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インシャアッラー 全てを神の御心に委ねて 映画『デビルズ・ダブル』

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映画『デビルズ・ダブル』が描く狂気

悪魔のようなウダイ・フセインと影武者の苦悩

『影武者』とは、重要人物の命を守るため、顔や体格の似通った人物を本物そっくりに仕立て上げ、常に影のように添わせて、敵の目をくらませる戦術の一つだ。

ドラマにおいては、しばしば本物が命を落とし、国の動乱を回避する為に、影武者が本物に取って代わる。

そして、「本物の武田信玄」「本物の徳川家康」を演じるうちに、一介の野武士に過ぎなかった凡庸な男が大将の器に目覚め、ついでに、本物の正妻や愛人とも好い仲になって、偉大な指導者として国を統治する、いわば「男性版マイフェア・レディ」のような筋書きが主流だが、映画『デビルズ・ダブル ~ある影武者の物語』は、文字通り、「悪魔のようなウダイ・フセイン」に人生をめちゃくちゃにされ、悪行の中で葛藤する影武者の苦悩を描いた傑作だ。

ウダイ・フセインは、2006年、戦争犯罪によって絞首刑にされたサダム・フセインの長男で、常軌を逸した蛮行から「ブラック・プリンス」と呼ばれ、殺人、窃盗、強盗、レイプなど、数々の悪の所業で知られている。

そのウダイに「顔が似ている」というだけで、影武者になることを強要され、狂気の日常に巻き込まれたのがラティフ・ヤヒアだ。

想像を絶する悪行の中で、ラティフは何度も逃亡を試みるが、家族を人質に取られ、身動きが取れない。

しかし、ウダイの情婦がラティフに寝返ったことで、逃亡の機会が訪れ、ウダイに復讐を試みる――という筋書きである。

*

『デビルズ・ダブル』は、彼の手記やインタビューを元に制作された非常に生々しい作品であり、何の予備知識もないままに見たら、その残虐さに吐き気をもよおすにちがいない。

もちろん、映画はあちこち脚色されているし、実際、ウダイがどんな人物だったか、日本人には知るよしもない。

こちら側に伝えられるフセイン一族の印象も、「歴史はつねに勝者の側から書かれる」という言葉もあるように、どこまで真実か分からない。

そうした歴史規定背景を抜きにしても、映画『デビルズ・ダブル』は一つのドラマとして楽しめる。

まさに「悪魔」としか言いようがない、狂気の権力者ウダイに捉えられ、悪事の片棒を担がされながらも、己の良心に忠実であろうとするラティフと、彼を支える家族の姿は胸に迫るものがある。

監督は「007/ダイ・アナザー・デイ」を手がけた、リー・タマホリ。

イラクを舞台にした作品ながら、アクション映画のようにスピード感があるし、BGMにハードロックをからめた劇画調の演出も見応えがある。

<ここからネタバレになりますが>

物語は、国の行く末を憂う青年ラティフが、何の事情も知らされないまま、ウダイの元に連行される場面から始まる。

ウダイの異常性は学生時代から知っていたこともあり、話し合うまでもなく、ラティフの答えは「No」だ。

だが、自身はともかく、家族の命も人質に取られては逆らえない。

形成外科の手術も受けて、ウダイの影武者となり、二十四時間、行動を共にするようになったラティフが目にしたのは、金ぴかの豪邸にずらりと並ぶ高級車や、一流ブランドのスーツ、時計、アクセサリ。

夜な夜な高級クラブで繰り広げられる乱痴気騒ぎに、女漁り。

スポーツ選手を拷問にかけた映像をコレクションにしたり、婚礼中の花嫁をレイプして自殺に追い込んだり、道行く女子高生を誘拐して、絞殺した挙げ句、道端に遺棄したり。

まさに悪魔の所業としか言いようのない蛮行の数々だった。

次第にラティフは良心の痛みに耐えきれなくなり、ついにウダイに反抗して、逃亡を試みる。

そんなラティフに対して、ウダイがとった手段は、ラティフの最愛の父に銃口をつきつけ、「自由か、父の死か」を選ばせることだった。

すべては神の御心のままに

この映画の一つのクライマックスは、ついにウダイの手がラティフの家族に伸びる場面にある。

それまでは脅しに過ぎなかったが、ラティフが逃走したことで、現実のものになった。

だが、ラティフから詳しい事情を聞くまでもなく、すべてを察した彼の父親は言う。

(我々が無力で、直接手を下すことができなくても)いつか必ず神の裁きが下る。お前が自由を得ることで、私が死ぬことになっても、それは神のご意志だ。インシャアッラー(すべては神の御心のままに)

言うまでもなく、彼らの神は「イスラム」であり、普通の日本人にとっては遠い世界の偶像のような存在だ。

だが、キリスト教徒がイエス・キリストの愛と奇跡、そして神の大いなる業を信じるように、彼らもまたイスラムの神を信じ、その大いなる知恵と導きに心を委ねて生きている。

作中でも、しばしば「インシャアッラー」という祈りの言葉が登場するが、絶対的な権力者で、悪魔のような人格をもつウダイに対し、ただ善良であるという以外、抗う術もない普通の人々が、最後に恃みとするのは、唯一、『神』のみである。

明日、自分が死ぬとしても、悪魔のようなウダイが栄耀栄華を極めるとしても、すべては「神の御心のままに」

己の不運を嘆いたり、復讐を試みたりせずとも、すべてを神の御心に委ねれば、魂の平安を得ることができる。

一見、戦いを放棄し、無責任に開き直ったようにも取れるが、これこそ無力な人間に授けられた最高の知恵であり、無限の強さでもある。

何故なら、この世のことは、しばしば、我々の理解を超え、それを自らの手でコントロールしようとすれば、必ず不条理に打ちのめされるからだ。

だが、全てを神に委ね、人間自身で裁いたり、復讐することをやめれば、無益な怒りや憎しみから解放される。

ラティフの父親も、息子に復讐の鬼となるよりは、全てを神の御心に委ね、心安らかに生きるよう願っているのだ。

『デビルズ・ダブル』は、悪魔のコピーになれない人間の良心の物語でもあり(ラティフ以外の取り巻きも含めて)、それwを支えるのはインシャアッラーの知恵である。

本作に登場する『神』が、イスラムの神であれ、キリストの神であれ、『大いなる存在の御業』を教えてくれるのは興味深い。

ちなみに、本作には、(役柄として)サダム・フセインも登場するが、悪魔のような息子を産みだした父親の悲哀をちらりと滲ませる場面も印象的だ。

「神か、悪魔か」というならば、人の世のこそが辺境の地獄ではないだろうか。

DVDとAmazonプライムビデオの紹介

なんだかんだで、この映画は、年に2~3回は見てしまう。

日本語吹き替えが上手いのと、ウダイの壊れっぷりが半端ないのと、ドミニク・クーパーの演技が素晴らしいので。

また、イラクのイメージも大きく変わる。

日本に伝えられるイラクは、荒れる砂漠のイメージが強いけれど、マハラジャみたいな高級クラブもあれば、宮殿には王侯貴族のような暮らしもある。

欧米諸国とあれほど敵対しても、上流階級の憧れは、Rolexや、Ferrariや、欧米の一流ブランドだということ。

本作もどこまで史実か分からないが、20世紀後半の中東情勢をちらと垣間見る上でも、一度は見て損のない映画だ。

デビルズ・ダブル -ある影武者の物語- [Blu-ray]
出演者  ドミニク・クーパー (出演), リュディヴィーヌ・サニエ (出演), リー・タマホリ (監督)
監督  
定価  ¥1,987
中古 7点 & 新品  ¥1,092 から

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吹替が上手いせいか、ウダイの下品で、知性の欠片もないギャハハ笑いが泣かせる。
残酷な場面もあるけれど、「権力者の馬鹿息子」をティピカルに描いた作品として楽しんで欲しい。

ちなみに、私の中でポイントが高かったのは、高級クラブの場面で、1980年代を代表する、Deae or Alive のヒット曲『You Sping Me Round』が使われていたこと。

関連記事 → 80年代サブカルシャーを象徴する You Spin Me Round (Like a Record)

初稿 2011年12月30日

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