美しい女が老いに直面する時 映画『血の伯爵夫人』 エリザベート・バートリと年下の恋人

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【映画レビュー】 美しい女が老いに直面する時

年上女性と年下男性の「年の差婚」といえば、私はやはり小柳ルミ子さん(当時36歳)と大澄賢也さん(当時23歳)の「13歳差」が強く記憶に残っています。

あの時、結婚式で「愛のセレブレーション」を踊ったり、マスコミの前でもイチャイチャしたり、世間では「気色悪い」「財産目当て」「すぐに離婚する」等々、散々ないわれようでした。

でも、自分が36歳になって思うけど、そこまで気色悪い? って感じですよね。

今時、36歳でも、普通に恋愛するし、結婚も出産もする。

世間で寄って集って嘲笑するほどの事だったのかな、と、今は思います。

今なら「ルミ子さん、凄い」「美魔女の鏡」とか、言われてたかもしれないですね。

ちょっと時代が早過ぎたのかもしれません。

エリザベート・バートリは本当に罪人なのか?

邦題『血の伯爵夫人』(原題・The Countess)は、2009年のドイツ・フランス合作映画です。

若返りを願って数百名の少女を惨殺し、生き血に身を浸した希代の殺人鬼として知られるハンガリー貴族、エリザベート・バートリを主人公に描いた時代劇です。

私は何の予備知識もなく見始めて、最初はフランケンシュタインやドラキュラのようなゴシックホラーと思っていたのですが、きわめてシリアスな女性向けドラマに仕上がっていました。

ポイントは、「本当にエリザベート・バートリは数百名の少女を惨殺した罪人なのか」という視点から描かれていることです。

もしかしたら、ハンガリーの王侯貴族に嵌められ、罪をでっちあげられた、あるいは、数件の殺人を大袈裟に誇張しただけではないか、という解釈です。

当時の裁判は、現代とは大きく異なりますから、拷問による証言の強要、偽造文書、証人の買収、何でもござれ、だったと思います。

何の後ろ盾もない伯爵夫人を「魔女」や「殺人鬼」よばわりして、闇に葬り去るなど、当時の王侯貴族には朝飯前だったはずです。

そう考えると、私たちの知っている鬼女伝説とは全く違ったエリザベート像が見えてくる。

この映画は、年下男性との恋に破れて、精神的にも政治的にも追い詰められていく、一人の哀れな伯爵夫人の心象風景を描いています。

『女の美しさは時に抗えない』『老いれば恋を失う』という過酷な現実を、フランスの名優、ジュリー・デルビーが渾身の演技で表現しています。

年下の恋人と若さへの執着

ハンガリーの名門貴族、エリザベート・バートリは、知勇に優れた裕福な伯爵夫人。国王にも大金を貸し出す有力者の一人です。

夫の死後、21歳の若くてハンサムなイシュトヴァンと恋に落ちます。

若くてハンサムなイシュトヴァンと愛し合う

年上のエリザベートにも誠実な若い恋人

だけども、エリザベートは39歳。美貌の伯爵夫人も、老いと時間には逆らえません。

21歳のみずみずしい肉体を前に、自らの衰えを思い知らされるエリザベート。

そうそう、女の老いは、手に出るんですよね。

顔はメイクでごまかせても、手の皺や浮き上がった血管は隠せません。ついでに首筋も。

この場面を見るだけでも、自ら監督と脚本を勤めた女優ジュリー・デルビーの洞察の深さが覗えます。

※ リュック・ベンソンの『ニキータ』でも往年の大女優ジャンヌ・モローが若くて美しいニキータに「私の手を見てるの? 私も昔は美しかった」と語るシーンが印象的でした。(参考記事 → 泣き虫の殺し屋『ニキータ』女は美しさを利用して成長する

女性の老いは手に現れる。しわだらけの手を見て溜め息をつくエリザベート

この淋しそうな眼差し。わかる、わかる..
若い恋人を前にして老いの淋しさがいっそう募る

伯爵夫人の友人であり、助言役でもある魔術師のアンナ・ダルヴリアは、20歳以上も年の離れた若い男に恋するなど愚かしいと諫めます。
どうせ飽きられ、傷つくのが目に見えているのに……。

友人の忠告もエリザベートの耳には届かない

そうと分かっても、エリザベートはイシュトヴァンを諦めることができません。
若い恋人の誠実を信じ、彼の便りをひたすら待ち続けます。

若い恋人を待ち続けて苦悩するエリザベート

だが、この恋は、策略家であるイシュトヴァンの父親によって妨害され、エリザベートの元にはイシュトヴァンの心変わりを示す偽の手紙が届けられます。

絶望と悲痛の中で、自身の容姿がいっそう醜く、衰えていくことに怯えるエリザベート。

愛の成就を神に祈るエリザベート

苦悩と劣等感ゆえに自分の顔が醜く見える

失意の中で、エリザベートは徐々にサディスティックな本性を剥き出しにし、若くて美しい侍女を殴りつけます。

自身の顔に飛び散った侍女の返り血を拭いながら、エリザベートは自身の肌が乙女のように輝いているのに気付きます。

それは鏡に映った顔を朝日が光らせただけかもしれないのに……。

若い乙女の血液が頬を輝かせる

乙女の血が若返りさせてくれるかもしれない

『汚れなき処女の血に身を浸せば、美しく若返ることができる』

そう妄信したエリザベートは日ごと侍女の身体を切り刻み、血液パックにいそしみます。

若返りの為に乙女の血を求めるようになる

乙女の生き血こそが最後の希望

「いつまで続けるのですか」という侍女の問いかけに「あなたが空っぽになるまでよ」とエリザベート。
全身の血を抜き取られた侍女はとうとう絶命してしまいます。

失血死する侍女

やがて切り刻むだけでは物足りず、機械技師に拷問器具「鉄の処女(トゲ付きの人形)」を作らせ、その中に少女を閉じ込めて、さらなる血を求めます。

効率的に生き血を得るため拷問器具を作らせる

乙女の生き血を浴びれば若返ると盲信するエリザベート

やがて城の周囲は惨殺死体で埋め尽くされ、命からがら脱出した少女の証言などにより、エリザベートの捜査が始まります。

裁判の結果、殺害に手を貸した侍女らは処刑され、エリザベートは上級貴族であることから火刑は免れますが、漆喰で塗り固めた寝室に幽閉されます。

ついに法の裁きが下る

重罪人として壁の中に塗り込められるエリザベート

絶望の中でそれでも美と愛を求め続ける

真っ暗な部屋で三年半を過ごし、ついには自身の手首を噛みきって死亡。

けれども、その亡骸は棺桶に入れられることもなく、下賤な者として乱暴に葬られます。

エリザベートの亡骸は下賤の者として埋葬される

【コラム】 美女と老いとセルフイメージの崩壊

果たして、エリザベートは「処女の生き血に身を浸せば若返る」と妄信した鬼女なのか。

確たる証拠がない以上、後世の人間に審判を下すことはできません。

だけども、女性であれば、エリザベートの苦悩や焦りに共感するはず。

まして、恋人が年下であれば、平静でいられないはずです。

*

なぜ、女性は華麗と容色の衰えを恐れるのか。

理由は人それぞれでしょうけど、突き詰めれば、セルフイメージの崩壊が怖いのだと思います。

たとえば、学年きっての秀才がトップクラスの科学研究所に入ってみれば、周りは自分と同じレベル、あるいはそれ以上。

そんな中、自分が単なるワン・オブ・ゼムであることを思い知れば、今までの自分の努力は何だったのかと、セルフイメージもがらがらと音を立てて崩壊しますね。

女性の美貌も、それと同じです。

何もしなくても、女は老いるし、時間は決して待ってくれません。

10代、20代は、もてもてのプリンセスでも、40代、50代にもなれば、皺もタルミも出てきます。

いつまでも美人のつもりが、世間の目には、ただのオバサンでしかない。

周りを見回せば、自分より若くて美しい女の子が脚光を浴び、もはや自分の出る幕はない。

となれば、あの頃の私はどこへ行ったの? 

今までの人生は何だったの? 

という気持ちになりますね。

そうした焦りと絶望感が、極端な若作りに走らせるのだと思います。

ところで、セルフイメージとは何でしょうか。

それは、「理想の体型」や「なりたい顔」とは異なります。

鏡に映る姿とも、少し違っています。

セルフイメージとは、「私はこういう人間だ」という、自分自身に対する認識です。

たとえ、おたふくソースのような顔貌でも、「私は綺麗。アン・ハサウェイのような二重瞼の美女」と本人が認識していれば、それがセルフイメージになります。

逆に、体重45キロのスリムな体付きでも、「私は病的に太っている。皆が私の贅肉を嘲笑っている」と思い込めば、たとえ鏡にスリムな長身が映っても、本人の目には、醜い二段腹に見えます。

このように、セルフイメージは、実際の姿とはほとんど関係なく、自分自身が自分のことを、どのように認識しているかで、意味が違っています。

自分では学年一の秀才と思っていたら、周りは天才ばかり、その時、初めて、己の実力を思い知り、輝かしいセルフイメージが音を立てて崩れるのも、セルフイメージが単なる理想型ではなく、自分が『自分』として生きていく上で、アイデンティティの核となるものだからですね。

女性の場合、多少、太っていても、白髪があっても、「私は私。毎日が充実して、輝いている」というセルフイメージがあれば、鏡にボウボウの顔が映ってもさほど気になりません。『輝く自分』が心の核にあるので、たとえ周りに肥満と思われても、自我の根っこが揺らぐことがないからです。

ところが、エリザベートのように、年相応に美しいのに、「私は老いて醜い。誰にも愛されない」と思い込んでいると、たとえ鏡に美しい顔が映っても、自分で美しいとは思えないし、逆に、一本、二本と増えていく、口の周りの小じわや、白髪に意識が集中して、誰の慰めも耳に入らなくなります。

そして、たまたま手に取った美容液が効いたような気がすると、たとえ一本、10万円の高額商品でも、「私にはこれしかない。この美容液を使い続ければ、皺も取れるし、十歳若返る」と盲信して、湯水のようにお金を注ぎ込んでしまうんですね。

*

本来、セルフイメージというものは、心を高揚させ、自分の人生に自信をもつための青写真のようなものです。

ところが、ある種の思い込みでセルフイメージが歪むと、人は平静ではいられなくなります。

まして、競争心や嫉妬心が絡めば、セルフイメージもいっそう歪んで、「もっと痩せなければ」「もっと美肌にならなければ」と、強迫観念のように突き進んでいきます。

セルフイメージの歪んだ人にとっては、他人の些細な言動や、取るに足らない不具合さえも、自尊心を蝕む害毒です。

エリザベートも、「老い=愛の喪失」と思い込み、イシュトヴァンの誠実を最後まで信じ抜くことができませんでした。

美しい容姿は、人に多大な自信を与えますが、それだけに頼ると、いざ老いに直面した時に、セルフイメージの崩壊に繋がり、しまいには心を病んでしまうものです。

見た目から解放された時、人は本当の意味で健やかな自尊心を手に入れるのかもしれませんね。

*

最後に、エリザベートのこの一言を万人に贈ります。

若さと美を願うのは、間違いですか?

若さと美を追い求めるのは間違いですか?

この場面、非常に説得力あります。

鏡に向かう後ろ姿のアングルが、特に。

さすが女優さん、よく分かってらっしゃる。

【恋愛コラム】 恐れは愛を失う ~映画『血の伯爵夫人』より

追記:2015年10月12日

今も、世の多くの人が、愛を失うことを恐れています。

ここでいう「愛」には、尊敬、信頼、称賛も含まれます。

だけども、愛を失うことを恐れるほどに、人は失うような行動に走ってしまうものです。

愛を失うまいとするあまり、しつこく電話したり、メッセージを送ったり。

愛を失うまいとするあまり、自分を実物以上に大きく見せようと必死になったり。

相手の言動の一つ一つに神経をとがらせ、少しでも、自分の期待と違っていれば、たちまち不安になり、怒ったり、疑ったりするのです。

そんなあなたは、世間の評価に囚われていませんか。

女は美しくなければ愛されない。

男は立派でなければ愛されない。

子供はいい子でなければ愛されない。

社長は凄い人でなければ尊敬されない。

一方的な思い込みは、自分自身を追い詰め、相手にプレッシャーをかけます。

「こうでなければならない」と物事を操作しようとして、いっそう愛を遠ざけてしまうのです。

*

では、どうすれば恐れはなくなるか。

第一に、「こうでなければならない」という思い込みを無くすことです。

思い込みの強い人は、日常的に、他人をジャッジするのが癖になっていませんか。

学校の級友、会社の同僚、隣で食事している人、たまたますれ違った人。

誰彼かまわず見回しては「あの服、ださい」「あの人、キモい」とチェックしていると、周りも自分を厳しく評価しているような錯覚に陥ります。

誰もあなたの事など気にも留めてないのに、あなた自身がいつも周りを見回しては、上だの、下だの、品定めばかりしているから、他人も自分の一挙一動に目を光らせて、ジャッジしているような気持ちになるんですね。

恐れをなくすには、他人を品定めするのを止めて、相手の欠点や失敗を許すのが一番です。

相手の駄目なところを受け入れることで、まずは自分自身が寛容の精神を学ぶのです。

寛容が身に付けば、他人も、案外、寛容だということが分かるし、自分が相手を許すように、相手も自分を許してくれる、その余裕が、世の中を生きやすいものにするんですね。

許し、許されの余裕が身に付けば、人が人を愛するのは、その人が立派だから、あるいは、美しいからではなく、欠点や心の弱さゆえに、理解され、大事にされているということが分かってきます。

それが分かれば、自分も背伸びする必要はなくなるし、ありのままの自分でいることに、何の不安も感じなくなるんですね。

自分が気にしている他人の欠点は、自分自身の欠点に他なりません。

相手が自分の映し鏡だから、恐ろしく感じるだけで、その映し鏡である他人を許し、理解するように努めれば、いつしか、自分自身も優しく癒やされていくのです。

*

映画『血の伯爵夫人』のエリザベート・バートリは、老いを恐れるあまり、若者の愛が信じられず、結果として愛を失いました。

年下の恋人イシュトヴァンの言葉、「20歳以上の年の差も気にならない」というのは真心であったにもかかわらず、「老いて醜くなった女は愛されない」という思い込みが、嫉妬と猜疑心を駆り立て、物事を悪い方に、悪い方に、転がしてしまったのです。

しかも、恐れる人は、皮肉なことに、恐れが現実になった方が都合がいいのです。

信じて、闘って、愛を掴むよりは、自分からわざと壊して、「そら、見たことか」と自分で納得した方が安心するからです。

エリザベートももう少し冷静になって、自分の目で事実を確かめたり、相手とじっくり話し合ったり、現実と向き合う勇気を持てばよかったのに、「若い恋人に誠実など、ない。年を取った女は、みじめに捨てられるだけ」というシナリオを当てはめ、自分から恋を壊してしまいました。

鏡に映る自分の顔ではなく、相手の心を真っ直ぐに見つめれば、もっと違う道が開けたでしょうに。

こうなる、こうなると恐れていると、それは現実になります。

恐怖に打ち克つには、都合の悪い現実とも向き合い、一つ一つ勇気をもって、乗り越える他ありません。

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この作品は、DVD化もされておらず、動画サービスだけなんですね。

似たようなタイトルに「アイアン・メイデン 血の伯爵夫人バートリ」」がありますが、こちらはまったく別モノです。

興味のある方は、Amazonで再度リリースされるのを待つか、HuluやNetflixなどを探してみて下さい。

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こちらは小説仕立ての伝記みたいです。

こちらは外国作家による作品。厳密な伝記ではなく、こちらも小説仕立てみたいですね。

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初稿: 2015年10月12日

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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