エセ文化人が美と知性を滅ぼす 映画『コックと泥棒、その妻と愛人』

目次

【コラム】 この世は恥知らずの天下

知性とは儚いものだ。

なまじ知性があると、出しゃばらず、欲張りもせず、人間の品を保つことに命を懸けてしまう。

その高潔さゆえに、世間に踏みしだかれてしまう。

その点、知性のかけらもないと、威張り、叫き、やりたい放題できる。

あたかも自身が世界の中心であるかのように錯覚し、世辞と称賛の区別もつかなくなる。

善が、知性が、と仰ぎ見たところで、結局は、恥知らずの天下だ。

強欲な者が生き残り、美や知性を尊ぶ者は良心を口に詰められて死ぬ。

そんな皮肉を、独特のカメラワークと絢爛豪華な美術で描いたのが、ヘレン・ミレン主演の『コックと泥棒、その妻と愛人』(The Cook, the Thief, His Wife & Her Lover)だ。

一見、エログロに見えるが、それなりの芸術的素養があれば、一つ一つに込められた風刺が理解できる。

見る人を選ぶ作品ではあるが、決して高飛車ではない。

それは、現代社会において誰もが感じる「違和感」をユーモラスに描いているからだ。

下品な美食家で、腕っ節だけが自慢の悪漢、アルバートの振る舞いに、誰もがこう思うだろう。

「おるおる、こういう奴。名前はあえて出さないけど」

最後のズドンは、あえて批判を口にせぬ大衆の真情だ。

そして、この世の美と知性と良心を平気で踏みにじる泥棒は、死んでもその事実に気付かないのである。

以後、ネタバレ含みます。未見の方はご注意下さい。

【作品解説】 ヘレン・ミレンと作品のもう一つの魅力

暴力の勝利と、知性の死

残念ながら、私は先にYouTubeで「衝撃のラスト」を見てしまったので、本当の意味で衝撃を味わうことはできなかった。

その時は本作に全く興味がなく、見る予定もなかったからだ。

あらすじは、いたって単純。

泥棒で、底なしの悪党アルバートは、一流のフレンチ・レストラン『ル・オランデ』のオーナーでもある。

いつも美しい妻ジョジーナ(ヘレン・ミレン)と、部下を引き連れて、当代一の料理家リチャードのフルコースに舌鼓を打つが、文化にはとんと無頓着で、知性の欠片もない。しかも、ジョジーナや従業員に容赦なく暴力を振るい、皆から忌み嫌われている。

ある日、ジョジーナは、いつもレストランの隅で静かに本を読んでいる常連客のマイケルに恋をし、密かに愛を交わすようになる。

だが、二人の恋は夫アルバートの知るところになり、マイケルはアルバートの一味によって惨殺される。

ジョジーナは、ついに復讐を決意し、料理家リチャードの力を借りて、壮絶な復讐を仕掛ける――というものだ。

それでも、ある種の映画ファンの間ではカリスマ的に人気のある作品だし、一度は見るべきと思い、鑑賞を始めたところ、やはり酸鼻に堪えない。

のっけから暴力。それもヤクザ顔負けの糞尿リンチ。

一流のフレンチ・レストラン『ル・オランデ』のオーナーで、稀代の泥棒でもあるアルバートの下品な喋りにも辟易させられるが、美しい妻ジョジーナへの絶え間ない侮辱と暴力、従業員への横柄な態度、子供にまで容赦なく手を出す無慈悲に、心底吐き気がする。

※ 高級レストランでも食事中に下品なトーク
食事中の会話も下品

下品な泥棒 アルバート

※ ジョジーナに対する暴力も半端ない
言葉でもジョジーナを辱める

妻ジョジーナに対する絶え間ない虐待

それだけに、レストランの片隅で読書を楽しむ愛人マイケルの物静かさと、そんな彼に心惹かれるジョジーナの女心が異次元のように美しく映え、アルバートの下品さがいっそう浮き彫り人なる。

レストランの隅で静かに読書する

読書家のマイケルにも絡むアルバート

ヘレン・ミレンというと、ダイアナ妃の葬儀をめぐる英国女王エリザベス二世の葛藤を描いた傑作『クィーン』の演技が実に素晴らしく(あまたの主演女優賞を獲得)、高齢ながら、本物に遜色ない威厳と気品が深く心に焼き付いただけに、「なんでこんなキワモノ映画に出演したのかしら?」と合点がいかなかったが、ラストのこの場面を見て納得。

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それまでジャン=ポール・ゴルチエの華麗な衣装に身を包み、高雅な貴婦人としてグルメを楽しんでいたジョジーナが、惨殺されたマイケルの傍らに身を横たえ、「もう疲れた……」と呟き、二度と物言わぬ恋人に「キスしないの? じゃあ朝食は私が作るわね。短かったけど、とてもステキだった」と語りかける場面は白眉のものだ。

ジョジーナ=ヘレンの顔が大写しになり、ゆっくりとカメラの方を向くのだが、これ以上ないほどボロボロに傷つき、痛みも、悲しみも、全部使い果たして、感情すら残っていない、虚無な表情を完璧に演じているからだ。

日本語字幕では「ステキ」と翻訳されているが、英語では「short and very sweet」。

この「sweet」という言葉が全てを物語ってる。

長い人生の、ほんの一瞬の触れ合いだったけど、溶けてしまいそうに甘く、優しく、女に生まれた悦びを堪能した日々。

それに続く告白で、偉ぶっているアルバートが実は性的不能者だと分かるのだが、それだけに余計で、愛人マイケルと分かち合った悦びの深さが伝わってくる。

マイケルに愛を告白する

悲しみのドン底のジョジーナ

この場面がなければ、そして、ヘレンの演技力がなければ、本作はただの「ゲテモノ・グルメ」で終わっていただろう。

なぜ、ジョジーナがあれほど冷酷、かつ痛快な復讐を思い立ったか、この愛の告白で合点がいくからだ。

いや、この場面が無くとも、誰もがあの壮絶な復讐劇に納得いくかもしれない。

だが、それだけでは説得力がない。

何故って、アルバートをこの世から消し去りたいのは、料理人よりも、従業員よりも、誰よりも、長年虐げられ、辱められてきたジョジーナでなければならないからだ。

大手を振る反知性と虐げられる良心

本作において、「芸術」の象徴が料理人なら、ジョジーナは知性の欠片もないバカどもに蔑まれても、面と向かって「NO」と言えない、その他大勢の良心だ。

「やめて」と抵抗すれば、その場で罵倒され、どんな酷い仕打ちをされるか分からないからだ。

真面目で良心的な大衆は、常に恥知らずな練習のサンドバッグだ。

皆、それが悪だと分かっていても、面と向かって批判はできず、レストラン『ル・オランデ』の客のように、理不尽な暴力が過ぎ去るのを黙って耐えるしかない。

その中で、ジョジーナは最もか弱い存在であり、救いもなく、抵抗もできず、この世の地獄を生きている。

だからこそ、観客は納得したい。

ジョジーナが最後にとった行動と、それに手を貸した料理人のプライドに。

下手すれば、女優としての評価を落としかねない本作に、演技派で知られるヘレンが体当たりで出演し、全裸の絡みさえ厭わなかったのも、本作が一見、エログロに見えて、根底には、反知性、反文化に対する強烈な批判と皮肉が込められているからだ。

作品の肝となる、愛の告白も、「あのシーンは私にしか演じられない」という自負もあっただろう。

抑圧されたジョジーナの怒りと悲しみを、顔だけで見事に表現したヘレン・ミレンはやはり一級であるし、復讐に至る動機をぺらぺら主張せず、非常に抑えた中に女の決意を描いた脚本も見事という他ない。

文化の尊さを描くのに、優れた美術を見せる必要はなく、あえて下品を前面に出すことで、逆に、その尊さを思い知らしめる手法も斬新だ。

反知性や暴力は、わざわざ擁護しなくとも、その原始的な本能によって、勝手に増殖していくが、美や知性は理解できる人間が限られるだけに、特別な保護が必要だ。

マイケルのように教養ある文化人が、本を口に詰められて窒息死させられる前に、我々は声が大きいだけのエセ文化人から、本当に価値あるものを全力で守らなければならないのである。

【コラム】 食と死とエロス

黒い食べ物は死を思い起こさせる

この作品の見所は、人間にとって最も基本的な「食」と「死」と「エロス」が一体になっている点だろう。

終盤、料理人リリャードが、「食」と「死」の関わりについて語るが、「何かを食べる」ということは「何かが死ぬ」ということでもある。

人間はいちいち意識しないが、魚も、鶏も、野菜さえも、人間が食する度に死んでいるのである。

その一方で、命はエロスに支えられる。

この世から性愛が無くなれば、子孫も途絶えてしまう。

食べて命のエネルギーを得、そのエネルギーで交わり、新たな命を創生する。

それが艶美な映像と音楽に描かれているのが本作の醍醐味だ。

食に囲まれた中で愛し合う

美しいラブシーン

レストランでの逢瀬

※ 二人の愛の現場がシルエットで浮かび上がる演出が素敵
浮かび上がる二人のシルエット

わけても秀逸なのは、終盤、リチャードが語る「黒い料理」のエピソードだ。

黒い物は高くする。ブドウ、オリーブ、黒すぐり。
人は死を思い起こすものを好む。
黒い物を食べるのは、死を食べる事と同じだ。
胸をはって言うんだ。
”死よ、おまえを食うぞ”と。
トリュフが最も高価だ。キャビアも。
死と誕生。終わりと始まり。
黒は最も高価な食物にふさわしい色でしょう。
虚栄も高価な食物だ。

私はどちらかというと、ブリート、ビーフステーキ、ミートソース、カレー、ハンバーグ、カルビーのポテトチップ「うすしお」など、赤い物が好きなので、黒い物に大金を積んでまで食べたいとは思わないが、「黒い物が死を思い起こす」というのは確かにその通り。

赤い物が「血の気」を感じさせるなら、黒い物はひたすら地味で、無口で、それ自体が既に死んでいる。

黒い物ではなく赤い物を好む私は、より多くのエネルギーを欲しているのだろう。

そして、黒い物を好む人は、もうこれ以上、望むものも無いのかもしれない。

黒は、それ以上のものでも、それ以下のものでもなく、その先にあるのは「無」だから。

黒い食べ物は死を思い起こす

大食という大罪

子供がもりもり食べる姿は微笑ましい。

だが、大人ががっつく姿は美しくはない。

それは、キリスト教の『七つの大罪』に値する【大食】を思い起こさせるからだろう。

一度食べ出したら、止まらない。

腹が裂けるほど食べないと気が済まない。

食べても食べても満たされることのない、際限のない大食は、さながら心の飢えを表すかのようだ。

なぜ、それが醜悪なのか。

一つは、大食も、美食も、お金持ちだけに許される快楽だからだ。

貧乏人が木の根をかじり、雨水をすすって飢えをしのぐ間も、彼等は肉汁たっぷりの料理に舌鼓を打ち、高級な酒を嗜む。

施すこともなく、分け与えることもなく、自分の腹を満たすことだけに終始し、ぶくぶく太っていく。

そして、それで満足するかと思えば、もっと寄越せと叫き、食欲に際限はない。

これが大罪でなくて、何であろうか?

ちなみにアルバートと同席して、食事が美味しく感じられるだろうか。

最上級のヒレ肉も、上質なテリーヌも、あの下品なトークと中身のないウンチク、頭は空っぽのくせに、贅肉だけはたっぷりの巨漢を目にすれば、どんな豪華な食事も汚物にしか見えないだろう。

↓ 本物の味わいも分からぬバカは最高級の料理にも塩をぶっかけ・・
最高級の料理に潮をぶっかける

↓ そして、台無しにする
せっかくの料理も台無し

大食の罪は、大食そのものを非難しているのではない。

節制もなく、品もなく、目の前にあるものを際限なく平らげる、無慈悲な強欲を断罪しているのだ。

周りを顧みない大食で、レストランの客のみならず、従業員にも、警察にも、惨めな思いをさせ続けたアルバートは、『人肉』という最も罪深い料理を与えられ、卑しむべき罪人として死んでゆく。

ジョジーナとリチャードのグロテスクな復讐を通して、皆が言いたいことはただ一つだ。

他人の血肉をすすって、肥え太ったブタ野郎、これでも食らえ

【コラム】 エセ文化人が美と知性を滅ぼす

下品なアルバートは、レストランでも蘊蓄をたれ、仕事でも屁理屈をこねる。

それも中身の無い、どこかで聞きかじったようなグルメ論や人生論だ。

知性のない人間が小金を持つと、すぐ一流の真似をしたがる。

一流人の集う場所に顔を出し、知った顔で理屈を並べ、芸術家や有名人の隣で写真を撮って、いかに自分が有力で優れているかを誇示する。

金や地位や権力は、せっせと働けば、それなりに手に入るが、知性はコネや試験で身に付くものではないからだ。

そんな卑小な人間にも泣き所はある。

真に優れた者には、絶対に太刀打ちできない点だ。

アルバートの場合、料理人のリチャードには決して手を下さない。

自分に権威づけしてくれる「有名シェフ」は、アルバートにとって自身の勲章みたいなものだからだ。

自身のアクセサリみたいに扱いながらも、料理人リチャードに対しては、どこかヘイコラしたところがある。

そのみみっちさが、ますますアルバートの卑しさを浮き彫りにし、傍で見ている分には、まるで愚かなピエロのようだ。

それでも、芸術は金の力には勝てない。

今も、昔も、芸術は食えない商売で、スポンサーなしに生き残れない。

そのスポンサーに教養があるならともかく、今は知性の欠片もない人間でも、小金さえもてば、紳士淑女や芸術家の仲間入りができる時代。

芸術家の魂さえも金で買い、自身も、さも芸術家になったように振る舞う。

「まったく吐き気のする連中だ」と声に出したい人も少なくないだろう。

この作品がストレートな物言いを避け、とことん抽象的に表現しているのも、高尚な揶揄でしか仕返しできない、芸術家の立場の弱さを物語っている。

面と向かってスポンサーを批判すれば、どれほど才能のある芸術家も、たちまい干されて、名誉も奪われるから。

高尚を目指せば目指すほど、俗世から乖離し、妥協すれば、芸術の質が低下する。

そんなジレンマの行き着く先は、バカには理解できない、高尚な皮肉と、冷ややかな復讐だ。

一流の料理人が、「これが最高級のヒレ肉でございます。世界の珍味です」とおだてれば、イモリの肉でも食するような連中である。(作中には無いけれど)

馬の尻尾で描いた絵を「時価5000万円の名画でございます」と売りつけたところで、何の咎があるだろう?

そして、真の芸術家は、エセ文化人が、イモリの肉や馬の尻尾の絵で悦に入る姿を横目で見ながら、そんな彼等の生態を芸の肥やしとし、新たな創作に打ち込むのだ。

リチャードの人肉料理には、そんな気概と復讐心が溢れている。

あの場面、本当に勝利したのは、復讐に燃えるジョジーナでもなく、無残に殺されたマイケルでもなく、史上最低の卑しい料理を一口でも口にさせることができたリチャードではあるまいか。

エセ文化人が一流レストランを我が物顔で闊歩し、一番上等な席で、一番上等な料理に舌鼓を打つ時、その周囲で、本物の知性や愛や美は失われていく。

読書家のマイケルのように、声も上げずに、無残な形で。

それでも真の芸術は最後まで生き延びることを祈ろう。

「クソでも食らえ」と銃を向けながら。

そう、まさにクソなのだ。 金で芸術を買うエセ文化人は。

↓ネタバレしていい人だけご覧下さい。グロ苦手な人は要注意。

DVDとAmazonプライムビデオの紹介

舞台芸術に興味のある人なら、細部まで神経の行き届いたレストランの内装やキッチンの作り、キューブリック風のトイレに目を見張ると思います。

また、ジャン・ポール・ゴルチェの衣装も秀逸。毎回変わるジョジーナのファッションも溜め息ものです。

直截的なメッセージはありませんが、何回も繰り返し見るうちに、皮肉や象徴が解ってくる、パズルゲームのような作品だと思います。

でも、これを見ると、マイケル・ナイマンの曲は二度と聴けないですね。オエっとなるし、悲しい気持ちになる。

エログロはさておき、ヘレン・ミレンの熱演は必見。

ゴージャス、かつエスプリの効いた秀作です。

コックと泥棒、その妻と愛人 [DVD]
出演者  リシャール・ボーランジェ (出演), マイケル・ガンボン (出演), ヘレン・ミレン (出演), アラン・ハワード (出演), ティム・ロス (出演), ピーター・グリーナウェイ (監督)
監督  
定価  ¥1,101
中古 16点 & 新品  ¥1,006 から

初稿 2015年12月12日

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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