ドストエフスキー– category –
江川卓と原卓夫の『カラマーゾフの兄弟』と米川正夫訳の『罪と罰』をメインに「人と社会」「愛と救済」について読み解くコラム。
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ドストエフスキー真理は人間を自由にするはずだった → 自惚れから悪魔の側へ
「人間たちは、かつてのいかなるときにもまして、自分たちが完全に自由であると信じ切っておるのだ。そのくせ彼らは自分からすすんでその自由をわしらに捧げ、うやうやしくわしらの足もとに献呈してしまっておるのだがな」ここでいう『自由』というのは、「束縛されない」ではなく、「何でも好きなことができる選択の自由」の意味だ。即ち『原罪』の延長でもある。 -
ドストエフスキー第五編 第四節-2 慈愛あればこその無神 子供の涙はいつ報われるのか?
ある意味、イワンの神への不信は、政治や司法に何の期待もできなかった時代の虚無感であり、だからこそ、イワンのような当時のロシアの若者(あるいは知的階級)が、宗教ではなく、政治に変革を求めた動機も頷ける。祈っても無駄、政治体制や法律を変えない限り、こうした不幸はなくならないと。その極端な形が社会主義革命だったのだろう。 -
ドストエフスキー人間は近づきすぎると愛せない
「ぼくは身近な人間をどうして愛することができるのか、どうやってもわからないんだ。ぼくに言わせると、身近だからこそ愛することができないんで、愛せるのは遠くにいる者にかぎるんだよ」高尚な理想を唱えながらも身近な人間を愛せないイワンの心理とは。 -
ドストエフスキー神は人間が考え出したもの ~地上的な頭脳で考える
【 『カラマーゾフの兄弟』 第1部 第五編 『ProとContra』 より】カインとアベルのたとえ話 ~父親を見殺しにするのかの続き。きらきらと生の渇望を語り、ヨーロッパ行きを決めるイワンに対して、アリョーシャは不安を覚える。長兄ドミートリィによる父... -
ドストエフスキーカインとアベルのたとえ話 ~父親を見殺しにするのか
長兄ドミートリィによる父親殺しを予感しながらも、ヨーロッパに旅立とうとするイワンの行動にアリョーシャは強い不安を抱くが、イワンは「カインとアベル」になぞらえて、「僕は兄貴の番人じゃない」とあしらう。後々、この判断がイワンの良心の呵責となって重くのしかかる。 -
ドストエフスキー論理以前に愛するんです。絶対に論理以前に。
論理以前に愛するという言葉は、松本零士の「鉄郎、生きろ。理屈は後から考えればいい」に通じるものがある。何の為に生きるのか、存在することに理由はあるのか、あれこれ考える以前に、まずは生きるべき、というアリョーシャの提言はまったく正しい。”先に理屈あり”では、理由の為に生きることになる。理由の為に生きるようになれば、理屈通りにいかなくなった時、必ず挫折する。 -
ドストエフスキーProとContra の注釈 ~肯定と否定、世界を形作る二つの相反する価値観
肯定と否定。人は迷いや不安を解消する為に「どちらか一つ」を選ぼうとするが、私たちは双方と上手に付き合うことによってしか地上に存在しえないように感じる。イワンのように、否定ばかりでは心がもたないし、アリョーシャのように、あまりに心が清らかだと、かえって物事が混乱するかもしれないから。 -
ドストエフスキー愛の欠乏と金銭への執着 ~父に捨てられた長男ドミートリィの屈折(2)
父親に厄介払いされた長男ドミートリィは幼少時からたらい回しにされ、金で周囲の歓心を買う、無節操な人間に育っていく。自分の父親が金持ちの小地主と知った途端、実際以上の資産を受け継げるものと勘違いし、金勘定に長けた父親が自分を騙そうとしていると逆上したところから悲劇が始まる。 -
ドストエフスキー淫蕩父 フョードル・カラマーゾフ 指針を欠いたロシア的でたらめさ (1)
不幸の元凶である淫蕩父は金勘定に長けた地方の小地主。愛も責任も持ちあわせない結婚をして、幼い長男ドミートリィを放り出す。右に左に迷走するロシア社会のでたらめさを体現するような人物で、非情というよりは、心の指針を欠いた俗物であるのがありありと解る。 -
ドストエフスキードストエフスキーという作家の全てが凝縮した『カラマーゾフの兄弟』プロローグ
ドストエフスキー最後の大作『カラマーゾフの兄弟』は、カラマーゾフ一家、とりわけ、主人公のアレクセイ・カラマーゾフ(アリョーシャ)に詳しい”書き手”の回想録として始まる。「これが蛇足だという意見には、私もまったく同感だが、なにせもう書いてしまったものであるし、このまま残しておくことにしよう」の一文に長文体質ドストエフスキーの心情が垣間見える。 -
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』執筆の背景 ~ドストエフスキー評伝より
ドストエフスキーは病み、疲労し、発想力を失っていた。しかしそれだけではなく、今やドストエフスキーにとってこの小説は「小説の中でも最も重要な小説の一つ」だった。この作品は「入念に仕上げなければならない」。さもなければ、「作家としての自分自身を未来永劫にわたって傷つけることになる」とドストエフスキーは書いている。 -
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』江川卓訳をお探しの方へ(原卓也訳との比較あり)
絶版になって久しい江川卓訳『世界文学全集(集英社)』のカラマーゾフの兄弟を抜粋と写真で紹介。現代的で読みやすい訳文です。原卓也訳との比較も掲載。2021年はドストエフスキーの生誕200年のアニバーサリーイヤーにつき文庫化の可能性もあり。興味のある方は復刊リクエストにご協力下さい。