錯乱か、恍惚か。伝説の酩酊『Lover Man』
先日、クリント・イーストウッドの映画を探していたら、天才サックス奏者チャーリー・パーカーの伝記映画『バード』に行き当たった。
チャーリー・パーカーは「モダンジャズの父」と呼ばれ、勢いのあるアドリブで一世を風靡したが、若い頃から麻薬とアルコールに耽溺したため、35歳の若さで急逝する。
数ある名演の中でも特に知られているのが「ラヴァー・マン」のスタジオ録音。(ラヴァー・マンに関してはこちらの記事を参照

パーカーは、スタジオ入りする前にウイスキーをガブ飲みして、泥酔状態のままレコーディングを開始した。
それはそうと,意識朦朧としたままでレコーディングはスタートした。1曲目は「マックス・イズ・メイキング・ワックス」である。パーカーとトランペットを吹くハワード・マギーとのユニゾンで始まるこの演奏は最初からばらばらの状態で,パーカーのソロも何とか最後まで辿りつけたという感じだった。
続いてパーカー自身の強い希望で「ラヴァー・マン」が演奏される。ピアノによるイントロの次に彼がテーマを吹くことになっていたが,演奏が始まらない。うとうとしていたのだ。やっと気がついたパーカーが何とか吹き始める。しかしアイディアが纏まるはずもない。最後まで演奏はしたものの,内容は支離滅裂で,閃きに富んだ日頃のプレイとはまったく違う。
そんな状態でもう2曲が録音されたものの,この日のパーカーは結局クリエイティヴなプレイをすることがなかった。しかしこの演奏は,のちに《ラヴァー・マン・セッション》と呼ばれ,研究者やファンからは珍重されている。
上記について、出典を忘れました。ごめんなさい
この後、パーカーは精神に錯乱をきたし、ついに病院で療養生活。
にもかかわらず、ラヴァーマンを吹き込んだレコードはリリースされ、今に語り継がれる伝説の名演となる。
こちらは映画『バード』で描かれたラヴァーマンの録音シーン。
こちらが実際に吹き込まれたチャーリー・パーカーの演奏。
ピアノの伴奏が始まるも、二拍遅れて「あっ」と気がつく感じで始まるのがいい。
「泥酔」「朦朧」── 確かにそうかもしれないが、実はあっちの世界に行って、神様に遭ってたのかもよ。
私も名前だけは知ってたけど、じっくり聞くのはこれが初めて。
『Lover Man』と言えば、前述の記事にもあるように、私が世界で二番目に好きなラブソング。
特に日本の有名なジャズ・ヴォーカリスト、阿川康子さんの濃厚なクリームみたいな歌唱が大のお気に入りだった。
ところが、パーカーのラヴァーマンは「Love」というよりズタ袋。
瀕死の白鳥でさえ、もうちょっとマシな鳴き方をするのではないかと思うほど。
でも、皆さんが仰っるように、不思議な迫力と美しさに満ち、何度でも繰り返し聞いてしまう。
偶然でも、この曲の存在に気がついて良かった。
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モダン・ジャズの原点ともいうべきビ・バップの最大の巧労者であり,ジャズを語る上で欠くことの出来ない天才チャーリー・パーカーがCDで登場した。ここにはダイアルへレコーディングした1946年から1947年の全録音から,大和明氏によって,彼の最良のアドリブ演奏を各セッション毎に録音順にセレクトしてあり,よほどのマニア以外この37曲は満足のゆく選曲といえよう。あの有名な,酒でほとんど意識不明の状態での悲痛なセッションも,もちろん収録してあり,パーカー全盛時の神髄にふれることができる。
クリント・イーストウッド監督の映画『バード』の感想
正直、この作品は、レイ・チャールズの生涯を描いた『Ray(ジェレミー・フォックス主演)』のような、胸に迫る人間ドラマでもなければ、『ドリームガールズ』や『コーラスライン』のように「観て楽しい、聞いて楽しい」エンターテイメントでもない。
チャーリー・パーカーが生きた時代のジャズクラブのように、どこか陰鬱で、誰もが淋しく、画面全体に紙タバコが煙るようなスモーキーな作品である。
また、クリント・イーストウッド作品の大ファンであるなら、モンゴル系移民の若者と退役軍人の心の交流を描いた『グラン・トリノ』や、中東の壮絶な現実を背景にした『アメリカン・スナイパー』、二度と観たくないぐらい厭世的な気分にさせられる『チェンジリング』等の傑作に比べて、どこか拍子抜けに感じるかもしれない。
それぐらい、近年のお涙ちょうだい系・伝記映画とはテイストの異なる作品だ。
チャーリー・ファンなら泣いて喜ぶような名曲が随所に散りばめられ、ドラマよりも、超絶技巧を駆使した演奏に聴き惚れるからだ。
正直、ドラマは陰鬱で、救いのない展開である。(本人が悲劇的な亡くなり方をしたので、仕方ないのだが)
いったい、クリント・イーストウッドは、チャーリーの生涯を描きたかったのか、それとも名演を紹介したかったのか、ちと中途半端な感じで、感情移入しにくい。
また嫁も不可解で(少なくとも私はそう感じた)、よくある薬物依存症ドラマのように「献身的な家族」「主人公の葛藤と克服」「愛と涙のエンディング」を期待して観ると、肩透かしにあう。
嫁も、気丈で、先進的な女性なのは分かるが、一体、チャーリーを助けたいのか、見放したいのか、どっちやねん? と突っ込みを入れたくなるような、不可解さだ。(演出として、そうした部分がデフォルメされたのかもしれないが)
クリント・イーストウッド作品にしては、核となるメッセージがあまり感じられず、ひたすら生涯の出来事を追うようなドキュメンタリータッチだが、実在のミュージシャンで、薬物中毒というシビアな現実も絡んでいることから、『グラン・トリノ』みたいなお涙頂戴のドラマにできなかったのかもしれないが。
ともあれ、一時代を築いた天才ジャズ奏者であり、偉大なトランペッター、マイルス・デイビスを見出した才人でもあるチャーリーの側面を知るには、非常に参考になる作品だ。
ドラマとしての物足りなさは否めないが、作中におけるチャーリーの名演は、十分、聴くに値するものだし、何より、大のジャズファンで知られるイーストウッド監督の並々ならぬ思い入れが感じられる。
ある意味、『チャーリ・パーカーの伝記付きミュージックビデオ』と割り切れば、楽しめるのではないだろうか。
同じ麻薬中毒でも、レイ・チャールズが生き延びたのとは対照的に、チャーリーの肉体はその毒に耐えきれなかった。
自分の寿命を知っていたからこそ、燃え立つような演奏が可能だったのかもしれない。
こちらが映画『セッション』でも繰り返し語られる、「駆け出しのチャーリー・パーカーがドラマーのジョー・ジョーンズにシンバルを投げられる場面。
この日の屈辱があったから、チャーリー・パーカーは偉大になった、という逸話です。
