谷川俊太郎の詩 ~空の青さを見つめていると~

目次

詩集『空の青さを見つめていると』から

空の青さを見つめていると

空の青さを見つめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない

陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私たちは拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない

窓があふれたものを切りとっている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる

在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去ると私の健康が戻ってくるだろう

孤独というのは、この世の何処にも帰る場所が無いことです。
そんな絶対的に孤独な人間にとっても、空は万人に同じように開かれています。
この世で、そこだけが平等で、恥も過ちも許される。
人が空を見上げる時、恍惚となるのは、自分を愛してくれる存在が何処におわすか、魂に感じるからかもしれません。

【Stars】 マックスフィールド・パリッシュ Maxfield Parrish

【Stars】 マックスフィールド・パリッシュ Maxfield Parrish

Kiss

目をつぶると世界が遠ざかり
やさしさの重みだけが
いつまでも私を確かめている……

沈黙は静かな夜となって
約束のように私たちをめぐる

それは今 距てるものではなく
むしろ私たちをとりかこむ やさしい遠さだ
そのため私たちはふと ひとりのようになる……

私たちは探し合う
話すよりも見るよりも確かな仕方で
そして私たちは探し当てる
自らを見失ったときに──

私は何を確かめたかったのだろう
はるかに帰ってきたやさしさよ

言葉を失い
潔められた沈黙の中で
おまえは今 ただ息づいているだけだ
おまえこそ 今 生そのものだ……

だがその言葉さえ罪せられる
やがてやさしさが世界を満たし
私がその中で生きるために

唇を合わせ、すぐ側に相手の存在を感じているような時でも、人はふと孤独を感じずにいません。
それは、どんな恋人同士も、心と肉体の隔たりを超えて、完全に一つになることは出来ないからです。
探しては巡り会い、巡り会っては見失う。
恋は幸福な幻想と、現実の隔たりの狭間で、不安な波に揺られながら、自分が孤独ではない証を探し求めるようなもの。
だから、時々、口づけて、この恋が本物であることを確かめずにいないのです。

Kiss

生長

わけのわからぬ線をひいて
これがりんごと子供は云う

りんごそっくりのりんごを画いて
これがりんごと絵かきは云う

りんごに見えぬりんごを画いて
これこそりんごと芸術家は云う

りんごもなんにも画かないで
りんごがゆを芸術院会員はもぐもぐ食べる

りんご りんご
あかいりんご

りんご
しぶいか
すっぱいか

大人になると、想像力を失うのではなく、
想像を肯定する勇気を失うのです。

大人になってから、それを口にすると、笑いものになるので。

ウィリアム・ウォーターハウス

なくしもの

ごくつまらぬ物をひとつ失くした

無いとどうしても困るという物ではない
なつかしい思い出があるわけでもない
代わりの新しいやつは角の店で売っている

けれどそれが出てこないそれだけのことで
引き出しという引出しは永劫の目色と化し
私はすでに三時間もそこをさまよっている

途方に暮れて庭に下り立ち
夕空を見上げると
軒端に一番星が輝きはじめた

自分は何のために生きているのかと
実に脈略の無い疑問が頭に浮かんだ

何十年ぶりかのことであるけれど
もとよりはかばかしい答のあるはずがない

せめて品よく探そうと衣服の乱れをあらため
勇を鼓してふたたび室内へとって返すと
見慣れた什器が薄闇に絶え入るかと思われた

意外なことに、人は大事なものほど無くしやすいのです。
何故って、大事なものは無くさない・・という思い込みがあるからです。
本当は大事なものほど心にしっかり持っておかないといけない。
ちゃんと、そこに在るか、しつこいほど確かめて、
大事に、大事に、持っておかないと、
大事なものほど二の次になって、最後には自分自身が忘れてしまうのです。

マリアンヌ・ストークス

マリアンヌ・ストークス

「夕焼け」から

ときどき昔書いた詩を
読み返してみることがある
どんな気持ちで書いたのかなんて
教科書みたいなことは考えない

詩を書くときは
詩を書きたいという気持ちしかないからだ

たとえぼくは悲しいと書いてあっても

そのときぼくが悲しかったわけじゃないのを
ぼくは知っている

書く人は、嘘つきです。
何故なら、書く人にとって言葉は作品になってしまうからです。
心から飛び出したものでも、作品になってしまえば、作品として完成されることが第一義になってしまいます。
だから、悲しくなくても悲しいと書けるし、必要とあらば、自分とは違う人間にもなってしまえるのです。

リュートを弾く少女

リュートを弾く少女

うつむく青年

うつむいて
うつむくことで
君は私に問いかける
私が何に命を賭けているかを

よれよれのレインコートと
ポケットからはみ出したカレーパンと
まっすぐな矢のような魂と
それしか持ってない者の烈しさで
それしか持とうとしない者の気軽さで

うつむいて
うつむくことで
君は自分を主張する
君が何に命を賭けているかを

そる必要もない
まばらな不精ひげと
子どものように
細く汚れた首筋と
鉛よりも重い現在と

そんな形に
自分で自分を追い詰めて

そんな夢に
自分で自分を組織して

うつむけば
うつむくことで
君は私に否という

否という君の言葉は聞こえないが
否という君の存在は私に見える

うつむいて
うつむくことで
君は生へと一歩踏み出す

初夏の陽はけやきの老樹に射していて
初夏の陽は君の頬にも射していて

君はそれには否とはいわない

青年の本質は、うつむいてばかり。
だから、意識して「前向きに」と号令をかけないと、すぐに項垂れてしまう。
自分の力不足から、現実に対する失望から、うつむいてばかりの青年に、己を啓発する言葉ほど心地よいものはありません。
言い換えれば、不格好でもうつむいていられる青年は、十分に自分を楽しんでいるといえるのです。

うつむく青年

うつむく青年

一篇

一篇の詩を書いてしまうと 世界はそこで終わる
それはいまガタンと閉まった戸の音が
もう二度と繰り返されないのと同じくらい
どうでもいいことだが

詩を書いていると信じる者たちは
そこに独特な現実を見出す
日常と紙一重の慎重に選ばれた現実
言葉だけとか言えばそうも言えない
ある人には美しく
ある人には分けの分からない魂の
言いがたい混乱と秩序

一篇の詩は他の一篇とつながり
その一篇がまた誰かの書いた一篇とつながり
詩もひとつの世界をかたちづくっているが
それはたとえば観客で溢れた野球場と
どう違うのだろうか

法や契約や物語の散文を一方に載せ
詩を他方に載せた天秤があるとすると
それがどちらにも傾かず時に
かすかに 時に激しく揺れながら
どうにか平衡を保っていることが望ましいと
ぼくは思うが
もっと過激な考えの者もいるかもしれない

一篇の詩を書く度に終わる世界に
繁る木にも果実は実る
その味わいはぼくらをここから追放するのか
それとも ぼくらをここに囲い込んでしまうのか

絶滅しかけた珍しい動物みたいに
詩が古池に飛びこんだからといって
世界は変わらない

だが世界を変えるのがそんなに大事か

どんなに頑張ったって詩は新しくはならない
詩は歴史よりも古いんだ

もし新しく見えるときがあるとすれば
それは詩が世界は変わらないということを
繰り返し僕らに納得させてくれるとき

そのつつましくも傲慢な語り口で

詩人は、詩を書き上げる度に、それまでの自分を完結してしまうもの。
そうして、詩を書く度に、現在の自分と決別するから、未来に足を進めることが出来るのです。
言い換えれば、読者が見ているのは、過去の自分であって、今現在の自分ではありません。
それはいつだって今書き上げた言葉の一歩先にあり、
実体がどこにあるのか、当の詩人自身でさえ分からないというのが本当です。

※ コメントは管理人の記述です。

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書籍の紹介

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谷川さんの類い希なるセンスと世界観がたっぷり味わえる初期の傑作集。
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ピンポンをするようにごく自然に詩を書き始めた青年は、やがて「ことばあそびうた」をあそび、自らの声でその詩を語り、透明感あふれる日本語宇宙を広げていった。
いつもいちばん新鮮でいちばん懐しい谷川俊太郎の決定版・代表詩選集。

初回公開日 2008年11月18日

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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