エッセイ&コラム– category –
心、人生、生き方、社会、恋愛、科学などをテーマに書き綴るメルマガのアーカイブと小説の引用、詩作。
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エッセイ&コラム安逸な日常を疑え 『隣同士の蛙』イソップ寓話集より
隣同士の蛙が二匹、一匹は深くて道からも遠い沼に、もう一匹は道にできた小さな水たまりに住んでいた。沼の蛙がもう一方に、自分の側へ引っ越して来て、もっと楽しく安全な暮らしをするように、と勧めたが、こちらは、住み慣れた場所から離れがたい、と言って従おうとしなかった。そしてとうとう、通り過ぎる車に轢き殺されてしまった。 -
エッセイ&コラム扇動政治家は祖国を内紛へと誘導する時、最も力を発揮する『水を打つ漁師』イソップ寓話集より
「しかし、こうやって川をかきまぜないと、俺さまが飢え死にせにゃならん」このように国の場合でも、扇動政治家は祖国を内紛へと誘導する時、最も力を発揮するのだ。ジョン・レノンのイマジンと併せて。 -
エッセイ&コラム形状の不快さ ばかけんちくの末路と建築家の冒険
通称「五重塔ビル」=「ソフィテル東京」に対して、不安定なポーズで下町で一人SFしている姿に勝手ながらもさすがに「人の故郷でナニしてやがんだコノヤロー!」と思うと同時に悲しくなりましたと住民の声。斬新なものが受け入れられるには土地との親和性が欠かせません。 -
エッセイ&コラム疑問も議論もなくなれば、行き着く先は思想統制 #0117
何を作ろうと個人の自由だが、面白ければそれでいいのか。新しければ全て許されるのか。疑問も議論もなくなれば、行き着く先は、寡占であり、思想統制。あちらが統制しなくても、考える側から、思考力や知識欲が失われて、何も感じなくなれば、あちら側の大勝利なのです。 -
エッセイ&コラム身内主義が技術と知性を滅ぼす・どちらを向いて喋ってるの? #0100
専門家集団は、その分野で成り上がる為に多大な時間と経費をかけ、ようやくここまで成り上がってきた人たちの集まりですから、他より仲間意識が強く、お互いに褒め合い、庇い合いしないと、存続できない宿命を背負っています。 -
エッセイ&コラム専門家の説明責任とは ~身内主義と責任逃れ #0118
専門家は一般人が知り得ない高度な知識や技術を有すると共に、知らない人も納得いくように説明する責任を負っている。一般人が安心して暮らせるのも専門家が社会的責任を果たせばこそ。身内主義は責任を回避し、問題を深刻化する。 -
エッセイ&コラム「意味・思想」はおかしな作品の存在を正当化する免罪符にはならない #0114
「意味・思想」はヘンな建物の存在を正当化する「免罪符」にはならない。裸の王様がフルチンで歩けば、最新のモードだろうが、透明な織物であろうが、一般人の目にはフルチンにしか見えない。 -
エッセイ&コラム作り手の意図さえ感じないデザインと思考停止の企画書文化 #0110
「名古屋なら鯱」のように作り手の意図さえ感じない企画書文化が豊かなポテンシャルを台無しにしてしまう。町は一代限りの住まいではなく、何十年、何百年にわたって栄えるもの。本当にご当地の文化財が活かされているのだろうか。 -
エッセイ&コラムデザインが優れても、市民には使い勝手が悪い建物もある #0109
デザインとしてどれほど美しく優れても、実際に使う一般市民が不便に感じるようなら意義も半減する。建築家と市民の価値観の違いで済まされないこともある。問題はデザイン云々ではなく、実際にそれを利用する人の市民の声が反映されないこと。 -
エッセイ&コラムデザインの主張が公の利益を損なうこともある #0108
最新のデザインも買い物客の心理を無視すれば集客に失敗し、多大な負債を抱えることもある。なぜデザインする者には幅広い学びと高い見識が必要なのか。一般人の『居心地の悪さ』は自治体や施設の衰退に繋がる。 -
エッセイ&コラム守るべき品位と世界観 文化財のキティちゃん化は上質な観光客を遠ざけるかもしれない #0107
何でもキャラクター化してウケを狙うのもいいけど、文化理解や尊敬の念をなくして、遊び心が過ぎると、本当に価値を理解する客層が離れてしまう。守るべき品位や世界観を無視して、キティちゃん化すれば知識の劣化と虚しさをもたらすのではないか。 -
エッセイ&コラムなぜ公共建築はディズニーランド化するのか #0103
一つ当たれば我も我もと続くのが世の常。新しいものを試みようとしても「これが流行だから」と反対されることもある。惰性が惰性を呼び、全てが定型化、固定化していくのが総ディズニーランド化の本質かもしれません。