苦悩はあり、欠点もあるが、イワンのように全人類の業を背負って絶望するのではなく、その痛みはどこまでも空中的だ。
子供の痛みを我が物のように感じてしまうイワンと違い、アリョーシャは観念の世界でそれを知る。言い換えれば、市井の人間として、とことん傷ついているのはイワンの方であり、根本的に、アリョーシャは人間的な苦痛から遠い人なのだと思う。何故なら、アリョーシャは、ずっと周りに愛され、自らも自分を愛することを知っているからだ。ある意味、アリョーシャの鈍感力というのは、本物の心痛を知らないからこそ育まれた才能とも言える。もっとも、作中では、『天性』のように描かれているが、天性としても、人間、いつかは、どこかで、絶望と怨念を知るものだ。それが無いということは、ズタボロのイワンに比べたら、やっぱり恵まれた人なのだと思う。

まず最初にはっきりと断っておかねばならないのは、アリョーシャというこの青年がけっして狂信者ではなく、少なくとも私に言わせれば、神秘家でさえけっしてなかったことである。あらかじめ結論的な私の見解を述べておくならば、彼は要するに早熟な博愛の人であって、僧院の生活にまっすぐに飛び込んで行ったのも、当時それだけが彼に感動を与え、俗界の憎悪の暗黒の中で愛の巧妙を見出そうともがいていた彼の魂に、いわば理想の進路をさし示してくれたからだけにすぎなかった。

また、この生活が彼を感動させたのも、ただ彼がそこで、彼に言わせれば非凡なる人物、すなわち、この町の僧院の高名なゾシマ長老とめぐり会い、初恋の人に抱くようなひたむきの情熱をかたむけてこの長老に打ち込んだからにすぎない。

本作を漠然と呼んでいたら、アリョーシャ=聖職者のイメージがあるが、序文の『作者より』で、「おそらくこの男もいわゆる活動家の部類に属する人間なのだろうが」と明記されているように、アリョーシャは「心の底からお坊さん」、高次な魂に恵まれた解脱者ではなく、「たまたま自分の欲する導きを与えてくれたのがキリスト教」ということで僧院に行った、普通の青年である。現代に喩えれば、道に迷う若者が自己啓発のサロンに入ったり、ヨガ教室に通いだしたり、○○学に興味をもって専門家の門戸を開いたりするのとよく似ている。たまたまそれが「キリスト教の僧院」だっただけで、『神に選ばれし者』では決してない。

では、筆者がなぜそのような点を強調したかといえば、私はやはり「続編の構想」に関連があると思う。あまたの文学者が指摘するように、ドストエフスキーは、「成長したアリョーシャが社会活動に身を投じる」という青写真を持っており、序文でもはっきりそう述べている。それが、大勢が推測するように『皇帝暗殺』であったかどうかは定かでないが、社会活動家の役割を果たすなら、アリョーシャは俗界の人でないといけない。俗界の人であり続ける……ということは、根っからの聖職者――完全に神に帰依するようなメンタリティでは成り立たないわけで、「神に愛されるような善人」としながらも、ドストエフスキーがあえて『平凡さ』を強調するのは、読者に「聖なる人」と勘違いさせない為ではないだろうか。

そんな彼の印象は、

幼年時代、少年時代を通じて、枯れ葉あまり感情を外にあらわすほうではなく、無口なくらいであったが、それも、人を信じないとか、内気だとか、陰気なつきあいぎらいだとかいう理由ではなく、むしろ正反対で、なにか別の理由があってのことだった。つまり、他人にはかかわりがないが、彼にとってはきわめて重要な、自分ひとりだけのいわば内心のもの思いとでもいったものにいつもとらわれていて、そのために他人のことはつい忘れがちになるのである。

しかし彼は人間を愛していた。生涯、人間を信じきって生きてきたようにも見える。だが、それでいて、だれひとり彼のことを薄のろとも、単純なお人好しとも見る者はなかった。彼の風貌には、何かこう、自分は人の裁き手にはなりたくない、他人を非難する気持ちにはけっしてなれないし、何についても非難したりするものか、とでも問わず語りに語っているような、思わずそう信じこまされてしまうようなところがあった。

アリョーシャは、幼い頃から、「自分の心の世界」を守れる人だったのだろう。周りがどうあろうと、自分の感性、自分の思考、自分の価値観を、心の砦の中でしっかりと守っていける。その超越感が、人間としての強みであり、理力なのだ。

その点、イワンは、しっかり自分を守っているようで、実は心が剥き出し。敏感すぎるがゆえに、傷も深い。一見、他人とは何の関わりなく生きているように見えるが、その実、人間や社会への関心が深すぎるから、余計なことを感じすぎて苦しむのである。

ここが周囲の印象とは真逆で、誤解されやすい。本当は一番注意を払わなければならない人間が、鉄の仮面を付けて、周りの視線を遮り、放っておいてもぐんぐん伸びていく人間が、周囲の愛情と関心を一身に集めている。天恵といえば、それまでだが、イワンの場合、真に理解してくれる人間が側にいなかったのが最大の悲劇ではないだろうか。

事実、この青年は、ごくごく幼いころから、どこへ行ってもみなに愛された。自分の恩人であり、㔦居てであるエフィーム・ボレーノフの家にいたときも、彼はこの家の人たちすべての愛情を一身に集め、まったくもう実の子同様に見られていた。
<中略>
してみると、自分に対して特別な愛情を呼び覚ます資質は、彼のうちにいわば本来的に、人為的にではなく、天性としてそなわっていたことになる。

イワンと比較して。

だいたいアリョーシャは、自分がだれの世話になっているかなどということには、まったく気を使わないほうで、この点がまたいかにも彼らしい、性格上の大きな特徴であった。兄のイワンが、大学生活の最初の二年間、自分で働いて食べていく貧乏生活を送り、ほんの幼い自分から、自分は恩人の家で他人のパンを食べて生きているのだと、痛切に感じていたのと比べると、その点、アリョーシャはまったく正反対であった。

そんなアリョーシャに対して、淫蕩父フョードルは初めのうちこそ警戒していたが、すぐに人間的魅力のとらえられ、深く愛するようになる。

屈辱に対しては人一倍鋭く感じやすい神経をもっていた父親は、最初のうちこそ、そんな彼にうちとけぬ不信の目を向けていたが、(「黙っているやつの気は知れない」というからな)、かれこれ二週間も経つうちには、もう度外れなくらいしょっちゅう彼を抱きしめては接吻するようになった。
<中略>
しかし、それが心底から深くアリョーシャを愛した結果であり、むろん、彼のような男が、これまで他のだれに対してもそんな愛情をもてたはずのないことも明らかであった……

アリョーシャがゾシマ長老に惹かれて、見習いの修道僧として僧院に行くと決めた時も、フョードルは上機嫌で送り出す。

おれはな、アリョーシャ、おまえを手放すのが惜しいんだよ。信じちゃくれんだろうが、ほんとうの話、おまえが好きになってしまってな……しかし、まあ、ちょうどいい機会ができたもんさ。ひとつ、おれたち罪深い者のためにお祈りをしてくれや、まったく、ここに腰を据えていて、おれもだいぶ罪つくりをしてしまったものな。いつも考えてきたもんだよ。いったいだれがおれのために祈ってくれるだろうか? そんな物好きがこの世にいるだろうか?

<中略>

まあ、ともかく行ってこいや、行って真理をきわめてきてな。帰ったら、いろいろ話してくれや、向こうの様子がはっきりわかっておったら、あの世へ行くのもすこしは楽だろうからな。

<中略>

おまえの頭はまだ悪魔に食われちゃおらん。ぱっと燃えるだけのものが燃えつきて、正気に返ったら、また帰って来るがいい。待っているぞ、この世の中でおれを責めようとしなかったのは、なあ、かわいい坊主、しみじみ感じ入っとるが、ほんとnおまえひとりきりだったんだからなあ」

筆者曰く「腹黒いくせにセンチメンタル」なフョードルは、天使のような三男アリョーシャに魂の救いと慰めを見出す。冒頭から繰り返し言われているが、フョードルというのは根っからの悪人ではなく、田舎の威勢のいいオヤジなのだ。真面目でナイーブであるがゆえに、逆に、自らを貶めて見せる、職場にも「おるおる、こういうタイプ」、正面から真剣に話せばいいのに、照れか、歪んだ謙遜か、わざと砕けた物言いをして、周りに誤解され、顰蹙を買うタイプ。

それでも人生の最後にアリョーシャという息子に巡り会えたのだから、幸せといえば幸せかも。

[EGAWALIST]
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