愛の欠乏と金銭への執着 ~父に捨てられた長男ドミートリィの屈折(2)

目次

『カラマーゾフの兄弟』 第1部 第1編 『ある一家の由来』 より

(2) 長男を厄介ばらい

淫蕩父 フョードル・カラマーゾフ 指針を欠いたロシア的でたらめさ (1)の続き。

このような男が養育者、父親としてどうだったかは、むそん、容易に察しがつくだろう。父親としての彼(フョードル)には、まさしくお察しのとおりのことが起こった。つまり、アデライーダとの間にもうけた自分の子を、まるでもうすっぽかして顧みようともしなかったのである。

それも、その子が憎いからとか、夫として受けたはずかしめを根にもってとかいう理由からではなく、なんのことはない、子供の存在そのものをてんから忘れてしまったのである

「子供の存在そのものをてんから忘れる」など、父親として有り得ない……と思われるかもしれないが、現実に、家族の忘却は存在する。

立場は違えど、無縁仏になる親など、その最たるものだろう。

ただ、憎悪にもとづく絶縁や疎遠と異なり、フョードルの場合は、本当に忘れてしまったのだろう。

実際、仕事の多忙や、自分の楽しみで、子供のことなどそっちのけになる親は少なくないし、暴力を振るうか、まったく関心を無くすかの違いであって、これもまた子供にとっては立派な虐待である。

父親に打ち捨てられたドミートリィが、幼心に何を感じたか、想像に難くない。

そんなドミートリィを哀れに思い、世話役をかって出たのが、カラマーゾフ家の忠僕グリゴーリィである。

後に登場する悲劇のキーパーソン、スメルジャコフの父親だ。

ドミートリィは、カラマーゾフ家の跡取り息子であるにもかかわらず、召使いの下男小屋でまる一年も過ごし、存在すら父親に忘れられる。

そんなドミートリィに救いの手を差し伸べたのが、母アデライーダの従兄、ピョートル・アレクサンドロヴィチ・ミウーソフだ。

ミウーソフ氏は、作者いわく、

彼はその後多年にわたってずっと外国で暮らすようになるのだが、当時はまだ若干の青年で、ミウーソフ家の人々のなかでは例外ともいえる、首都じこみ、外国じこみの開けた考えの持ち主で、おまえkに生涯を通じての西欧人であり、晩年には四〇年代、五〇年代の自由派(リベラル)として知られていた。

その長い人生行路の間に、ロシアでも外国でも、彼は当時の多くの自由思想家たちと交友を結び、プルードン(フランスの社会主義者)やバクーニン(ロシアのアナーキスト革命家)とは個人的に面識をもち、その放浪的人生の終わり近くには、1844年のパリの二月革命の三日間のことをとりわけ好んで思い出話の種にしては、まるで自分自身がそのバリケード戦の参加者ででもあったかのような話しぶりをしたものである。

現代風に喩えれば、思想的にも、性格的にも、「尖った人」といったところか。

一般に、ロシアも西欧も一緒くたに考えがちだが、両者は似て非なるものだ。

西欧とは、まったく異なる文化、宗教、精神土壌をもっている。

西欧諸国とは比べものにならないほど広大な土地。亜寒の厳しい気候。

年中明るい陽光に包まれた南方の国や、農業や酪農に適した土壌の豊かな国には想像もつかないほどの不安と恐怖、そして、それを克服せんが為のおまじないや慣習、言い伝え、等々、独特の民俗がある。

そんなロシアの地方民にとって、ネットも、TVも無い時代、西欧帰りのアッパークラスの青年からもたらされる情報は、非常に先取的で、革新的な響きがあっただろう。

現代風に喩えれば、国際派インフルエンサーかアルファブロガーといったところ。

ところが、このミウーソフも決して善意の人ではなく、

どうしためぐり合わせか、パリに住みつくと、ミウーソフもまた子供のことを忘れてしまった。

折しもかの二月革命が到来し、これが彼の想像力をいたく刺激して、もはや生涯にわたって輪知れられないほどの印象を残したこともある。(15P)

という理由で、またもドミートリィはほっぽらかされてしまう。

無責任な大人たちのせいで、二度、三度と住まいを変え、結局、四度も転居を経験する羽目になる。

にもかかわらず、ドミートリィは、直感的に、カラマーゾフ家の長男としての権利と、フョードルの財力を嗅ぎ取り、若い時分から放蕩を繰り返すようになる。

フョードルの三人の息子のなかでは、このドミートリィひとりが、幼いころから、自分にはともかくもなにがしかの財産があり、成人に達したら独立できるという確信をもっていたことがある。

少年時代、青年時代は、ちゃらんぽらんに過ごした。高等中学を中退して、その後、ある軍関係の学校に入り、やがてコーカサスに行って、そこで任官し、決闘騒ぎを起こして降等され、また復官するといった調子で、さんざ放蕩を重ね、金もずいぶん使った。

フョードルから仕送りを受けるようになったのは、成人に達してからだが、それまでの借金が相当な額になっていた。自分の父親であるフョードル・パーヴロヴィッチのことを知り、はじめて顔を合わせたのも、成人に達して後のことで、そのときは自分の財産のことで父親と協議するため、わざわざ当地を訪ねて来たのだった。

父親に対しては、もうそのときから好意をもてなかったらしく、わずかの期間親もとに逗留しただけで、父親からいくらかの金を引き出し、領地からの今後の収入の受け取り方について父親とある種の取り決めを結ぶと、早々に引き上げてしまった (16~17P)

ドミートリィに限らず、自分の父親に権力と財力があれば、自分もその“おこぼれ”に預かれると期待するのは現代も同じ。

まして、顔を合わせたこともない、名前ばかりの父親となれば、良心の痛みも情けも感じない。

父親だって、自分に非情な真似をしたのだから、息子である自分が、父親から金と力をむしり取って、何を責められることがあるだろう。

子供が親に、愛情の代わりに「カネを出せ」と迫るのは現代も同じだし、親が子供に対して、親として十分な義務を果たさなかった負い目から、求められるがままに金銭を与えるのも、よくある構図。心の葛藤を金銭で埋め合わせようとする心理はいつの時代も同じだろう。

しかし、息子のドミートリィにしてみれば、恨みよりは、淋しさの方が強かったかもしれない。

子供時代に父親に打ち捨てられ、何度も転居を余儀なくされば、心にも大きな影を落とす。

まして、本物の愛情を知らずに育てば、金銭で周囲の歓心を買うようにもなるだろう。

お金をばらまけば、ちやほやされる。

気前のいい男を装うことで周りの尊敬を勝ち取り、孤独を紛らわせようとする心理は現代も同じだ。

そして、フョードルも、今さら息子に詫びて、父子関係をやり直すよりは、札びらをきって解決する方がいい。

金勘定に関しては、フョードルの方がはるかに長けている。

激情家の息子も、札束で頬を叩けば、こちらの思うように懐柔できると見込んだのだろう。

フョードル・パーヴロヴィチのほうは、ミーチャが自分の財産について誇大で誤った考えをもっていることを、そのときただちに見抜いてしまった。

<中略>

要するに、この若者が軽はずみな、勇み肌の、がむしゃらで、短気な遊び人であり、目先のなにがしかのカネを手に入れられさえすれば、むろん、、一時かぎりのことだが、けっこうおとなしくなってしまう男と見当をつけたのである。

しかしながら、ドミートリィの金銭に対する執着は、フョードルの想像をはるかに上回るものだった。

成長したドミートリィは、幾度となくフョードルに金を無心し、その度に、失敗に終わっている。

(フョードルが)申しわけ程度の涙金や一時しのぎの仕送りでお茶をにごしつづけ、そのあげく、もう四年も経ってから、ついにしびれをきらしたミーチャが、今度こそ父親との間にきっぱり決着をつけようと、二度目にこの町に乗り込んで来たときには、なんとまあ驚いたことに、彼はもう完璧な無一文であり、生産をしようにも何にも、自分の資産の総額をすでに現金の形でフョードルから引き出してしまっており、ひょっとすると、むしろ借りがあるくらいだということが、だしぬけに判明したのである。

そのうえ、これこれのときに、自分自身の希望で父親と結んだかくかくしかじかの取り決めによって、彼にはもうそれ以上何を要求する権利もない、云々、云々といった次第であった。

青年は愕然として、嘘ではないか、だまされたのではないか、と嫌疑をかけ、あげくは逆上して、正気をなくしたようになってしまった。

実はほかでもないこの事情こそが例の大破局(カタストロフィ)の発端となったのであり、、、、(17P)

当てにした金が手に入らないと、怒りが憎悪に変わるのは、いつの時代も同じこと。

注釈によると、「成人に達したら、当時のロシアの法律では満二十一歳になると財産を自由に処分できる権利を得ることになっていた」とのこと。

成人になったドミートリィが時機を得たようにフョードルのところにやって来たのも頷ける話である。

ところで、『カラマーゾフの兄弟』も、カネ、カネ、カネと、金の話が多いが、作中に登場するリーブルは幾らぐらいなのだろうか。

帝政ロシアの通貨事情に詳しい解説がある。

フョードル M.ドストエフスキー Фёдор Михайлович Достоевский, 1821-1881 が活動した19世紀後半のロシアにおける市民の生活感覚と貨幣価値の関係について、亀山訳 『罪と罰』 では巻末の 「読書ノート」 の 「8 ロシアのお金」 で明快に解説されている。 その中で、ラスコーリニコフが質草として金貸し老女のもとに持ち込んだ 《父親の形見》 の銀時計の質値が 「利子天引きで、一ルーブル五十コペイカ」 であったことに対して、「当時の一ルーブル五十コペイカは、現在の日本の貨幣価値に照らして、どの程度の額なのだろうか」 と問い、その答えとして 「一ルーブルを約千円と想定していただいておおよそまちがいない」 と説明されている。

上記の計算に基づくと、父子トラブルの元凶となる3000ルーブル=300万円。

結構、はした金で揉めてないか・・(゚_゚)と、現代の日本人なら感じるかもしれないが、ポーランドも2000年初頭(EU加盟前)は、庶民の平均年収は、100万円にも満たなかったし、共産主義の時代は、もっと悲惨。当時の300万円なら、数年は遊んで暮らせる額だったと想像する。

それだけの金銭を当てにして、手に入らないとなれば、肉親といえど激怒するし、相手が父親なら尚更だろう。

そして、この悶着が引き金となって、カラマーゾフ家に大きな不幸が訪れる……。

話はミウーソフに戻るが、人物像を語るエピソードとして、若かりし頃に、「僧院を相手取って、川の漁業権のことだか、森林の伐採権のことだが、そのあたりは確実には知らないが、いつ果てるとも知れない訴訟事件を起こしたものである。ともかく<教護派>と訴訟を起こすことを、啓蒙的市民としての自身の義務とさえ心得ていたのである」とある。

江川氏の注釈によると、《教護派》とは、

もともとは法王、カトリック教会と結んで政治的支配をめざす西欧のキリスト教政党を指した言葉だが、自由派として西欧で教権は反対の運動に参加してきたミウーソフは、この言葉を地方の教会権力に対して用いている。正教会ではこの用語が使われたことがないので、ここには西欧的なミウーソフへの一種の皮肉も表現されている。

19世紀の西欧といえば、フランス革命後の急速な近代民主化、産業革命による工業化により、旧来の社会システムが大きく変化した時代でもある。

個人が発言力をもち、身分や家柄よりも資本が物を言う。

ロシアは、西欧より遅れて、民主化、工業化が伝播しているので、ロシアの地方都市から西欧に移住して、先進的な物の考えや権利意識を身に付けたインテリは、さながら「意識高い系」「ハイカラさん」といったところ。

欧米の一歩進んだ価値観やライフスタイルを持ち帰り、「だから、君らは遅れているんだよ」と、地方の田舎者にひけらかす人物像が目に浮かぶ。

出典: 世界文学全集(集英社) 『カラマーゾフの兄弟』 江川卓

カラマーゾフ随想について
絶版となった江川卓・訳『カラマーゾフの兄弟』を読み解く企画です。 詳しくは「江川訳をお探しの方へ」をご参照下さい。 本作に興味をもたれた方は復刊ドットコムに投票をお願いします(現在10票)。

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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