海外に行くと、経済移民や紛争などで、家族が外国にばらばらに暮らすことも珍しくありません。
十年、二十年と、肉親に会ってない人もたくさんいます。
だからといって、皆が断絶しているわけではなく、いざとなれば遠くからでも支え、励まし、その絆は、一つ屋根の下に暮らす家族よりも強く感じることもあります。
河合氏も、青井和夫氏の著書『家族とは何か』(講談社現代新書)を引き合いに出し、「濃密と親密という語を使い分けている」という風に説明されていますが、物理的な距離と心の距離は必ずしも一致しません。
「会えない時間が愛を育む」という言葉にもあるように、間を置くことで、理解や情愛が深まる部分もあります。
距離を置けば忘れ去られるというのはまったくの杞憂で、適切な『間』が逆に接着剤の役割を果たすのです。
物理的な距離を恐れてはいけません。
真の愛情とは、状況を越えて、人と人を結びつけるものです。
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精神的親殺しとは何か 子供の自立と親子対決 ~河合隼雄の著書【家族関係を考える】より世の中にこれほど『親死ね』『殺したい』を願う人が存在するのも一驚でしょう。何も知らない人が見れば、誰も彼もが殺意を抱いているのかと恐怖を感じるかもしれません。しかし、こうした人々は本気で親の死を願い、殺す方法を模索しているのでしょうか。その理由について考察することが、親子関係をやり直すきっかけとなり、子供の救いとなります。
※ 捕捉
この場合、「距離」は、「隙間」と解釈してもいいですね。
相手と隙間が空くと、忘れられるのではないか、嫌われるのではないかと心配する人も多いですが、かえって『間』がある方が人は付き合いやすいし、相手も安心するものです。
今、オンラインで繋がりっぱなしが当たり前になってますけど、皆さん、苦痛じゃないのでしょうか。
私は常時チャット的なツールより、自分にも相手にも余裕のあるメールの方が好きだし、繋がり重視のSNSよりはマイペースのウェブサイトの方が楽です。
即レスとか、スキ返しとか、自分にも相手にも負担なだけだと思うのですけどね。
忘れるも、クソも、人間、付き合いたい時に、付き合いたい人とだけ、気楽に付き合っておればいいのではないでしょうか。
コンテンツしかり。