有人潜水艇の潜航について ~想像力で深海に潜る・耐圧殻で夢見る豊かな生命の世界

目次

想像力で深海に潜る

「想像力で潜れ」というのは、著名な地球物理学者で、海洋科学センター(現・JAMSTC)の理事であられた堀田宏先生が仰った言葉です。
出会いまでのいきさつは『後編』のあとがきにも詳しく書いていますが、それが最大の励ましであり、私自身の課題でもありました。何せ、見たこともない、触ったことさえない、有人潜水艇のコクピットの様子や潜行の過程、深海の様子を、リアルに書かなければならないからです。

それでもITの進化によって内外の海洋機関のプロモーションビデオや研究論文などをPCで手軽に閲覧できるようになりました。リアルとまではいきませんが、目で見て、耳で聞いて、現場の様子をつぶさに感じられる、便利な時代です。

ところで、深海を知ることで、何が変わるのでしょうか。

深海と潜水艇 豊かな生命の世界にも書いていますが、地球は惑星表面積の70パーセントが海洋で占められ、さらに海洋の97パーセントは光も差し込まない暗黒の世界です。私達が知り得るのは、目に映る世界のほんの一部だけ。大半は闇と超高圧に閉ざされ、その全容を把握することもできません。エベレストの全景は一望できても、私達はほんの数メートルの深さの海底地形さえ、ありのままを目にすることはできないのです。

深海を知ることは、自分たちが暮らしている世界の実体を知ることでもあります。
あの山も、この大地も、海の上にぷかぷか浮いているわけではありません。その実体は、水深数千メートルから突き上げる巨大な岩山みたいなものです。そして、その基盤である海底地殻は惑星のメカニズムによって刻一刻、位置や形状を変え、時に地震や噴火を引き起こします。
火山のことも、カルデラを観察しておれば全てが分かる……というわけではないのです。

水深数千メートルの水の層を取っ払って、海の底で起きている事を詳しく知ることは、技術的にも、金銭的にも、容易ではありませんが、技術の進歩によって、様々なことが分かってきています。

深海の調査も、世界的に無人化の方向に向かっていますが、人がその目で目視することも非常に重要です。その中で感じたこと、考えたことは、科学のみならず、社会の哲学として広まって欲しいと願っています。

参考図書

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 深海底からみた地球 〈「しんかい6500」がさぐる世界〉 (単行本(ソフトカバー))
 著者  堀田 宏 (著)
 定価  ¥1,980
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【小説の抜粋】 潜水艇の耐圧殻(コクピット)にて ・ 想像力で潜るんだよ

水深3000メートルの深海で採鉱システムの揚鉱管を繋ぐ『接続ミッション』を前に、ヴァルターはプラットフォームのマネージャーにテスト潜航を求めるが、マネージャーは予算と時間の都合で却下。

主任会議では、「今さら潜水艇のサポートは必要ない。オール無人化で対処できる」と将来的な無人化を主張する声も大きく、結論の出ないまま、アル・マクダエルの視察の日を迎える。

採鉱事業の上役を交えた会議で、アルは「テスト潜航は認められない」というマネージャーの意見を尊重し、ヴァルターの希望は退けられる。

ミッションのプレッシャーと、大勢の前で恥をかかされた悔しさから、潜水艇プロテウスの格納庫でくさくさしているところ、アルの愛娘、リズが様子を見にやって来る。彼を慕うリズは「潜水艇の中が見たい」と申し出、ヴァルターは渋々ながらも耐圧殻の中に入れてやる。

夢の中の潜航でいっそう心を通わせるようになった二人は、屋上のヘリポートに上がり、『永遠の環』――沈む夕陽も海の向こうでは朝日になる。この世に終わりも始まりもなく、すべてのものは形を変えながら永遠に廻る――という彼の父の教えについて語り合う。

彼のことが好きで好きでたまらなくなったリズは、とうとうその想いを打ち明けるが、彼の返事は意外なものだった。

落ち込むリズが砂浜で目にしたのは、一匹のウミガメだった。

このパートは『海洋小説『曙光』(第二章・採鉱プラットフォーム)』の抜粋です。 作品詳細はこちら

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「私の体内には発信器が埋め込まれているの。伯母と警備会社だけが発信器のシグナルを追跡できる。いつでもデバイス一つで私の居所が分かるのよ」

「それじゃあ、まるで犬と同じじゃないか」

「仕方ないわ。私と同じ年頃の女性で恐ろしい目に遭っている人は少なくないもの。子供でも容赦ないって」

「アル・マクダエルの娘でいるのも大変だな」

「もう馴れたわ。犬の首輪もずっと付けていると身体の一部になってしまうみたい。束縛されるのは辛いけど、一方では安心もしてる。何処に連れ去られても、パパがきっと見つけ出してくれるから。それより、格納庫って、いろんな機械があるのね。潜水艇もUボートのような乗り物を想像してたわ」

「ともかくブリッジに戻った方がいい。俺が連れて行くよ」

「まだ戻りたくないわ。せっかく、ここまで来たんだもの」

「君も強情だね」

「ええ、そうよ。アル・マクダエルの娘ですもの。時には思い切り口答えすることもあるわ。いつもいつもパパが絶対的に正しいわけじゃなし、あなたも一言、ガツンと言ってやればいいのよ。『おい、タヌキ、いつも偉そうにしてるんじゃねえぜ』って」

リズが可笑しな口真似をすると、彼は一瞬目が点になったが、

「俺は一応、あの人に敬意を払っているから、それは言わないけど、君の反抗心はちょっとばかり手助けしてやりたい気はするよ」

「どうやって?」

「どこか見たい場所があれば、一カ所だけ案内する」

「じゃあ、プロテウスを見せて下さる?」

「どうして?」

「一度、海の底がどんなものか見てみたいの。どれほど目を凝らしても、海の上からは決してその姿を垣間見ることはできないもの。そして、私には搭乗する機会は永久にない。だから、潜水艇だけでも間近で見たいのよ」

彼は了解すると、タイヤ付きの移動梯子をプロテウスの船体側面に寄せた。一段、一段、慎重に梯子を登り、改めて全体を見渡すと、まるで空飛ぶクジラのように感じる。どっしりと重量感があって、流線も美しい。

彼がハッチを開くと、リズは恐る恐る耐圧殻の中を覗き、「まあ、あんなに機械がいっぱい。それに随分狭いのね」と嘆息した。

「怖いなら、やめた方がいい」

「いいえ、行くわ。今行かなかったら、もう二度と機会はないもの」

リズが切実な口調で答えると、最初に彼がハッチの中に入り、「この梯子を下りるんだよ」とやって見せた。ハッチの下方に取り付けられたのは小さな折りたたみ式の梯子で、足を踏み外せば、どすんと落ちそうだ。彼が心配そうに見守る中、一つ一つ梯子を下りたが、ようやく足先がカーペットに着いた瞬間、どっと緊張がとけて、その場にへたり込んだ。

「君にはエベレストのような冒険だね」

「『エベレスト』?」

「ステラマリスで一番高い山だよ。標高が八八〇〇メートルある。でも、海の深い所はそれよりまだ深い」

「世界で一番高い所も、一番深い所も、知ってるのね」

「深い所だけだ。高い所はほとんど登ったことがない。俺、低地(ネーデルラント)の人間だから」

「低地って、どれくらい低いの」

「海面より低い」

「想像がつかないわ」

「お盆の底に住んでいるようなものだよ」

「まあ……お盆の底に……」

どうやらリズには何を言ってもピンとこないようだ。

二人は覗き窓を挟んでカーペットの上に腰を下ろすと、耐圧殻の中を見回した。

球状の空間には計器類が所背増しと並び、ソファもトイレも何もない。少し身体を動かせば壁に突き当たり、長時間閉じ込められたら息も詰まりそうだ。

でも、胸が苦しいのは耐圧殻のせいではない。ちょっと手を伸ばせば、すぐに掴まりそうな、この距離感だ。

リズは気を紛らわすように周りを見回し、「本当に狭いのね」と呟いた。

「内径はたったの二メートルだ。大人三人が乗り込めば、ほとんど身動きもとれない。スケジュールによっては、この中に九時間近くも閉じ込められるから、潜航調査も体力勝負だよ」

「でも、潜航するのは素敵でしょうね」

「そうだね。人が行けないところに行けるからね」

「どうしてプロテウスのパイロットになったの?」

リズが水色の瞳を瞬くと、彼も口を開き、

「商船学校の実習でプロテウスの潜航を見学した。黄色い船体がゆっくり海の底に沈んでゆくのを見た時、自分自身が深海に降りて行くような気がした。その感覚が忘れられなくて、パイロットを目指した」

「初めての潜航は何歳の時?」

「二十三歳だ。最初は整備の仕事を通してプロテウスの構造や機能を覚え、シミュレーターで操縦訓練し、基礎が完全に身についたら、ベテランのパイロットに付いて副操縦士として初回の潜航を経験する。今はなり手が少ないから、けっこう即席でね。俺も海洋技術センターに入所して八ヶ月目には操縦桿を握った」

「年に何回ぐらい潜ってたの?」

「年に二十回から三十回だ。一つミッションが終われば、すぐにまた応援を依頼されて、西に東に飛び回っていたから、一年の大半は海の上だった」

「水深数千メートルの海底って、どんな世界?」

「真っ暗だよ。あらゆる波長の光が吸収され、強い投光器で照らしても、目視できるのは、せいぜい半径十メートルほどだ。音もなく、色もなく、生き物もほとんど見かけない。でも、地上よりはるかにダイナミズムにあふれた世界が広がっている。人間が介在しない、ありのままの自然だ」

「なんだか想像がつかないわ」

「じゃあ、こんな風に想像して。あらゆる光が吸収される真っ暗な水底。それも指先に大柄なプロレスラーが何人も乗っかるような超高圧の環境だ。フィットネスプールでも、深く潜れば、胸が苦しくなるだろう。あれが何百倍、何千倍にもなった感じだ。人間はもちろん、フォルトゥナ号だって、そこまで潜れない。だが、陸地と同じように山があり、谷があり、その底には深海流も流れている。摂氏数百度の熱水の周りで群れを成すチューブのような生物もいれば、水深六〇〇〇メートルの海底をゆうゆうと泳ぎ回る魚もいる。地上の人間には決して見えないけど、深海も生きてるんだよ」

「海について話す時のあなた、とても生き生きと輝いてるわ。もっと話してくれる? 海の底に潜るのはどんな気分?」

「静寂だよ。地上の一切から離れて、心の一番深い所に降りていく。夜の底で耳を澄ませるみたいに。潜ってみるまでは何に出会うか分からない。生き物なのか、熱水か、それとも珍しい現象か。何にせよ、そこで出会うものはみな新しい。人の手が一切加えられてない、本物の自然が存在する。そういう深みに降りて行く時だけ、俺は不思議と自分の感情に素直になれる。不安も、淋しさも、海の底なら恐れずに向き合うことができるんだ。そして、数千メートルの深みから船に戻ってくる時、どこか新しく生まれ変わっているような気がする。もちろん、心の中での話だけど」

「私も行ってみたいな、そういう所」

「心の中で行けるよ、いつでも」

「心の中で?」

「想像力で潜るんだ。俺が連れて行ってやるから、目を閉じて」

「……こう?」

言われた通りに目を閉じると、彼は遠い海を懐かしむように覗き窓の向こうを見つめた。

今、君は耐圧殻に乗り込んだところだ。整備士が声かけして、天井のハッチを閉める。これで外界とは遮断され、ミッションが終わるまで缶詰だ。慣れないうちは少し息苦しく感じるけど、潜航を開始したら覗き窓の向こうに広がる世界に心を奪われる。耐圧殻の外では甲板員がAフレームクレーンの索を取り付けるのに忙しい。カタカタと金属音が響き渡る中、君の胸は不安と期待でいっぱいだ。

取り付けが終わると、いよいよ海に出る。クレーンがプロテウスを吊り上げ、ブランコみたいに作業甲板の外に降り出して着水する。その間、プロテウスは大きなラグビーボールみたいに海面にユラユラ浮かんでいる。海上で待機していたダイバーがプロテウスの船上に乗り移り、クレーンを固定している索を外せば、いよいよ潜航開始だ。バラストタンクからエアが抜け、炭酸ソーダみたいに大量の泡を吹き上げる中、浮力を失ったプロテウスが徐々に海水に沈んでゆく。

五〇メートル。次第に天空の光が遠ざかり、地上とはまったく異なる海の世界が開けてくる。

二〇〇メートル。辺りは静寂に包まれ、ほとんど光は届かない。ここから先は海の生き物と惑星のダイナミズムが支配する世界だ。人間など遠く及ばない。

五〇〇メートル。おや、あれは何だろう? さらさらの泥で埋まった海底に白い氷みたいなのが見える。地中のガスが海底の水圧と低温によって氷みたいに固まったんだ。あそこからは、地中から湧き出すガスが水槽のエアポンプみたいにプクプク立ち上ってる。一つ、二つ、かなり勢いがある。

一〇〇〇メートル。ここは海底火山のカルデラ底のど真ん中だ。あそこには大量の黒い溶岩が枕のように固まって岩盤を覆い尽くしている。つい最近、誰にも気付かれないうちにマグマを噴き出したんだ。海の上からは何も見えないけれど、あそこにも、ここにも、海の火山は絶え間なく活動している。そのエネルギーが惑星の生命を支えているんだよ。

二〇〇〇メートル。前方に奇怪な岩が見える。巨大な鍾乳石みたいにそびえ立ち、真っ黒な煙をもうもうと噴き出している。これはブラックスモーカーだ。地下でマグマに温められた熱水が地中の金属成分を大量に溶かし込んで、こんな黒色になった。水温は二七〇度。ここは超高圧の世界だから、熱水も蒸発せずに、気体でも液体でもない状態で海中に噴き出す。その周りには、化学成分を栄養にしている目のないカニや二枚貝、白いホースみたいなチューブワームがびっしり繁殖している。彼らはこの熱水が大好きだ。人間には有害な物質も、彼らには極上のご馳走になる。何十億年も昔、最初の生物がこういう過酷な環境で誕生したと言われているが、それを決定づける証拠は未だ得られてない。それでも、みな黙々と生きている。小さな岩場で、彼らなりに共存共栄の生命システムを作り上げ、何億年と生きているんだよ。

いよいよ四〇〇〇メートル。ここからはABYSS(アビス)と呼ばれる深海の世界だ。人間なんか一瞬でペチャンコになる。それでも、どんどん海の深みに降りてゆく。そんな深みにも惑星のダイナミズムを感じさせる不思議な現象や生き物がたくさんあるからだ。

五〇〇〇メートル。ここまで来れば、もう一つの宇宙の果てにいるような気分になる。音もなく、光もなく、想像を絶するような超高圧に包まれた神秘の領域だ。動くものなど何一つない。だが、目を凝らしてみると、そこにぼんやり光り輝くものが在る。近づいてみると、こんな所に魚が泳いでいるじゃないか。スケルトンの標本みたいに透き通り、顔も身体もSF映画のクリーチャーみたいにグロテスクだ。全身をネオンサインみたいにキラキラさせながら、のんびり、ふわふわ、暗黒の深海を泳いでいる。君はどこに棲んでいるの? 何を食べて生きてるの? 問いかけても返事はない。名前すらない。でも、名前なんかなくても、生きてる。人間の思惑など関係なしに、自らの命を楽しんでいる。なんて健気で可愛いんだろう。誰にも掴まるんじゃないよ。いつかまた、深海のどこかで会おうね。

六〇〇〇メートル。いよいよ海溝の底だ。そこは海の谷の果て、誰も触れたことのない神秘の世界だ。まるで海の女神に導かれるようにプロテウスも降りてゆく。まるで海の胎内を旅するように、深く、ゆっくりと……。

【リファレンス】 深海の魅力 ~豊かな生命圏~

こちらはガラパゴス諸島沖の熱水噴出孔。煙突のような堆積物の高さは10メートル以上。こんな過酷な環境にも生命圏が存在するのがすごいね。

こちらは特大級のチューブワーム。

こちらは皆さんが大好きな深海生物。気持ちワルイけど、可愛い♪

こちらは海底火山の噴火の様子。水中なので、瞬時に冷えて固まる。

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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