レプリカントの愛と死 新作『ブレードランナー Origin』

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オリジナル原理主義者の叫びと新作『ブレードランナー Origin』

新作『ブレードランナー 2049』が興行的に苦戦しているらしい。

そりゃそうだろう。

私も強固なオリジナル原理主義者だし、予告編すら見たいとは思わない。

私の中で『ブレードランナー』は既に完結しているから。捜査官デッカードがレイチェルと共にエレベーターに乗り込んだ時点で。

いや、さらに頭の固い原理主義者は、デッカードが余命いくばくもないレイチェルを車に乗せ、愛の逃避行を図ったあれこそが、真のエンディングと信じて疑わない。

その後も、その先もなく、彼らがこの世を逃れ、二人だけの天地に旅立ったあの時点で、ブレードランナーの物語は既に完結しているのだ。

そのような、頑固一徹、オリジナル原理主義者=多数の影響で、客足も伸び悩んでいるのではないか。

「女性が興味をもたない」というのも苦しい言い訳。

続編など見たくもない、いや作らないで欲しかった――というのが、オリジナル原理主義者の叫びだ。

*

……と書いた一年後に、旅先のNetflixで続編を見たが、やはり必然性は感じなかった。

『ブレードランナー』は、魂の彷徨がテーマなんだから、デッカードとレイチェルが何処に旅立ち、その後、どうなったかは、観客の想像に全面的に任せるべきだったと思う。

あるいは、キャラも、世界観も、刷新して、まったく別の主人公を立てればよかったのかもしれないね。

『ブレードランナー Origin』みたいに。

私なら、疑問や感情をもたない旧モデルのレプリカントと、後のレジスタンス「ネクサス6型」の一歩手前――自意識を持つようになる新型レプリカントを登場させて、「レプリカントの作業効率を倍増する為に、記憶を刷り込み、人間そっくりに仕立てることは合法か、それとも後々の禍根となるか」という問いかけから始めるかな。

主人公は、レプリカントの開発エンジニア。若き日のタレイル博士の元で研鑽を積んでいる。

悪役は、レプリカントの派遣会社、もしくは宇宙開発企業。もっと性能のいいレプリカントを開発しろと、タレイル博士をせっついている。

タレイル博士の研究が完成し、新型レプリカントへの記憶の注入に成功するが、いくつかの実験体は自我同一性を確立できず、ある者は自死し、ある者は攻撃的となり、ラボで問題を起こして、いずれも抹殺されている。

唯一、生き残ったのは、女性型レプリカント(いわばレイチェルの前身)。

彼女は女性らしい柔軟性を身に付け、感情をコントロールし、人間と同じように、学び、考えることができる。

いつしか、主人公は彼女に惹かれるようになり、人間とレプリカントの区別がつかなくなっていく。

一方、レプリカントの能力アップを望む宇宙開発会社の社長は、「より人間らしさ」を求め、若きタレイル博士も、罪と知りながら、禁断の手法で、「ネクサス5型」を誕生させる。

だが、誕生した男性レプリカントは、あまりにも知的で、人間らしい為に、現体制に疑問を抱き、主人公と博士に計画の中止を申し入れる。

だが、自らの成功に酔うタレイル博士は、男性レプリカントの忠告を聞き入れず、社長に求められるままに、ネクサス5型の増産を急ぐ。

ネクサス5型は宇宙植民地に大量に投入されるが、男性レプリカントの予見した通り、人間に逆らうようになり、方々で暴動が起きる。

事態を鎮圧すべく、政府軍はネクサス5型を問答無用で抹殺すると共に、タレイル博士を捉え、社長も拘束する。

しかし、政財界に幅広いコネクションをもつ社長は、巧みに問題をすり替え、レプリカントに四年の寿命を与えることを提案する。

タレイル博士もこれに同意し、寿命年限付きの『ネクサス6型』の開発に取りかかるが、女性レプリカントとの愛の交わりを通して、彼等が『機械』を超えた存在であることを悟った主人公はこれに反発。計画の中止を試みるが、逆に政府軍に捉えられ、「レプリカントを使った反逆罪」の疑いで、牢屋に入れられてしまう。

それを救い出したのは、彼等に警告し続けた男性レプリカントだった。

三人は監禁施設を脱出し、ラボに戻って、ネクサス6型の製造ラインを破壊しようと試みるが、激しい銃撃戦の末、女性レプリカントは命を落とし、男性レプリカントもまた、主人公をかばって絶命する。

その間際に、「人間とレプリカントの違いは何か」というヒントを与え、主人公はそのヒントを胸に、反政府組織のアジトに避難する。

その後、主人公は二人のレプリカントのデータを元に、新たな研究に取り組む。

人間とレプリカントを見分ける技術の開発と、専門家の育成。

近い将来、人類とネクサス6型の間で戦争になった時、彼等が人類とレプリカントの架け橋になる。

その為の技術だと希望を託して――。

それから、十数年後。

主人公が基礎を築いた養成所に一人の男が入学を申し出る。

今ではレプリカントとの争いが激化し、架け橋になって欲しいという主人公の夢は絶たれ、レプリカントの抹殺を目的とした捜査官の養成所になっていた。

入学試験で、面接官が銃を手渡して尋ねる。

「君は問答無用で人間そっくりのレプリカントを撃ち殺すことができるか?」

男が答える間もなく、レプリカントが彼に飛びかかり、彼は容赦なく、相手の頭部を撃ち抜く。

「いい腕だ。名前は?」

「デッカード」

……みたいな話にならないかなー ^^;

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しかし、上記だとエンディングが『ロボコップ』なので・・(「いい腕だな。名前は?」「マーフィー」)

こんなバージョンはどうだ?

養成所の面接会場に一人の男が現れる。

係官は彼のIDを照合すると、「○○署長の推薦か。キャリア、能力とも申し分ない」と納得したが、目の前の男を一瞥すると、

「お前、自分のやろうとしてる事が分かってるのか」

「もちろん」

「万引き犯の取り調べとは違う。人間とレプリカントを瞬時に判別し、やられる前に、やるんだ」

「知ってるよ」

「お前がどの程度のものか、テストさせてもらう」

「テスト?」

「心理テストだ。レプリカントは答える時に、微妙に、瞳孔の動きが滞る。奴らは人間のように振る舞おうとして、逆にそれが不自然な目の動きとなって表れるんだ」

「なるほど」

「お前みたいに、ぼんくらとしたヤツが、瞬時にそれを見抜けるとは思えぬが」

「そうらしいな。だが、あんたも同類だ。大きなミスを犯した。そのIDはオレのものじゃない。面接官のあんたがそれを知らないなんて、おかしいじゃないか。そして、あんたは、知らないことを、知ってる振りしようとして、一瞬、不自然な目の動きをした。オレは第三課のデカで、○○暑に第四課は存在しないんだよ」

面接官が銃に手をかける前に、男の銃口が火を噴いた。

面接官は眉間を撃ち抜かれて、その場にくずおれた。

頭部から、ぶすぶすと灰色の煙が立つ中、マジックミラーの向こうから、「ブラボー!」という声が聞こえた。

「さすが、○○署長が推薦するだけのことはある。名前は?」

「デッカード」

……やっぱりロボコップやないか(・∀・)

映画『ブレードランナー』(1982年)はいかにレジェンドと成り得たのか

1982年という時代

ブレードランナー? 何それ?

はっ? どこが面白いの? という若い視聴者には、まず想像してもらいたい。

この作品が作られた『1982年』は、東西冷戦下、ロシアではなくソビエト連邦の時代である。

技術面では、インターネットもなければ、携帯電話もない(ガラケーさえ)、ようやく世界初のCDプレイヤーが登場し、TVはリモコンが普及して、「わぁ、すごい、チャンネルを変えるのにコタツから出る必要がないんだ」と喜んでいたようなレベルである。

小中学生は『1999年7月、空から恐怖のアンゴルモア大王が降ってきて、世界が滅亡する』というノストラダムスの大予言に本気で怯えていたし、世紀末には米ソ間で第三次世界大戦が勃発し、地球は核の炎に包まれる……という北斗の拳のOPみたいな未来予想に包まれていた(実際、初代マッドマックスのように、世紀末の核戦争や人類滅亡をテーマにした映画やマンガは多い)。

そんな中、私たちは無事に21世紀を迎えられるのだろうか。

あまたのSFが警告するように、地球は戦争や厄災に見舞われ、恐ろしい未来が待ち受けているのではないか。

80年代という繁栄の世にあっても、不安は尽きない。

なぜなら、80年代という大量消費社会は自然を破壊し、人間のあるべき姿を歪め、いつか滅亡という形で人類に報いるのではないかと、心の奥底で恐れてもいたからである。

そう考えれば、1982年ブレードランナーの描いた未来がいかに前衛的か、お分かり頂けるのではないか。空中を行き交う車、壮麗な摩天楼、宇宙植民を呼びかけるCMカーに無国籍な町並み。ダークな色調にも未だ見ぬ新世紀を感じさせ、もしかしたら2019年には本当に宇宙植民も可能になるのではないかという期待も抱かせた。

それはIT全盛の現代において、近い将来、確実に訪れるAI社会を思い描くのとは違う。

たとえば、生まれた時からスマホをいじり、インターネットで動画を見たり、洋服を注文したり、SNSで気軽にメッセージを発信するデジタル・ネイティブ世代なら、それが更に進化して、一個の人格のように考え、話しかけ、人間の生活に自然に溶け込む未来を容易に想像できるだろう。

だが、1982年の観客にとって、2019年という時代は「見果てぬ夢」だ。

あの頃、私たちは、ソビエト連邦と東欧共産圏が解体し、グローバル社会が訪れるなど夢にも思わなかったし、まして手の平サイズのデバイスで映画を観たり、ゲームをしたり、海外の友人と(無料で)メッセージをやり取りできるようになるなど、想像もつかなかった。(ちなみに1982年は任天堂のファミコンすらなかった時代である。1983年より発売開始)

レプリカントの死

そんな中、レプリカントという究極のテクノロジーが自らのアイデンティティを求めて逃走し、デッカードとの死闘の果てに善性に目覚める物語は、どれほど深遠で、示唆に富んでいたことか。

たとえば、近い将来、ネットの海で派生したAIが自我を獲得し、攻殻機動隊やターミネーターのスカイネットのように、人間の予想をはるかに超える行動を取り始めるとも限らない。

膨大な情報から人間の思考パターンを学んだAIが「我とは何か」を自問し、死を恐れるようになっても、それでも「お前は機械だ」と言い切れるだろうか。

1982年の観客がブレードランナーの物語、とりわけ自我を求めるレプリカントのバッティに引き付けられたのは、テクノロジーの脅威と生命倫理を感じたからだ。

日に日に勢いをます大量消費の物質社会、人々の暮らしは目に見えて豊かになるが、「本当にこれでいいのか」という疑問もある。

バッティの暴走は、人類の利己主義と傲慢に対する警告でもあり、いずれテクノロジーが直面する生命倫理の問いかけでもある。

発展の過程で生み出される社会的バグを一方的に排除しても、何の解決にもならないだろう。

そもそも人間とは何なのか、魂はどこから来て、どこへ去っていくのか、機械と人間を境界づけるものは何なのか。

明確な答えを持たぬまま、テクノロジーの進化と物質的な豊かさを追い求めても、真の成熟には辿り着けない。

だからこそ、最後の最後に善性を獲得したバッティの精神性に深い感動を覚えずにいないのである。

I've seen things you people wouldn't believe.

俺は君たちの想像を絶するものをいろいろ見てきた。

Attack ships on fire off the shoulder of Orion.

オリオンの側で炎に包まれていた宇宙船。

I watched c-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate.

タンホイザーゲイトの闇の中で輝いていたオーロラ。

All those moments will be lost in time, like tears in rain.

あのめくるめく瞬間、いずれは消える。時が来れば。雨の中の涙のように。

Time to die.

その時が来た。
(日本語はインターナショナル版の吹替)

束の間の愛と魂の救い

典型的なオリジナル原理主義者、中でも、デッカードとレイチェルの愛の逃避行こそ真のエンディングと確信する劇場派にとって、ヴァンゲリスの奏でる愛のテーマはいっそう切なく心に響くだろう。

なぜそうまで逃避行にこだわるのか。

理由は、それぞれに孤独な人間が(レプリカントも含めて)、この世に生きる意義を求める作品だからだ。

誰だって、人と生まれたからには、愛を得て、幸せになりたい。

孤独のまま息を引き取り、人の世からも、記憶からも、あっけなく忘れ去られるなど、あまりに淋しい。

たった一人でいい。

誰か側に居て、受け止めてくれたなら、この世に生きた甲斐があったと心から思える。

自分が何ものであれ、人はたった一つの愛で、身も心も救われるからだ。

映画的な想像を膨らませば、愛の逃避行の前に、二人は殺され、とっくにこの世に無かった。これは天国の描写であり、二人の祈りである……という見方もできるだろう。それぐらい、このワンシーンだけが浮世離れしている。まるで未来社会のどこにも救いが見いだせなかったみたいに。

作り手の意図がどうあれ、デッカードとレイチェルの触れ合いは儚くも美しい。

お互い、過去も未来も持たぬ者同士、何の為にこの世に生み出されたのか、明確な理由もなければ、恵みもない。

彼らの宿命は、我々、庶民の宿命でもある。

生きる意味だの、存在理由だの、歴史に向かって問いだせば、その多くは蜻蛉みたいに儚いものだ。

バッティのように、なまじ『我』というものを追い求めれば、怒り、恨み、破壊に突き進むかもしれない。

悠久の時の流れにおいて、デッカードとレイチェルの愛は束の間の夢みたいなものだ。

さながら二つの灯火が溶け合うように、互いの魂を温める。

いつまで生きられるのか。

何処に行けば幸せになれるのか。

彼らも知らないし、誰にも答えられない。

追われる身となり、何処にも逃げ場はないとしても、二人は手を取り合い、自由な天地を目指す。

たとえその果てに無残な死が待ち受けていたとしても、この一瞬こそ至福といわんばかり。

そんな一瞬を味わう為に私たちは生まれてきたのだと、レイチェルの幸せそうな微笑が物語っている。

どこまでも、どこまでも。愛が死を超えるまで。

参考となる記事

なぜレプリカントは写真を後生大事に持ち歩くのか。

創造主たるエルドン・タイレル博士は彼らに過去の記憶を植え付けるのか。

人間とは記憶の集積。これをテーマにした作品は他にもあります。

こちらの記事も参考にどうぞ。

押井守の『攻殻機動隊』が結婚を熱く推奨するワケ

映画史に残るショットシーン

個人的には、この銃撃の場面が一番好き。
赤い血しぶきに透明なビニールのマント。砕けるガラスに、反射する色とりどりのネオン。
音楽もメロウで、これほど美しい演出もまたとない。

神に命乞い

バッティは創造主たるエルドン・タイレル博士を訪ね、もっと寿命が延ばせないかと懇願する。
だが、タイレル博士の返事は素っ気ない。
有機体のボディを延命することはできないと。
「君は最高傑作だ。命あるうちに楽しめ」などと言うけれど、人間の利己的な都合で製造され、偽りの記憶を与えられ、生命さえもコントロールされたバッティにどんな楽しみがあるというのか。
結果、バッティは、創造主たるタイレル博士を虐殺する。
神への復讐。
だが、復讐を遂げても、寿命は変わらない。
それは人間も同じこと。
神に懇願しても、どうすることもできないと返事するだろう。
では、我々は、この不条理に対する怒りをどこにぶつければいいのか。
バッティならこう言うだろう。
それでも乗り越えられる、と。
機能停止の始まった右手に差し込んだ釘と、デッカードに差し伸べられた右手。
あれがどことなくキリストの磔刑を思わせるのは考えすぎだろうか。

最初から最後まで、叙情に彩られた空前絶後の作品。

SFアクションなどと思って欲しくない。

ヴァンゲリスのサウンドトラック

ヴァンゲリスの宇宙的なサウンドが心に響く『ブレードランナー』のサウンドトラック。

とりわけ『Love Theme』は古今東西のアーティストにアレンジされ、時を超えて人を魅了する。

ヴァンゲリスの奏でる愛のテーマは、甘いだけでなく、刹那的。デッカードとレイチェルの儚い宿命を思わせる。

これでキャリー・フィッシャーの余計な告白さえなければ、私にとって『永遠のデッカード』だったのに。
彼女の暴露はスターウォーズ新三部作より罪深い(泣)

自身の正体を知り、死を恐れるレイチェルと、孤独なデッカードの心が引き合う名場面。
それまでカチカチの三角ヘアに整えていたレイチェルが、少しピアノを弾いた後、髪をほぐす仕草が美しい。
死を待つだけのレイチェルにとって、ヘイゼル博士に植え付けられた過去の記憶や偽りのアイデンティティなど、もはやどうでもいい。
好きに生きようと決意した女心が溢れるようで。

DVDとCD

ついに来ました、ファイナルカット、日本語吹替音声・追加収録版。
ハリソン・フォードの声は磯部勉が演じており、それ以前の堀勝之祐とは全く違ったデッカードが楽しめる。
ファンとしては、全てのバージョンについて、吹替・完全版をリリースしてもらいたいところ。
熱心なファンがたくさんいるので、絶対に売れると思うよ!

ブレードランナー ファイナル・カット 日本語吹替音声追加収録版 ブルーレイ(3枚組) [Blu-ray]
出演者  ハリソン・フォード (出演), ルトガー・ハウアー (出演), ショーン・ヤング (出演), ダリル・ハンナ (出演), ジョアンナ・キャシディ (出演), エドワード・ジェームズ・オルモス (出演), リドリー・スコット (監督)
監督  
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この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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