英雄的行為=自分の最高の苦悩と最高の希望とに向かって、同時に突き進んで行くこと

英雄的行為=自分の最高の苦悩と最高の希望とに向かって、同時に突き進んで行くこと『悦ばしき知識』

英雄的行為=自分の最高の苦悩と最高の希望とに向かって、同時に突き進んで行くこと
英雄的にさせるものは何か。
「自分の最高の苦悩と最高の希望とに向かって、同時に突き進んで行くことがそれだ」

ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)

これも『悦ばしき知識』の一節です。

正直、ニーチェの説く生き方は、無茶苦茶キツイ。

そりゃもう生きることも闘うことも止めて、ノンベンダラリと流された方が楽に決まってる。

だけど、それでは空しさしか残らない。

本当の悦びも勝利も無い、とニーチェは説いてる訳です。

ところで彼はシアワセだったんでしょうか?

晩年には精神を病み、孤独の中に一生を終えた彼ですが、

もし言葉を交わすことができるなら、一度お聞きしてみたいもんです。

(愚問と叱られるかもしれんなあ (^^;)

初稿:1999年1月31日

英雄的行為とは・・・

最高の苦悩と最高の希望に向かって、同時に突き進んで行くことです、って!

車に喩えたら、アクセルとブレーキを同時に踏み込むようなものでしょうか。

下手すれば、シャフトが飛びそう。。

などという冗談はさておき……

そもそも『苦悩』など持てる時点で、その人の人生は相当に恵まれているといえる。

多くの人は、苦悩よりも不足、希望より妥協に心を痛めるものだからだ。

苦悩と呼ぶにふさわしい人生の課題を持てること自体、心の贅沢であり、選民に近い。

そのようにハイレベルな知性と精神に恵まれて、なおこの世に何を求めるのかと思う。

あるいは、人間が真に幸福になるには、「研ぎ澄まされた感性」だの「卓越した見識」だの「高級な知性」といったものは全く必要ないのではないか。

そこで私の悦ばしき知識は、こう言う。

ひたすら無知で、鈍感であれ

鞭で叩かれても、何も感じない人間こそ、最強にして不滅。

ガラス細工と同じで、高度なものほど脆い。そうではないか?

それでもなお、自分の最高の苦悩と最高の希望とに向かって、同時に突き進んで行くことに重きを置くならば、私たちは天に向かってこう言おう。

”どうぞ、知性を得る以前に戻して下さい。

そうすれば、私たちは、ただ食らい、眠るだけの人生に、YESと言えますから”

毎日、うまい酒と楽しい仲間さえあれば満足な人がある一方で、最高の苦悩と希望を追い求める人間がいる。

そのギャップこそ、苦悩の根源ではあるまいか。

世の全ての人が道理に明るければ、苦悩など感じようがないから。

シンガーソングライターの小椋佳は定年まで銀行員を勤め上げた。
人の心に触れる曲を作るには、人間社会との関わりが不可欠であることを知っていたからだ。
売れっ子でも、だんだん作品がつまらなくなるのは、内輪の世界に閉じてしまうから。
パートやボランティアや結婚生活等で人間社会の勉強を続けているアーティストは長続きする。

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