寺山修司– category –
寺山修司の詩・戯曲・コラムからお気に入りの作品や引用を紹介。『詩を作るより、田を作れ』という名言に集約される文人スピリットに即した文芸コラムです。
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寺山修司どんな偉大な作家も半分しか書くことはできない ~寺山修司の論談より
心の中、あるいは頭の片隅に、何かアイデアを抱えていても、「恥ずかしいから」「まだ中途だから」「素人だから」「時間がないから」、等々、様々な理由で、表明しない人は少なくないと思います。しかし、誰にも言わず、形にもしなかったら、それは最初か... -
寺山修司人生というのは、いつ始まるのだろう
泥水すすって、初めて知る世間もあり、生きていくということは、実に奥深い。奥深いからこそ、子供には第二の誕生が必要で、二度目に生まれた時には、人生はただ苦痛なものではなく、不様でも生きるに値するということが、ようやく分かってくるのである。 -
寺山修司『詩を作るより、田を作れ』 文芸の価値と詩を役立てる心
「詩を作るより、田を作れ」という思想は、根本的には政治主義に根ざしたものである。「役に立つ詩」はなくても「詩を役立てる心」はある。寺山修司のコラムより社会的な実用性と文芸のあり方について考察する。 -
寺山修司寺山修司の『時速100キロの人生相談』~高校生の悩みに芸術的回答~
寺山修司が高校三年生の悩みや意見に芸術的に回答する珠玉の人生相談。当たり前のことを当たり前のように書かず、斜め横から真実を突き刺すような喩えが素晴らしい。 -
寺山修司手頃な幸福論で飼い慣らされる現代人の不幸について ~寺山修司のコラムより
いつの時代も『幸福論』は重宝されるが、「自分が幸せに感じるなら、全て良し」とする幸福論ほど、お手軽で、麻薬要素の強いものもない。治ったような気がするだけで、実は何も解決しておらず、幸福に感じようとすればするほど、逆に破滅に突っ走っていくからだ。 -
寺山修司生まれた時代が悪いのか、それとも俺が悪いのか ~ガラクタでも輝けた1960年代
「生まれた時代が悪いのか、それとも俺が悪いのか。何もしないで生きてゆくなら、それはたやすいことだけど」。若者が権力に逆らった時代でもある1960年代の追想と、スポーツ界の敗者について綴るコラム。ガラクタでも光り輝ける時代の寛容さと現代の厳しさ。 -
寺山修司ふしあわせという名の猫がいる ~寺山修司の名詩選
寺山修司の詩集よりお気に入りの詩を紹介。「ふしあわせという名の猫がいる」「ほんとに愛しはじめた時に淋しさが訪れる」「思い出をかためてひとつの石にしてしまいたい」 -
寺山修司文学と自己啓発の違い 寺山修司 編著『人生処方詩集』
こんな詩を読んで慰むことができるような悩みなど、本当は病気というほどのものではあるまい。大体、生きることに自信を失いかけている者に「世界は円い。それにくらべるとおれたちはスラリとしている」という薬剤の処方をするドクトル・ケストナーはひどい食わせ物なのではないだろうか? -
寺山修司寺山修司の『ポケットに名言を』 ~言葉を友人に持ちたいと思うことがある
「言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がついたときにである」言葉と共に生きた寺山修司が映画や文学、昭和歌謡の味わい深いフレーズについて解説する珠玉の名言集。 -
寺山修司母と息子の歪な愛 寺山修司の戯曲『毛皮のマリー』
寺山修司と母・はつの親子関係を彷彿とさせる戯曲の抜粋と考察。「お互いに母子そっくり、幻滅しあい、にくみあいながら生活しているんですよ」といった親子の葛藤に併せて、「うそよ、臆病なのよ。世界を見るのがこわいのよ。いつもドアをそっとあけてそうのすきまからしか人生を覗き見できない自分が、みじめじゃない?」という美少女の台詞に代表される青年の自立も描いている。 -
寺山修司『幸せ』が人生の目的ではなく ~寺山修司の『幸福論』より
【本当の幸福論】幸せになれない自分も大切にしよう私も30代前半から半ばにかけて、突然、「幸せ」について考えるようになり、その系統の本にもずいぶん目を通したものです。女性向けの「愛されて幸せになる!」系のエッセーから、ビジネスマン必読の自己... -
寺山修司『片思いの詩集』寺山修司 人を好きになることを愉しもう
『片思いはレコードでいえば、裏面の曲のようなものです。どんなに一生懸命唄っていても、相手にはその声がきこえません』恋する乙女の気持ちを純朴に綴った片想いの詩集より、お気に入りの恋の詩を紹介。心から綺麗になりたいあなたへ。