【コラム】 ココ・シャネルと女性の自立について
ココ・シャネルの伝記を読んでいると、女性の自立を体現した、先進的な人物として描かれることが多いが、一方、心の奥深くで、グツグツと煮えたぎるような女の怨念を感じることもあり、果たしてこれが女性の目指すべき真の自立なのかと考えさせられること、しきりである。
これが十年前なら――独身時代の、一番生き生きと輝いていた頃に読んでいたら――「ココ・シャネルは素敵な女性。私もこんな風になりたい」と強く憧れたに違いない。
だが今、じっくり読み直してみると、彼女の言動や生き方は、かなりの部分で強がりも入っているし、それを「自立」というなら、こんな自立は要らない――というのが正直な気持ちだ。
「シャネルがつまらない女だから」ではなく、立ち位置の違いで、そう感じるだけのことなのだが。
そんな私のシャネルに対するイメージは、『世界一、コケにされた女』。
その一言に尽きる。
そういうと、世界にごまんと存在するシャネルの信奉者、あの世にいるシャネル自身からも跳び蹴りを食らいそうだが、実際にそうなのだから仕方がない。
最初に、誤解のないように言っておくが、この言葉は、シャネルをコケにした男たちに対する怒りの気持ちが99%である。
たとえば、シャネルの最愛の男で知られ、シャネル・ブランドを世に送り出す原動力となった、『ボーイ』こと、アーサー・カペル。
シャネルとあれほど愛し合い、支え合いながらも、ギリギリのところで己の将来と天秤にかけ、貴族の娘と結婚した。
私がシャネルなら、こんな仕打ちは絶対に許さないし、その日を限りに、愛も信頼もすべて消え失せるだろう。
いやもう、女である我が身さえも呪わしく、腹の底に怨念をたぎらせ、総力を尽くして復讐するに違いない。
「あんたより絶対に偉くなってやる。そして、もう二度と、誰にも、私を踏みにじらせはしない」と。
その後の、凄まじいまでのシャネルの仕事ぶりについて、高尚な志や努力の賜と思うなら、その人は「女」というものを相当に誤解しているか、シャネルその人を美しく想像し過ぎだと私は思う。
世界で最も自分をコケにした男に対する復讐心――見方を変えれば、人を人とも思わず、家柄だけで平然と差別し、切って捨てる上流社会、そして、その階級に生まれたというだけで、シャネルよりもはるかに多くの富と特権を誇る女たちに対する闘争心――それらが渾然一体となって、モードの頂点を駆け抜けたのが、シャネル・ブランドの本質だ。その根底には、美しき怨念の火の玉が燃えさかっている。
女性の両手を自由に解放するため考案されたショルダーバッグも、片手で楽に取り扱えるリップスティックも、「もう誰の手も必要としない。あたしは、あたしのやり方で、力強く生きていく」という意思表明であり、自分をコケにした男たちに対する宣戦布告でもあるからだ。
でも、何からの自由? と問われたら、そこには『男』が当てはまる。
女たちがうんざりしているのは、男社会や男性そのものではなく、いつも心のどこかで男の支えや愛を必要とし、その度に裏切られ、もう待つまいと心に決めながらも、どこか覚束ない自分自身に他ならないからだ。
シャネルの体現した自立、そして、彼女に賛同する女性たちが思い描く自立とは、突き詰めれば、『男に振り回されない人生』である。
男に依存せず、煩わされることもない、強い心と生きる手立てを得る為なら、仕事もバリバリこなすし、対等に意見だってする。教養も身に付けるし、男が跪くほどの美貌だって手に入れてみせる。
男より優位に立てば、裏切られることもないし、待つ必要もない。
あてにならない言葉にすがって生きていくのは、もうたくさん。
あたしは、二度と、男に振り回されたりしない。
――と信じて。
しかし、男女という性において、立場が逆転することは絶対にない。
たとえ、法的、社会的に平等になろうと、愛の場面において、女性が男性より優位に立つことは不可能だからだ。
下品な言い方になるが、その気のない男を呼び覚ますことはできない、それが真実だ。
女性性というのは、とことん受け身にできていて、それ故に我が身を守ることができる。
もし、女性の卵子が、男性の精子なみに製造されて、異性を求めて激しく活動したら、年中、妊娠・出産を繰り返して、心身ともに激しく消耗するだろう。
だから、一ヶ月に一個、活動期も期間限定、男性がその気になった時だけ受精のチャンスがある。
それは有利とか不利とかの問題ではなく、個体が生き延びる為のシステムであり、その凹凸をひっくり返して、男性より優位に立とうとすれば、どこかで無理が生じる。
それは能力や人間性の問題ではなく、生物としての仕業である。
ゆえに、昔の女性は、それを『業』と呼び、我が身を呪って井戸に身を投げたり、大蛇になって男を焼き殺すこともあれば、とことん耐えて、尽くすことに美徳を見出したりもしてきた。
武家の花嫁のように、「この業から逃れる術はない」と腹を括ればこそ、思いがけない強さを身に付けることもできたのである。
その点、現代はどうだろう。
金とキャリアを手にすれば、男より優位に立てると幻想をもったばかりに、余計なことで自分を磨り減らし、かえって愛を遠ざける結果になった女も少なくないのではなかろうか。
女性にとって、真の自立とは、男性と対等な地位や力を手に入れることではなく、男に左右されない明鏡止水の境地である。
たとえ男と同等のものを手に入れたとしても、あなたが「女性」である限り、男性から完全に自由になることはできないし、たとえ男性を求めないにしても、自分の中の「女性」をまったく意識することなく、人生を終えることなど不可能だろう。
何所で、どんな風に生きようと、私たちは、まず第一に『女性』であるし、それを否定したり、取り消すことは誰にもできない。
だから、「強くなれ」ではなく、「受け入れろ」なのだ。
それは、屈服や諦めとは異なる、積極的な受容である。
女ゆえの弱さ、淋しさ、不安、諸々を正面から見据え、それならそうと腹を括って、新たな作戦を立てる。
挑戦すべきは自分であって、男性ではないのだ。
だから、まずは自分を許そう。
心と体の不自由を受け入れよう。
そして、「こうでなければ」という拘りから、自由になろう。
自立とは、男から、社会から、家族から、一人旅立つことではない。
自分自身から自由になることである。
男と張り合う人生も、男に振り回される人生も、根本的には変わりない。
動機に『男』が存在する限り、女は不自由だ。
真に自立した人生とは、男がいようと、なかろうと、まったく動じることがないのだから。
ともあれ、ココ・シャネルの伝記は、若いうちに一度は読んで欲しい。
そして、本当にシャネルを尊敬するなら、シャネルのバッグを片手にセレブを気取ったり、男漁りなどしないこと。
それこそシャネルの志した女性の姿とは真逆のものだから。
シャネルの名語録
男が本当に愛していたら、結婚するものだ
「同棲も結婚も一緒よネ」「愛があれば、永遠に結婚できなくても幸せだよネ」と気楽に考えている部屋女、もしくは不倫相手のお嬢さん方は、一度、真剣に、『結婚』というものの社会的意味について考えてみたらいいと思います。
精神的・肉体的結びつきに結婚が関係ないのは、本当の話です。
でも、社会的意味において『結婚の重み』というのは、この世のどんな関係よりはるかに勝ります。
「紙切れ一枚」というけれど、その紙一枚がどれほどの効力をもっているか──男がどれほど調子の良い事を言っても、法や社会の前には、愛人や恋人には何の権利も立場もないのです。
そして、それほど重いものを女に与えようという。
この男の決意、覚悟、諦め、etc。
単に「交際3年目」だけでは男が首を縦に振らない理由は、「好き」とか何とか以上に、そして女性以上に、この重さを本能で理解しているからです。
言い換えれば、男にとって、結婚は、相手の女性に対する最大の誠実でもある。
「こんなに愛し合ってるんだからさぁ、結婚なんかしなくていいじゃん、一緒に暮らすだけで楽しいじゃん」などとヌケヌケと口にするような男を信用すればバカを見るよ、というのはそういう理由です。
だからギリギリのところでアーサー・カペルに秤にかけられ、結婚という最大の誠実から背を向けられたシャネルの痛みと屈辱は計り知れないものだったでしょう。
あれほど信じた大胆不敵な男が、結局は、自らの保身のために貴族の娘を選んだのですから。
著書では、そんなアーサーもやがて自らを悔い、離婚して、シャネルと一緒になるために動き始めた矢先に交通事故で亡くなった……というような話が伝えられていますが、それはもう当人にしか分からないことです。
何にせよ、女性の自立のシンボルとされたシャネルが、こういう言葉を残しているのは非常に興味深いです。
家で待つだけの女になってはいけない
これは専業主婦否定の言葉ではなく、ぼーっと男の愛を期待して、振り回されるだけの女になるな、という事です。
だからといってがむしゃらに予定を増やしたり、明るくはしゃいで見せる必要はないし、デキる女を気取る必要もない。
ただ、自分の幸せの決定権を男に依存するな、ということですね。
男というのは、苦労させられた女のことは、忘れられないものね
私も昔、ある女性に言われました。「億を積まれる女になれ」と。
男は自分が金をかけた女のことは絶対に忘れないし、たとえ飽きても粗末にもできない。逆に、どれほど夢中になっても、一銭もかけなかった女のことはすぐに切り捨てることができる。
だから、億を積まれる女になれ。男には金を使わせろ、と。
それは「男が奢るべき」という意味ではありません。
たとえばレストランに行って、「ここはボクが……」と男が財布を出してくる。
それは女性に対する礼儀云々よりも、自分の男としての力の誇示なわけです。
「ボクには君をご馳走して、満足させられるだけの器も経済力もあるよ。男としての力をいっぱい持ってるんだよ」
それを理解して、男を立てれば、同じだけのものをお返しされなくても、男はプライドが満ち足りる。
自分の力で女を幸せにしたという自信がみなぎって、ますますその女のことが愛しくなる。
幾ら払ったか、ではなく、どれだけ男の力を認めてもらえたか、ここが重要なポイントなわけです。
そこで「平等にしましょう」とか「同じだけのものを買ってお返ししましょう」とか、女がしゃしゃり出ると、途端に興ざめる。女は、礼儀正しいつもりでも、男は面目丸つぶれ、こんな女、いらん、となってくるわけです。
もちろん、相手の男性に、男としての矜持があれば……の話ですが。
だから、言い方乱暴ですが、男には、彼が望む限り、せっせと働いてもらえばいいのです。
そしてどんな小さなことでも満足して、喜んで見せる。
あなたが先に満足してはいけない。男のプライドを満たすのが一番です。
そうして、あなたの為に、手間暇掛け、お金をかけ、さんざん苦労させられた男は、あなたのことを絶対に粗末にできない。
たとえ他に若くて可愛い女の子に目移りし、「やっぱ若い娘はええなぁ」と思ったとしても、別の部分であなたのことも思い続ける。
それだけのものをあなたに懸けてきた、その重さが惜しいからです。
男の気持ちって、「あの子に会うために、深夜の高速を5時間かけて走ったなぁ」とか「会議を抜け出して、トイレに行く振りして公衆電話に駆け込んで、風邪引きのカノジョに『大丈夫か?!』と電話したなぁ」とか、そういう部分にあるものだから。
「自分を安売りする」というと、「全然イケてない男と妥協して付き合うことだ」と思い込んでいる女性も多いけど、まったく意味が違う。
「安い女」というのは、男が一銭(労力)も使わなくても気ままに遊べる女、そしてそれを愛と思い込み、自分の方から精神的にも肉体的にも投資する都合のいい女のことを言う。
男に大事にされたければ、いい意味で、どんどん男を働かせて、男のプライドを満たすことだと思います。
書籍の紹介
シャネルに関する本を読んでいると、そこに浮かび上がってくるのは、燃え立つような野心と癒されがたい傷をあわせもつ少女の姿です。
確かに当代随一のエレガントな女性には違いないけれど、悲鳴を上げているのは「少女」の方だな、と。
だからこそ、無垢な少女のように既成の概念と闘えるし、人の過ちにも寛容になれる。
保身のために貴族の娘とアーサー・カペルに、階級という現実、そして男の利己心をイヤというほど見せつけられたシャネルは、一方で、そんな彼の弱さをも愛したのかもしれません。
また、夫の地位や権力に守られて、ぬくぬくとしている上流夫人たちへの反発もさることながら、男に依存するがために、自分を失い、淋しくすがり、やがてぼろぼろに傷ついて、飽きられ捨てられる女たちの哀しみも目の当たりにしたことでしょう。
「男から自由になりなさい、自立しなさい」と叫ぶシャネルは、「復讐の女神」であると同時に「ジャンヌ・ダルク」という印象があります。
シャネル・スーツでなくても、高級なウールで仕立てられたリクルート・スーツに身を包み、ルージュを引き、お気に入りのショルダーバッグを肩に提げて、ヒールの音高く通勤電車に乗り込む時、皆さんはどんな気持ちになりますか?
あの不思議な高揚感は、全部、シャネルからの贈り物だと知っていましたか?
あのCCのマークの付いたシャネルグッズを身につけなくても、シャネルの夢と励ましは、いつも女性の傍らにある。
そんな気持ちで読んで欲しい本です。
数あるシャネル本の中でも一番手軽で読みやすい文庫本。
筆者の思い入れを前面に出さず、史実に忠実に描かているところも好感が持てる。
とりあえずシャネルの生い立ちや恋の遍歴、仕事に対する思いなどを伝記風に理解したい人におすすめ。
ファッションのみならず、その一言一句が世界中の女性の心を動かしたシャネル。
そんな彼女のスピリットの真髄がぎゅっと詰まった一冊です。
60の名言に対し、作者の解説が1~2ページの長さでまとめられています。これも読みやすいです。
著者 エリザベート・ヴァイスマン (著), 深味純子 (翻訳)
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こちらも伝記仕立てのシャネル本。翻訳本だけあって、山口本よりさらに切り込んだ表現が多い。
従業員から「他人に厳しく、攻撃的で、威圧的で、移り気で、扱いにくい人物」と言われたシャネルの実像が伝わってきます。
著者 オドレイ・トトゥ (出演), ブノワ・ポールブールド (出演), アレッサンドロ・ニボラ (出演), マリー・ジラン (出演), エマニュエル・ドゥボス (出演), アンヌ・フォンテーヌ (監督)
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実際にCHANELのモデルとして活躍するオドレイ・トトゥが敬意を込めて熱演した爽やかな伝記映画。
「シャネル・ブランド」として立つ以前の、ココの生き方や恋が描かれる。
19世紀のゴテゴテした貴婦人ファッションの中にあって、恋人の紳士服を上手くアレンジしてスマートに着こなすココのスタイルが見物。これがいわゆる「女性用スーツ」の前身なんだなぁ、と。ファッション史としても楽しめます。
ラスト、白いシャネル・スーツを身を包んだココの姿は女神のように気高く美しい。
著者 シャーリー・マクレーン (出演), バルボラ・ボブローヴァ (出演), マルコム・マクダウェル (出演), セシル・カッセル (出演), ヴァレリア・カヴァッリ (出演), ブリギッテ・クリステンセン (出演), ジャン=クロード・ドレフュス (出演), マリーヌ・デルテルム (出演), アニー・デュペレー (出演), ヴァンサン・ネメート (出演), オリヴィエ・シトリュク (出演), サガモール・ステヴナン (出演), クリスチャン・デュゲイ (監督)
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これもまた世界的シャネラーとして名高いシャーリー・マクレーンが、老境にさしかかったココを知的に演じ、自らの生い立ちを振り返るという伝記映画。
シャネル・ブランドの歴史を知る上でも非常に興味深い。
初回公開日 2010年11月3日