映画『トゥモロー・ワールド』の預言
何年も経ってから見返してみると、この作品がいかに先見の明をもっていたかがよく分かる。
「国家治安法の成立で、英国国境は8年継続で閉鎖中」とか。
2027年のロンドンで厳重警戒態勢がしかれ、あのお洒落な町が中東の紛争地みたいに物々しい様相になるとか。
先進的なロンドンの町中でテロによる爆発が起きるとか。
パリ同時多発テロ事件、ニースのトラックテロ事件、ブリュッセル連続テロ事件、日本人までもが犠牲になったテロリストによる斬首映像、etc。
テロの手もここまで及ぶまいと思われた世界的都市で、相次いで悲惨なテロ事件が起き、イギリスはとうとう国民投票で欧州連合からの離脱を決定した。
主立った空港や観光地には、自動小銃を携えたフル装備の警備員(兵士)が配備され、ちょっとでも怪しい動きをしようものなら、一般観光客といえど、ただちに取り押さえられそうな物々しさである。
2011年にこの映画を観た時は、近未来SF的な印象だったが、もはやフィクションを超えて、世界の現実になりつつある。
原作者のフィリス・ドロシー・ジェイムズはイギリスの女流推理作家だが、さすが、幼い頃から欧州の移民社会の現実を目の当たりにしてきただけのことはある。テロの脅威を抜きにしても、このままいけば国境封鎖もやむなし、というところまで逼迫しているのは、イギリスに限った話ではない。
そんな中、社会不安に追い打ちをかけるような、女性の不妊。
原因は不明だが、この18年間、子どもがまったく生まれず、世界最年少の少年が死亡したことが世界のトップニュースとなる。
このままいけば、人類滅亡は必至であり、希望なき社会はいよいよ自棄と暴力の吹き荒れる無法地帯となっていく。
そんな中、英国エネルギー省に務めるセオ(クライブ・オーウェン)は、反政府グループに拉致され、元妻のジュリアン(ジュリアン・ムーア)から、ある不法移民の為に通行証を手に入れることを要求される。
セオが訊ねたのは従兄の文化大臣だ。
世界の貴重な美術品を保護しているが、すべてを収集しきれず、たくさんの文化遺産が犠牲になっている。
実際、テロリストによる世界遺産の破壊(パルミラ神殿やバーミヤン大仏など)は進んでおり、ダヴィンチの名画やミケランジェロの彫像も、いつテロの標的にされるか分からない。
セオは「100年後に誰が見るんだ? こんな収集に何の意味がある?」と従兄を揶揄するが、「そういうことは考えないようにしている」と。
確かにその通り。衰滅するのが分かっていて、あれこれ策を立てたところで、もはや救いようのないところまできている。
この一瞬、自分が必要と感じることを、淡々とこなすまでだ。
ピカソの傑作『ゲルニカ』の前で食事をとる二人。
未来的なデバイスを操る息子。
近い将来、マウスやキーボードはなくなって、フィンガーコントロールになるのか?
従兄から通行証を手に入れたセオは、元妻ジュリアン、依頼人の不法移民=アフリカンの若い女性キーとその世話役の女性、反政府グループのスタッフと共に車で検問所に向かうが、途中で暴徒に襲われ、ジュリアンは命を落とす。
途方に暮れるセオに、キーは重大な秘密を明らかにする。
なんと彼女は妊娠していたのだ。
ここでアフリカン系の女性が登場するのは、欧州の移民問題を反映してのことだろうが、「人類の母(ミトコンドリア・イブ)はアフリカにルーツをもつ」という学説も含んでいるのだろう。
つまり、キーが、第二のミトコンドリア・イブになるという示唆。
キーの妊娠を知ったセオは「公表すべきだ」と反政府グループのメンバーに訴えるが、彼らの言い分は、
不法入国者も人間だったか!
赤ん坊は政府に奪われ、里子に出される
18年目に産まれるのが不法入国者の子
政府にどう扱われるか 説明してやれ
このあたりも、移民問題の現実を生々しく描いている。
実際、滞在に必要な条件が揃わず、政府の許可が下りなければ、親子といえど切り離され、未許可の者は本国に送り返される。「我が子です」「兄です」などという言い訳は断じて通用しない。だから、政府はますます取り締まりを厳しくするし、不法移民側はなんとか法律の網の目をかいくぐって、家族・親族が一緒に暮らせるよう試みる。イタチごっこなのだ。
その後、セオは、反政府グループが子どもを手に入れ、セオたちを殺そうとしている事実を知り、キーと世話役の女性を連れて逃走する。(世話役の女性は元助産婦という設定) 彼らの受け入れ先は、『ヒューマン・プロジェクト』という団体だ。
いずこも世界の首都ロンドンとは思えぬ物々しさ。だが、実際に、近未来フィクションと笑えないところまできている。
セオとキー、世話役の女性は、旧友のジャスパーを訪れ、しばしの休息を取る。
その過程で、ジャスパーが語る「信念」と「運命」の話が面白い。
ジャスパーいわく
”信念”と”運命”の抗争だ
世の中には”信念”があって”運命”がある
ジャスパーは、ジュリアンとセオに喩える。
二人をそもそも、そこに行かせたのは信念だ。
”世界を変えたい”という信念が二人を結びつけた。
だが運命でディランが生まれた
生きてたら君の年齢ぐらいだ
信念が試された 運命が働いた
親にとっては夢の子どもだった
2008年に世界を吹き荒れた
あのインフルエンザ
運命はあの子を奪い去った
こうしてセオの信念は運命に敗れた
つまり人間、運命には逆らえないってことだ
ジャスパーの話を立ち聞きしたセオの胸に、使命感が芽生える。
我が子は帰らなくても、キーのお腹に宿った『人類の子(チルドレン・オブ・メン)』は守らねばならない。
人類の生命と希望を未来に繋ぐ為に。
監視の目をかいくぐり、キーは、不法滞在者が暮らす古びたアパートの一室で出産する。
だが、彼らの隠れ家も、政府軍の攻撃を受け、命の危険にさらされる。
その時、赤子の泣き声が建物中に鳴り響き、誰もがその声に心を打たれ、兵士もテロリストも揃って道を開く。
この場面は、下記に紹介している動画をぜひ見て欲しい。賛美歌のようなBGMと相成って、まさに人類の希望の本質を描いた名場面だ。
子どもを愛おしむキー。誰に教えられなくても、母の本能がそれを知っている。
そして、それこそが、人類の未来を開く鍵であると。
こういう発想と描写は女性作家ならではだろう。
子の生まれぬ社会に、希望も、活気も、秩序もないのは、フィクションに限った話ではない。
【映画コラム】 人類の希望と神の声
2011年のレビュー
誰もが当たり前のように「明日」が来ると思っている。
人が死んでも、またどこかで生まれ、命の連なりは永遠に無くならないと。
だが、もし、世界中で子供が生まれなくなったら?
女性が出産能力を無くし、このまま子供が生まれなかったら、人類は滅びるしかないと分かったら──?
そんな「まさか」を描いたのが、映画「アフター・トゥモロー」。原題は『Children of Men』直訳すれば「人類の子供たち」。
原因はまったく不明だが、ある時から子供が誕生しなくなり、絶望と混沌に翻弄される人々を描いた凄まじい近未来フィクションだ。
子供が生まれない世界では、「今日、人類最年少の少年が死亡しました。彼は18年と4ヶ月20日、16時間8分の命でした……」というニュースが流れ、未来を失った社会は秩序も産業も崩壊し、英国もテロに明け暮れていた。
そんな中、英国エネルギー省に勤めるセオは、元妻で、地下組織のリーダーであるジュリアンから極秘の仕事を依頼される。
それは奇跡的に妊娠した黒人の少女を、未来のための世界組織『ヒューマン・プロジェクト』に送り届けることだった。
彼女の妊娠が分かれば、それこそ世界中がパニックになり、権力を欲する者は生まれくる命を利用して、利己的に支配するだろう。それを阻止するのが彼らの目的だった。
最初、セオには少女の秘密は知らされていなかったが、妻ジュリアンが殺害されたことで、少女は彼の前で衣類を取る。
もう産み月も近い丸く膨らんだお腹──。
子供の誕生しない世界において、妊娠した少女の姿はまさに「神」そのものだった。
この映画の上手いところは、子供の父親が誰か、まだ幼さの残る無知な少女が、一体、どういう経緯で妊娠するに至ったのか、いっさい説明がなされない点だ。少女はまるで聖母マリアの処女降誕のごとく胎内に子供を宿し、自分でも訳が分からないまま出産しようとしている。普通に考えれば「あり得ない」状況だが、もはや女性が妊娠しないのが当たり前となった世界では、彼女の肉体そのものが神であり、人類に残された唯一の希望としてセオの手に委ねられるのである。
いつ誰が襲いかかってくるか分からない中、セオは身体を張って少女を守り、国外への脱出を試みる。
やがて陣痛が始まった。少女がバスの中でついに破水すると、セオは「尿漏れ」と偽り、群衆を振り切って、薄暗いビルの一室で出産を介助する。
ついに生まれた新しい命。
だが感動にひたっている余裕はない。少女と赤ん坊を無事に送り届けるまで、三人の命の保障はない。
彼らは戦闘に巻き込まれ、銃弾が飛び交う中、廃墟の中を逃げ回った。
そして、激しい銃声の中、奇跡とも思える赤ん坊の泣き声が辺りに響き渡る。
最初に気付いたのは、身を隠していた女たちだ。彼女らは、まるで巡礼者のように物陰から一人、また一人と現れ、神に祈るようにして赤ん坊に触れる。狂ったように銃を撃ちまくっていた兵士たちも、銃を下ろしてその場に立ち尽くした。
この場面、あまり多くは語られないけれど、BGMに聖歌のようなメロディが流れ、廃墟を寺院とした近未来のミサのような演出である。殺伐とした兵士の姿と赤ん坊を腕に抱いた少女の対比が、まるで光と闇を織り上げたようで、私としては映画史に残る名場面に数えたいほどだ。
追っ手を振り切り、海に漕ぎだしたセオと少女と赤ん坊がどんな運命を辿ったか、それはじっくり映画を見て欲しいところだが、どこをどうハッピーエンドにしても、いつまでもトラウマになってしまうのがこの作品の魅力というか、最大の特徴。
これはアーノルド・シュワルツネッガーなヒーロー活劇を期待して見るものではないし、社会的なメッセージを声高に叫ぶお説教ドラマでもない。
「子供の生まれない社会」を体感する、リアルなシュミレーション・ドラマである。
ドラマにおいて、セオは政治的、自己啓発的な主張は一切しないし、少女はひたすら逃げ惑うだけ、群衆は自分の身の回り半径1メートルのことしか考えてないアナーキーな連中ばかり、すべてが淡々と流れて行くが、それだけに観る側に判断を丸投げされ、読後感ならぬ視聴後感が非常に重い。
まあ、脳天気に考えれば「めでたし、めでたし」なんだけど、この作品の「手放しに喜べない感」は、まるでアルプスの向こうは激戦地だった「裏・サウンド・オブ・ミュージック」という感じである。
正直、少女と赤ん坊に明るい未来などあるのかな、という感じ。
日本も少子化・超高齢化が指摘されて久しいが、誰もそこまで危機感を持っているようには思えないし、「作るも作らないも個人の自由」と言い切ってしまえるのは、「その気になれば、いつでも妊娠して子供が産める」と心のどこかで過信しているからだろう。
自分が産まなくても誰かが産むし、私だって、その気になれば、いつでも──なんて、まるで虫かキノコが湧いてくるような感覚でいるのが大半ではあるまいか。
だが、意外と正常妊娠する確率はそこまで高くないし、出産しても、みながみな、無事故・無病で無事に成人するわけではない。「欲しくなったら、いつでも」なんて甘い話ではないのだ。
にもかかわらず、自由に明日を思い描けるのは、五十年後も、百年後も、命は続いて行くと信じているから。もし、あと50年で、人類も、企業も、財産も、何もかも、滅びてなくなると分かれば、「今」には絶望しか残らないだろう。
私たちは「未来」に大きな借りを負っている。自分達が未来を創っているようで、その実、未来に支えられている。そして未来の本質とは「子供」である。
子供うざい、きらい~、という人も、この映画を見れば、さすがに「神」を感じるのではないだろうか。
*
圧倒的なカメラワークで名場面の一つに数えられる「廃墟の戦闘」。
この部分だけ見れば、「戦場で赤ん坊が泣いてるだけじゃん」と思うけど、人類に残された唯一の赤ん坊、この子が死んだらもう後はない……と分かると、受け取り方がひと味もふた味も違ってくる。
崇高な印象の名シーンです。
日本語版のトレーラー。
DVDとAmazonプライムビデオの紹介
評価が真っ二つに分かれる作品ですね。
アーノルド・シュワルツネッガーなヒーロー活劇を期待すれば裏切られるし、スタートレックなSFシンフォニーでもない。
政治的な主張もないし、お涙ちょうだいドラマでもない。
ただひたすら目の前の事象を淡々と描き出し、後は皆さんで自由に解釈ヨロシク、みたいな、丸投げ作品です。
それが見る人によっては「説明不足」「訳が分からなくて退屈」になるのでしょう。そのタルさも理解できます。
こういう作品は思想も理想も捨てて、感性だけで見るのがおすすめ。
なまじ主張しようなどと思えば、あまりのテーマの重さに嫌気が差すでしょう。
それだけに「何かを感じた時」のインパクトは強烈。
あの戦闘シーンが心に残れば十分だと思います。
クライブ・オーエンが格好いい♪
出演者 クライヴ・オーウェン (出演), ジュリアン・ムーア (出演), マイケル・ケイン (出演), キウェテル・イジョフォー (出演), チャーリー・ハナム (出演), アルフォンソ・キュアロン (監督)
監督
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ちなみに、クライヴ・オーウェンは、英国女王エリザベス一世の黄金時代を描いた『エリザベス ゴールデン・エイジ』で、女王が想いを寄せるウォルター卿を演じています。
ちなみに、 紀里谷和明 (監督) の、「赤穂浪士」をモデルにした、ラストナイツでも主演してましたが、なんかこう、才能と実力の割には、作品に恵まれない人だなと、つくづく。エージェントが悪いのかしらん。
もっと大作の主役を張れる役者さんなんだけどね、もったいない。
初稿 2011年10月20日