次々に運び込まれる患者

現代の人類滅亡は医療崩壊と経済破綻

次々に運び込まれる患者

この投稿は、生物兵器のウイルスと人類滅亡を描く 映画『復活の日』ジャニス・イアンのYou are Loveに追記していたものです。

10年以上に、遊びのつもりで書いた映画レビューが、2020年の新型肺炎が理由でアクセスを集めたのがきっかけです。
(映画レビューを書いた理由は、YouTubeの登場で、数十年ぶりにジャニス・イアンのテーマ曲「You are Love」が聴けたのが嬉しかったから)

私が医療機関で勤務していたのは随分前の話なので、今とはまったく状況が異なるかもしれませんが、看護の基本は同じだろうと思い、最近の追記分は覚え書きのように記しています。その前提で、お読み下さい。

現代の人類滅亡は医療崩壊と経済破綻

ちょっとだけ真面目な話を追記しておきます。

私が映画『復活の日』を初めて見たのは、中学生の時ですが、一番戦慄したのが、現場の医師や看護師が疲労困憊の末にバタバタと倒れていく場面です。自分の将来を予感したからでしょうか。他人事とは思えませんでした。ちなみに、私はプロ患児で、「病院が第二の我が家」みたいな幼少期を過ごしています。(エボラ熱と映画『アウトブレイク』ダスティン・ホフマン主演。年齢の割には、医療と人体学に詳しかった)

実際、得体の知れない病気に苦しむ患者が、24時間、ひっきりなしに病院に送り込まれ、24時間、厳戒態勢で対応に追われていたら、どれほど頑強な、どれほど若い医師や看護師でも、一週間で緊張の糸が切れます。若い医師でも、徹夜続きで体力と集中力が維持できるのは数日が限度。三日に一度は、現場を離れて、8時間は爆睡できるような環境でなければ、たとえ身体は働いていても、頭の中がボーっとして、薬液の量を間違えたり、カルテの記述を見間違えたり、ヒヤッとすることが出てきます。たまたまナースが気付いて、「先生、それじゃない!」と制止するから大事にならなかっただけで、一線を越える前の出来事(いわゆるヒヤリハット)は、どこの病院でも、日常茶飯事に起きています。言い換えれば、それだけハイストレス。肉体的にも精神的にも非常に消耗する仕事で、善意や責任感だけで乗り越えられる現場じゃないんですね。既に言い尽くされた話ですが。

『復活の日』でも、ついには医療が麻痺して、病院にも入れず、通院もできず、自宅で寝込んでいたお母さんがいつの間にか息を引き取って、子供が一人取り残されます。それに気付いた看護婦の多岐川裕美が子供を救い出し、何とか頑張ろうと試みますが、既に行政も、流通も、何もかも絶望的な状況で、最後には、「南極にいるお父さんの所に行こう」と、モーターボートで二人連れだって、沖合に出て行きます。早い話、自死するわけですね。

もちろん、これはフィクションであり、作品が書かれたのも1964年ですから、現代の医療レベルとは天地の差があります。

当時の医療レベルで考えれば、「未知のウイルスによって人類が死滅する」というのも、あながち空想とは言い切れないところがありましたが、現代は、医療技術はもちろん、情報共有や生産・物流(研究や製薬必要な物資がすぐに手に入る)も飛躍的に向上し、一部で壊滅的な打撃は受けても、映画『復活の日』のように、直ちに世界中に波及して、訳も分からぬまま、庶民がバタバタ死んでいく……という確率は低いでしょう。

それこそ、映画『12モンキーズ』や『ミッション・インポッシブル2』みたいに、テロリストがエボラウイルス並に殺傷能力の高いウイルスを飛行機やスタジアムや繁華街で大量にばらまくのでもない限り、どこかで歯止めがかけられるのが、現代の医療レベルだと思います。

ところで、『病気』というと、身体的な問題と捉えられがちですが、現代の病気は、経済的・社会的に影響を及ぼす面が非常に大きいです。

たとえば、老人介護も、昭和の時代から存在しましたし、有吉佐和子が『恍惚の人』で描いたように、認知症の進んだ高齢者を家庭内に抱えることは家族にとって大変な重荷でした。その構図は現代もまったく変わりないと思います。

ただ一点、あの頃と大きく違っているのは、まだ社会全体に病人や高齢者を支える余力があったことです。

経済も成長期でしたし、働き盛りの世代も多く、奥さんが家庭に籠もって、子供や高齢者の世話に専念しても、どうにか暮らしていけるだけのバックボーンがありました。福祉もどんどん充実して、社会的、経済的には、そこまで悲壮感も漂っていませんでした。

実際、『恍惚の人』(私は映画も原作もどちらも知っています)で描かれているのも、主婦の葛藤や夫婦関係がメインで、経済問題はほとんど言及されていません。家の中でゴタゴタ揉めながらも、旦那さんは普通に会社に出掛けるし、老人介護の為に離職や減給に直面することもない。あくまで個人の問題にとどまっているところがあります。

しかし、現代は、働き盛りの人口が急激に減少して、年金も、各種手当ても、十年後にはどうなるか分からない、というところまで来ています。

家の中に一人でも病人を抱えたら、明日の暮らしもままならない世帯が圧倒多数でしょう。

そして、以前なら、電話一本で、誰なりと援助に来てくれて、経済的な支援も望めたかもしれませんが、それも社会から尽きようとしています。

支援支援と叫んだところで、実際にそれを行う人材と、それをサポートする資金がなければ、掛け声だけで終わってしまうわけですね。

そして、今も、新型肺炎の問題が取り沙汰されていますが、これも身体的なリスクは(その他の激烈なウイルスに比べて)さほど深刻でなくても、病人を抱える家族にとっては深刻です。

昔みたいに、家に一人、寝たきりの病人を抱えても、伯父さん、従兄、近所の世話焼きおばさん、誰なりと見舞いに訪れて、家事や子守、病院の送迎を手伝ってくれた時代と異なり、今は家族単位で孤立してしまいます。

共働き家庭であれば、どちらかが休職、もしくは退職することになるでしょうし、そうなれば世帯収入も激減して、子供があれば、進学、その他にも影響します。

人手不足、資金不足の現代において、家庭内に病人を抱えることのリスクは、『復活の日』の時代より、はるかに深刻で、人類滅亡より家計の破綻の方がはるかに恐ろしいわけですね。

新型肺炎に限って言えば、「致死率はそれほど高くない」「若い人は感染しても重症になりにくい」、確かにその通りかもしれませんが、キャリアになる可能性は若い人でもあります。

アウトブレイクの記事にも書いているように、ウイルスを持っている本人はピンシャンしていても、一緒に居た人間はウイルスをうつされて、重篤な気管支炎や肺炎を引き起こす危険性は十分にありますし、若い、健康な人でも、体調を崩せば、思いがけずキャリアになることもあります。

今も高齢者の死亡や発症が相次いでいますが、まったくその通りで、若い人がキャリアとなり、町中に病気のお年寄りを大量に発生させたら、それは、個々の家庭の危機であり、しいては、医療施設の危機でもあるわけですよ。

多くの人は、「病院は清潔で、安全な場所」と思っているかもしれませんが、それは、外来から上の、病棟や検査エリアなどに限った話。

外来では、確定診断がつく前の患者さんが、あっちでゴンゴン、こっちでボリボリしながら、何十人、何百人が所狭しと腰掛けて、何時間も自分の順番を待っています。

いくらフロアを綺麗に掃除して、花や絵画を飾ったところで、衛生学的には、デンジャラスゾーンなのですよ。

実際、新米看護師が、初めて外来研修に出たら、体調を崩すことは珍しくありません。

ベテランの病棟看護師でも、久しぶりに外来の介助に来て、風邪をうつされることも珍しくありません。

外来の診察室の看護師さんが、大勢の流感患者を相手に、テキパキ仕事をしているのは、日常的にいろんな病気に接して、いろんな抗体を身体の中に培っているからで、決して不死身のレプリカントではありません。

過労とストレスで、ある一線を越えたら、彼女たちだって病気で倒れるし、診療にあたっている医師も、当直明けで一睡もしてない方もおられます。

若い時分はウナギ弁当で体力回復しても、中高年になると、そうはいかなくなるんですよ。

だから、院内感染でも、高齢の医療者からリスクが高くなるのです。

「過剰に心配しなくていい」のは確かにその通りだけども、家庭内に、高齢者、持病のある人、妊産婦、乳幼児を抱えている人にとっては、身体的リスクもさることながら、離職、休職、減給、家計破綻の危機と隣り合わせです。

いくら自分は元気でも、ウイルスを持ち運びしないで欲しい、というのが本音でしょう。

また、事情を知らない人は、「診療停止」「病院閉鎖」を、コンビニの閉店と同様に考えているかもしれませんが、皆が皆、自分で歩いて病院に通える人ばかりとは限りません。ヘルパーが必要な人もあれば、タクシーが欠かせない人もあります。それまで「バス5分」のロケーションだったのが、診療停止→転院のせいで、「電車乗り継ぎ+30分」の道程になれば、病人と介助者にとっては大変な負担です。

病気の種類によっては、簡単に転院できないケースもあります。

紹介状も必要ですし、データの受け渡しも確実に行わなければなりません。

一人の患者を他院に引き継ぎするだけでも、医療者にとっては大変な手間です。

人によっては、特殊な医療機器が必要だったり、近くにその施術を行える専門家がいない、というケースもあります。

その為に、通院に一時間もかかるような病院に行けと言われたら、そのストレスだけで重症化しますよ。

地域医療というのは、「咳が出たら、いつでも診てもらえる」という気軽さではなく、患者の生命、しいては家族の暮らしまで包括した支援を差すのであって、あっちにも、こっちにも、病院があるんやから、間に合ってるやろ……というものではないんですね。

現代における病気は、単なる「身体の痛みや疲れ」では済まず、常に経済リスクを伴っています。

それがマスになれば、社会全体に広がり、町中に、病院難民や失業者が溢れかえることになります。

決して大袈裟ではなく、今や、平素の状態でも、介護などによる家計の破綻、人手不足や経営難による医療危機に瀕しているわけですから、「病気の重い、軽い」にかかわらず、これ以上、病人を出さない為の気遣いや努力は社会的必要である、と私は思います。

……ということを、医療者は昭和の時代から叫び続けているんですけど、It’s too late なのです。

参考として、《肺炎と風邪の違い》について、エボラ熱と映画『アウトブレイク』ダスティン・ホフマン主演に簡単に記述しています。

オフィシャルな情報は、下記リンクに分かりやすい解説がありますので、ぜひ目を通して下さい。


図: 肺炎予防.jp 『肺炎と風邪との違い、肺炎のリスクを知って下さい』

済生会病院 『本当にあだの風邪? それ、肺炎かもしれません』 

上手な病院のかかり方 ~パニックに陥らない為に

心配で見に来ている人も多いようなので、追記です

私も現役を退いて久しいので、あくまで体験談になりますけど、何かの参考にして頂ければ幸いです。

今度の新型コロナウイルス感染症について、一般市民が混乱するのは、受診の基準が曖昧だからと想います。

これだけ大問題になっているのに、「37.5度以上の発熱があっても、四日間は自宅待機して下さい」とか、「条件に該当する人だけ検査します」という話になれば、「その間に悪化して、取り替えのつかないことになったらどうするんや!」と不安に思うのが当然です。

これはもう完全に説明不足というか、、、有志の医療関係者が、Twitterなどを通して、「こうして下さい」と助言しても、一般人には理解できないことの方が圧倒的に多いと思うんですね。

またこう言うと弊害があるかもしれませんが、今、この瞬間、現場で対応に追われている医療関係者は、SNSやブログでじっくり発信するヒマもなどないし、第一に、情報守秘の義務がありますから、迂闊なことも口にできないのが現状です。

だから、余計で、現場の様子が正しく伝わらず、一般の患者さんも混乱されるのだと思います。

もし、今、私が患者さん家族から「激しく咳き込んで、微熱もある。渡航者でもないし、陽性患者に接触した覚えもない。どうしたらいいか」という相談の電話を受け取ったら、このように答えるだろうということをメモ書きしておきますね。

まず、「37.5度以上の発熱が続いて、喉も痛く、咳も出る。だが、呼吸困難というほどでもない。いつもの風邪みたいだけど、コロナが心配……」という場合は、近所のかかりつけのお医者さん、または内科や呼吸器を専門にしている診療所(クリニック)を受診して下さい。

一般人の中には、「町医者はあかん。大学病院とか、市立病院とか、大きな病院でないと、検査してもらえへん」と、有名な大手の病院に直行される方が少なくないですが、その”町医者”でも、優れた人脈を持っておられる方はたくさんいらっしゃいます。

自分の先輩や恩師が、大学病院の内科部長であるとか。

自分自身が、市立病院の内科医だったとか。

本当に状態が悪ければ、そうした人脈を駆使して、最優先で検査や治療が受けられるよう、根回しして下さるので、どんどん利用すればいいんですよ。

医療業界において、一番モノをいうのは、「ドクターの紹介状」です。

たとえ“町医者”でも、懇意にしてしている医師は多いですし、「○○クリニックの山田先生の紹介か。あの先生が《肺炎疑い》と言うからには、ただ事ではないやろ。聴診や血液検査のデータもかなり悪いな。看護師さーん、検査室と内科病棟に電話して、空きがないか、聞いてくれるかー?」みたいな感じで、トントン拍子に、治療の段取りが進むんですね。

また、一般の方は、「レントゲンやCTを撮影しなあかん。町医者ではちゃんと診てもらわれへん」と、聴診を見下げるケースが多いですが、胸に聴診器をあてて、呼吸音を聞けば、大概のことは分かります。

・ 呼気は肺の隅々まで行き渡っているか

・ 呼吸音はクリアで、ゴロゴロ、バリバリと、雑音が聞こえないか(分泌物の貯留や肺組織の炎症)

・ 呼吸音に左右差はないか

・ 心臓の雑音や、脈拍の乱れはないか

胸部レントゲンや胸部CTは、「自分の聴診が正しいか否か」の証拠固めであり、確定診断をつける為のデータの一つであって、レントゲンやCTをしなければ、何も治療できないわけではありません。

聴診や一般的な血液検査から、炎症、もしくは呼吸器不全の兆候が見られたら、治療開始は可能です。

まず、喉の痛みや激しい咳など、患者さんの症状にあわせた対症療法(解熱鎮痛剤、鎮咳剤など)から始めて、様子を見ながら、徐々に次のレベルの検査や治療を取り入れます。

検査する以前から、顔面蒼白、意識混濁、手足のしびれなど、重篤な症状が現れているなら別ですが、本人の免疫機能によって回復が見込まれる場合は、めくらめっぽうに薬剤や酸素を投与する方が、かえって身体に負担をかけるからです。

それでも、ゴンゴンと咳が続く中、自宅待機も不安だと思いますので、観察のポイントを挙げておきます。

1) 呼吸は正常か

ゴンゴンと激しい咳が続いても、「普通に息を吸ったり、吐いたりできる」「室内を歩いただけで胸が苦しくなることはない」「眠っている間は、咳が収まっている(ブツ切れでも睡眠が取れる)」「布団に横になることができる」等々、呼吸器(特に肺臓)が正常に機能しているなら、もう少し様子を見ます。

肺炎というのは、肺の主要な機能である《換気》が正常に行われず、体内の酸素不足と二酸化炭素の貯留の状態が続いて、ついには、手足のしびれや意識混濁など、全身に重篤な症状が現れることで、「激しい咳」とは意味が異なるからです。

喉の痛みや激しい咳(上気道炎など)は、そこに至るまでの前段階であって、呼吸=肺の換気が正常に行われている間は、「ただちに人工呼吸器」みたいな事態にはならないです。

全身に酸素が行き渡り、悪い二酸化炭素が呼気によって体外に吐き出される間は、まだまだ免疫細胞が戦えますから、

咳の状態も、大事な観察のポイントですが、まずは、「呼吸そのもの」に注意して下さい。

・ ゆっくり、深く、息を吸い込んで、ふーっと吐き出すことができるか

・ 一分間の呼吸数は正常か(肺の換気が正常に行われず、体内が酸素不足になると、身体はもっと酸素を取り込もうとして、ハァハァと、呼吸が浅く、速くなります。重症になれば、ベッドに横になることもできません。横隔膜が上がって、呼吸器が圧迫されて、余計で苦しくなるからです)

・ 顔面や手指が蒼白になってないか(体内が酸素不足に陥ると、蝋人形みたいな肌色になってきます)

・ 脈が異常に速くなってないか (酸素不足の身体に必死に酸素を送ろうとして、、心臓もバクバク状態になります)

2) 体熱が徐々に上昇傾向にあるか

一般的な風邪の発熱と、重篤な感染症の体温の上がり方は、微妙に異なります。

一般的な風邪の場合。

37.5度 → 38.2度(解熱剤を飲む) → 37.1度 → 37.6度 (なかなか下がりきらないな~)

こういうアップダウンを繰り返して、徐々に平熱に戻っていきます。

重篤な感染症の場合。

37.5度 → 38.2度(解熱剤を飲む) → 37.6度 → 38.5度(解熱剤) → 37.5度 → 39.0度

ボトムラインが正常値に戻ることなく、どんどん上昇していく、もしくは、熱の下がりきらない状態がずっと続きます。

その点、一般的な風邪は、一時期、体温が上昇しても、解熱剤を飲めば、正常値に近付く。

再び発熱しても、前回と同じ、もしくは、ちょっと低いぐらい。

という感じで、徐々に正常値に戻るのが一般的です。

しかし、解熱剤を飲んでも、じっと休んでいても、ボトムラインが37.5度を下回ることなく、どんどん上昇するようなら、4日間の自宅待機を待たず、すぐに近くのクリニックに相談することをおすすめします。

コロナウイルスが気になるのであれば、まずは、クリニックに電話して、患者さんの少ない時間帯に予約してもらうのも一つの手です。(診療時間の最後の方とか)

事前に連絡しておけば、医療者も心構えができますし、「もしや」の場合を想定して、書類などの下準備もできますから。

一番よくないのは、「町医者はあかん」「○○病院ではすぐにCTをしてくれへんかった」と、あちこちの病院に駆け込んで、体調の悪い患者さんを連れ回すことです。

本当に具合が悪ければ、移動だけでも大変な負担ですし、あれいや、これいやと、連れ回している間に、どんどん適切な治療の機会は失われていくのですよ。

先にも述べたように、医療業界で一番モノを言うのは「ドクターの紹介状」です。

状態によっては、クリニックの先生が自ら、大学病院の偉い先生に電話して、段取りしてくれる事もあります。

患者判断で、あちこち駆け回るより、はるかに効率的で、安全なんですよ。

救急車を呼ぶほどの重篤な症状でもない限り、まずは、近くのクリニックに相談して、胸の音を聴診器で聞いてもらって、ちゃんと呼吸器が正常に機能しているかどうか、確かめて下さい。

呼吸音もクリアで、チアノーゼも手足の震えも頻脈もない。熱も高いけれど、異常な熱のパターンではないし、食事や飲水も問題ない程度であれば、夜中にゴンゴンと咳が出て、つらくても、今しばらく自宅療養で様子を見ましょう。

しかし、「呼吸や脈が異常に速くなる」「室内をちょっと歩いただけで、胸が潰れそう」「ベッドに横になっておれないほど苦しい」「激しい頭痛や嘔吐がある」など、いつもの風邪と違う症状が出て来たら、すぐに再診しましょう。

その時も、「やっぱり町医者はあかん」で、いきなり総合病院に押しかけるのではなく、最初に受診したドクターの紹介状をもらって下さい。

そうすれば、最短距離で、次段階の検査や治療に進むことができます。

多分、これまでの経験や、ネットで見聞きしたことが引き金となり、医療不信や大病院信仰があるのかもしれませんけど、一般的には、掛け持ちするほど不利になりやすいので。

患者さんを失望させるような態度や言動をとる医療者がいるのもまた事実で、それは本当に申し訳なく感じています。

しかし、今回の新型肺炎に関しては、十分な休養と体力作りで打ち勝てる部分も大きいので、慌てず、騒がず、近所の“町医者”を上手に利用して、この季節を乗り切って下さい。

※ 現在、医療機関向けのネットワークも着々と準備が進んでいるようなので、ちゃんとステップを踏めば、診療拒否で手遅れになることは無いと思います。(一番問題なのは、納得がいかないからと、紹介状も無しに、次々と病院を訪ね歩くことです)

2020/04/06 追記

ということを、2月20日に追記した時点では、日本でも速やかに「疑わしきは、即、遺伝子検査(PCR法)」が行われ、「外来受診のゾーニング(一般外来と発熱外来の物理的な区別。建物の仕切りやコロナ対応診察室の創設など)」、「医療機関のサテライト化(高度の基幹病院を中心に、地方の医療機関が連携して、診察・検査・治療(患者指導)のシステマティックに行う」と思っていたのですが、異なる方策を採っているようなので、改めて追記です。

私も書きたいことは山のようにあるのですが、他国がなかなか上手くやっている現実を知ったところで、日本の患者さんには何の慰めにもならないだろうし、むしろ、医療不信と失望感が増す一方でしょうから、ここでは書かないことにします。

唯一つ言いたいのは、「患者さんが不安になるのは当たり前」という事です。

発熱と咳が続いて、苦しい……でも、原因が何か、いまいち分からない……こうしている間にも、みるみる悪化して、数日で命を落とすのではないか……

みな、不安と恐怖の只中と思います。

でも、それを口にすれば、無知だ、素人だと叩かれる。

ひたすら我慢して、寝てろ、働き続けろ……

そういう風潮こそ害悪ですよ。

私は自分自身が手術+入院軽々多数の「プロ患者」ですから、余計でそう思うのですが、患者さんというのは「データ」に安心するのではなく、「具体的な指針」によって希望を持つものです。

具体的な指針というのは、「明後日、○○の検査。検査結果の如何によって、治療方針の決定。××という治療をすれば、何日後には自立方向が可能になり、一ヶ月後には退院の予定」みたいな先の見通しです。

たとえ、それが厳しい内容であっても(最悪、不治の病であっても)、患者さん自身が、「現在の自分の状態を把握して、先の見通しを持っている」のと、持っていないのでは、気力・体力のレベルがまったく違いますし、どんな患者さんも「手術が必要ですね」と言われたら、お先真っ暗、遺書したため・・・みたいなショック状態に陥りますけど、「同じ手術をした9割の方はお元気で退院されますよ」「ずっと通院は必要ですが、5年、10年と、お元気に過ごされる方も多いので、コレとコレやって、一緒に頑張りましょう」と具体的に希望を示せば、途中で気持ちを切り替えて、闘病の構えに入る方が圧倒多数なのですよ。

それを、蛇の生殺しみたいに、「これといった治療も検査もできないので、とりあえず、家で寝ていてください」とか言われて、「そうか、オレは軽症なんだ」と安心できる人の方が少数だと思いますよ。

もちろん、上記にあるように、不安だからといって、何軒も病院を駆け回ったり、本来、高度な治療や検査を必要とする患者さん向けの総合病院に、どちらかといえば軽症の部類に入る患者さんが殺到するのは、好ましくないのは確かです。

しかし、これだけ、後手後手の状況で、パニックにもならず、疑いもせず、呑気に暮らせる方が不思議ですし、それを医療者が患者さんの精神性に求めるのは、あまりに臨床を知らなさすぎる態度だと私自身は思っています。

「臨床的」というのは、理論と実際の診察・看護は異なるということ。

「急性盲腸炎は、炎症を起こした盲腸を取り除けば、多くが快方に向かう」というのは理論であって、盲腸の受け止め方、術後の経過は、年齢、性別、身体的条件、社会環境などによって一人一人異なるし、その異なる部分に臨機応変に対応するのが「臨床」です。

その本質的な違いを無視して、数値や理論だけで患者さんを説得しようとしても、臨床的には何の意義も見出せないんですね。

今、理論を振りかざしている人も、いつか自分が病気した時、ドクターの言う、「じゃ、身体に悪いものが無いどうか、とりあえず、検査して調べましょう。今のところ、血液検査もレントゲンも綺麗ですねー。しばらく、このお薬で様子を見ましょう。良くならなかったら、また来て下さいねー」の一言にどれほど気持ちを救われるか、分かると思います。

ある意味、臨床というのは、心理学なんですよね。

また、「どうせ死ぬのは高齢者か持病持ち」みたいな話もありますが、悪性腫瘍には悪性腫瘍の、造血障害には造血障害の、「それにふさわしい死に方」があって、家族も、患者さん自身も、それを前提に闘病している方が大半です。

なのに、正体不明の感染症を持ち込まれて、数日で急死とか、家族も患者さんも哀れだし、納得できないですよ。

それを不運で片付けられるような感性は、普通の医療者なら持ち合わせていないと思います。何年も受け持って、自分の身内みたいに思い入れのある方も多いですしね。

だから、余計で、医療者が思わぬ所からウイルスをもらって(スーパーや駅の構内など)、自分自身がキャリアになってしまう衝撃と脱力感は計り知れないものがあるのです。

それを避ける為にも、もっと抜本的な改革をやらないといけないのですが、このまま、だまし、だましで乗り切ろう……というのが、日本の方針みたいで、結局、また臨床の医療者が踏み台にされるのだなと。(ちなみに、だましだまし、というのは、虚偽と違って、あの手この手で穴を塞ぎながら・・というニュアンスです)

ともあれ、不安な夜をお過ごしの患者さん。

今、世界中が不安と恐怖に戦いています。

スーパーに買い物に行くのも命がけ、道行く人が皆、ウイルスのキャリアに見える・・・「何故、こんなことになってしまったのだろう」という、まさに復活の日の世界です。

でも、一方で、新たな事業が芽吹き、進展している部分もあります。

日本のメディアでは、イタリアやスペインの泣き叫ぶ姿ばかりがクローズアップされて、世界が破滅に向かうかのような印象づけがなされていますが、こんなご時世でも、IT系は活気づき(オンライン決済、健康アプリ、教育、在宅ワーカーなど)、建材屋+大工はレジやオフィスに仕切りのアクリル板や整列用のテープを導入するのに大忙し、家庭用の健康器具やガーデニング用品などは売れ行き好調で、フィットネス系や家庭料理系のYouTuberは再生回数がうなぎ登り、飲食店は予約制で細々とでも継続し(お得意向けにスイーツや夕食をデリバリー)、運輸業は宅配の需要が激増、今までセルフレジ導入を見合わせていた店舗も一斉に完備するなど、水面下で勢いづいている分野もあります。

あと、小規模なインフラ工事も継続しています。配管・配線の入れ替え、信号機の整備、道路の塗装など、少人数でできる作業です。人通りと車両の少ない今がチャンスとばかり、あちこちで道路を掘り返して、せっせとインフラ整備してます。外出禁止令が出てから、いつの間にか市中のバス停周辺が綺麗に整備されて、びっくりしました。本当に国が倒壊するほどの経済的ダメージを被っておれば、地方都市のインフラ工事など出来ませんからね。

当面、コロナ特需で沸いている業者が納めた税金を、収入ゼロの世帯に上手に配分すれば、数ヶ月は乗り切ることが可能です。

また、失業率の増加も問題視されていますが、失業者の支援や生活保障は国ごとに異なりますし、戦略的に失業・閉店する人もあって、必ずしも失業=餓死ではありません。

コロナ騒ぎが一段落すれば、事業再開も可能ですし、一時的に失業者として社会保障を得た方が痛みも少ないという算段もあると思います。
(このあたりは、個々の状況を細かく分析しないと分からないです。でも、今、そこまでやってる余裕がないというのが現状)

もちろん、これは、一般人が外出を控え、国家の血脈となるインフラ要因を「感染させない」という社会体制において成り立つ話です。

外出禁止令が出ても、経済が完全に死ぬわけではなく、岩に堰き止められた水流の如く、どこからか隙間を見つけて、細々とでも続いていくんですね。

いずれ終息するのは確かですし、シリアの爆撃地と違って、インフラもそのまま残っているのですから。

それよりも、命大事。

そして、社会に対する信用こそが、復興の基盤です。

今、欧州各国で、排斥や強制とは異なる、新しい種類のナショナリズム(連帯感)が芽生え始めているのを見て、大きな時代の変わり目を感じます。

21世紀の復活の日は、IT(良い意味での情報開示と共有)と、産業の改革や創出によって、もたらされるのではないでしょうか。

コロナウイルスとインフルエンザの違い(なぜ外出禁止令が必要なのか)

下記にも書いてますが、各国が外出禁止令に取り組んでいるのは、「医療者・警察・消防・物流・食品販売など国家のインフラを担う人員を感染させない」が第一義で、「一般人を発症させない」は次点ぐらいです。要は、「一般人がふらふら出歩いて、医療や治安や物流の邪魔すんな」と。その為に、できる限り、生活保障をして、人の動きを止めているんですね。

検査数も多いですが、これもインフラ要員から優先的にやってます。

たとえば、警官二人をペアにして、町中をパトロールさせるのに、相棒が陰性か陽性かも分からない状態でペアは組めないでしょう。

医療もしかり。看護師や医師が陰性か陽性かも分からないのに、安心して受診できますか? 

病棟に上がって、包帯交換や点滴やチューブ挿入などが出来るでしょうか。

臨床で、清潔操作したこともなければ、肝炎や梅毒や薬剤耐性菌キャリアの患者の診療・看護もしたこともない、造血障害で著しく免疫機能が低下している患者の看護をしたこともなければ、大きな手術の直後で厳重な管理を経験したこともなければ、患者の身体に針を刺したり、チューブを挿入したこともない、感染性の高い汚物や排泄物の処理をしたこともない(血液・便、痰、膿など)、

臨床の清潔操作や院内感染防止のノウハウなど、何も経験したことのない人が、数値だけ見て、「ダイジョーブ、ダイジョーブ」と繰り返し主張し続けた結果が、現在の院内感染の増大ですよ。

自分たちは、決して、臨床に従事することもなければ、末期ガンや術直後の治療・看護に責任をもつこともない(肺炎以外で)、公共の場所で不特定多数の人を相手にする必要もない、

一日中、引きこもりみたいな生活しながら、現場の医療者を危険と過労に晒すような事を平気で口にする輩は、言論する暇があるなら、病院で清掃や消毒のボランティアでもしろ、と。コロナなんか怖くないと言うなら、患者さんがゴンゴン咳き込んでる病室でモップがけぐらいできるでしょう。マスク一枚で。

それが無理なら、せめて家の中でおとなしくして、デジタルコンテンツでも楽しめよと思います。

私も、買い物の機会があれば、いつもの倍ほど購入してます。今はそれぐらいしか出来ないしね。

少しでも金銭的に余裕のある人は、応援したい人にお金を使ってあげて下さい。

コロナウイルスとインフルエンザの違い(日本語字幕付き0↓

社会的に無力感に陥っている方へ

災害の時など、特にそうですが、毎日、誰某が死んだ、どこそこで大勢が苦労している……という話を大量に見聞きすると、遠くで安全に暮らしている自分に罪悪感をもったり、社会的に無力感に陥る人も少なくないと思います。

しかし、現場で対応に追われているスタッフも、被災した者も、基本的に、遠くで安全に暮らしている人たちのことを羨んだり、憎んだりすることはないのですよ。

「オレたちがこんなに大変な思いをしているのに、お前らは気楽に遊んで・・・」みたいな恨み節です。

私は阪神大震災の時にちょっとした医療現場のパニックを経験しましたし、日常的に、安全・安楽からは程遠い、社会の日陰の部分に身を置いていましたから、余計でそう思うのですけど、目の前がひっくり返って、生きるか死ぬかの状況に居る時は、他人の暮らしなど目に入らないし、その時々の業務をこなすのに精一杯、自分たちが徹夜で人工呼吸器の管理や大量吐血の手当に追われている間、他の人たちが居酒屋で飲めや食えやで楽しんでいても、何とも思わないんですね。

何故って、それは自ら選んだ任務だし、それこそが存在意義だからです。

それよりも、余計なことで引っかき回して、『仕事の邪魔をせんでくれ』。

その一言に尽きます。

消防士に喩えれば、危険な火事の現場に駆けつけて、命がけで消火作業に従事している時、他の人が居酒屋でドンチャン騒ごうが、高鼾でグウグウ眠ろうが、どうでもいいことなんですよ。

だって、消火は自分の仕事だから。

無関係な人は、家でのんびり寝ていて下さって構わないのです。

それよりも、混乱する現場に押しかけて、「火事や、スマホで撮影や、Twitterにアップして、いいね Get」みたいな奴らの方が、よっぽど腹立ちますよ。

一般人は何も手伝えない分、心の中で「消防士さんは立派だな、有り難いな」とリスペクトして頂けたら、それで十分報われるんですよ。気持ち的には。

医療もそれと同じ。

直接、関わりのない方は、家でのんびり寝ていて下さって構わないのです。

救急車のサイレンが鳴り響き、医師や看護師が不眠不休で働いている時でも、それとは無関係な方は、自宅で好きな本を読んだり、編み物をしたり、子供とYouTubeを楽しんだり、平和な日常を過ごして下さったらいいのです。

今、皆さんが、医療者に協力して、感染を拡げない、体調を崩さない、個々に出来る範囲で乳幼児や高齢者のケアをして下さったら、それに優る社会貢献はありません。

それよりも、臨床の負担や苦労を無視するような行動の方が、よほど迷惑ですよ。

直接、現場の役に立たなくても、閉店に追い込まれた知人に差し入れをするとか、好きな店でたくさん買い物するとか、身近で出来ることはたくさんありますし、「自分だけが安穏と暮らして・・」みたいに罪悪感や無力感をもつ必要はまったくないです。それよりも、健康でいましょう。そして、臨床の医療者が「こうして下さい」とお願いしたら、それに協力してあげて下さい。

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医療者も息絶える

シンガーソングライターの小椋佳は定年まで銀行員を勤め上げた。
人の心に触れる曲を作るには、人間社会との関わりが不可欠であることを知っていたからだ。
売れっ子でも、だんだん作品がつまらなくなるのは、内輪の世界に閉じてしまうから。
パートやボランティアや結婚生活等で人間社会の勉強を続けているアーティストは長続きする。

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海洋小説『曙光』MORGENROOD

宇宙文明の根幹を支える稀少金属『ニムロディウム』をめぐる企業と海洋社会の攻防を描く人間ドラマ。生き道を見失った潜水艇パイロットと、運命を握る娘の恋を通して仕事・人生・社会について問いかける異色の海洋小説です。
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