創造的な生き方とは

創造的であることが あらゆる苦悩から 我々を救ってくれる

「創造的に生きる」とは、絵を描いたり、詩を書いたりすることではありません。

無の平原から、意味のある何かを立ち上げることです。

より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。

どんなに小さくても、昨日よりは今日、今日よりは明日、少しずつでも歩みを進め、善きものを積み上げることを創造的な生き方と言います。

海洋小説『曙光』MORGENROODより

*

創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を解き放ってくれる」の源泉は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』(手塚富雄)の『そして、創造する者とは、人間の目的を打ち建て、大地に意味と未来を与える者である。こういう者がはじめて、あることが善であり、また悪であるということを創造するのであると』。

だが、その続きは、

そしてわたしは人間たちに、われらの古い講座を、またおよそあの古い誤信が坐している場所をくつがえすことを命じた。わたしはかれらに、かれらの徳の大教師、聖者、詩人、世界救済者に笑いを浴びせることを命じた

とあるので、必ずしも、純粋に「創造」を悦ぶ気持ちで書いたわけではない。

だとしても、『創造する者とは、人間の目的を打ち建て、大地に意味と未来を与える者である』という言葉はよい。

*

多くの場合、人間の苦悩は、他者の物差しによって、無価値巻や虚無感を植え付けられるところから始まる。

世の道徳やキリスト教なども例外ではない。

そうではなく、自ら生の価値を見出し、己の内側に人生の指針を求めよ――というのが、本作の意味するところだ。

また、ニーチェのいう善悪とは、罪の観念ではなく、人生にとって価値のあるもの、ないもの、と捉えると分かりやすい。

うっかりすると、個人が有罪・無罪を決定して構わないと受け取ってしまうが、人生における善悪とは、自己無価値巻や虚無感からもたらされる無為、怨念、攻撃、怠惰、といった負の感情であり、社会の裁判官になることではない。

いわばニーチェの「創造的」の真髄は、価値観の再構築と生き直しである。

思い込みを捨て、頭の中を真っ新な更地にして、今日から一つずつ、積み上げていく。

それはさながら、無の平原に人生という建築物を打ち建てるが如くだ。

自分自身と真剣に向き合い、日々の慣習を打ち破る勇気があれば、我々はいつでも新しい人生を手に入れることができるのである。

体得された自由の印は何か? ――もはや自分自身に恥じないこと。

元の記事はこちら

あわせて読みたい
創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を解き放ってくれる
創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を解き放ってくれる大洪水から6年の歳月が経っても未だ悪夢と喪失感に苦しむヴァルターは同郷の大学教授の講演に足を運び。「人間とは乗り越えられるものだよ。創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を救ってくれる」と励まされる。

中央公庫の分厚い本が、まだ880円で売られていた頃の、思い出の品。

ツァラトゥストラはかく語りき

参考記事 → 『ツァラトゥストラ』で読み解く ニーチェの『永劫回帰』と『生の哲学』

前後をじっくり読めば分かるけど、必ずしも、美しい意図をもって書かれた言葉ではありません。

早い話、「人生の善悪の基準をキリスト教や世の道徳から自分自身に取り戻せ」みたいなアジテーションであり、読み方によっては、「物事の基準を何でも自己中心に据える」という捉え方も可能です。

その結果、恐るべき利己主義モンスターが生まれる危険性もなきにしもあらず。

ゆえに劇薬みたいなところがある著書ですが、正しく理解すれば、非常に励まされる一文です。

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

目次
閉じる