カラマーゾフの兄弟 ドミートリィ

父に捨てられた長男ドミートリィが金銭に執着する時(3)

カラマーゾフの兄弟 ドミートリィ
江川訳のカラマーゾフ

第1編 ある一家の由来

第2節 長男を厄介払い

淫蕩父 フョードル・カラマーゾフ 指針を欠いたロシア的でたらめさ (2)に引き続き、フョードルの三人の息子、ドミートリィ、イワン、アレクセイの紹介がなされる。

第二節『長男を厄介払い』では、アデライーダとの出鱈目な結婚の後、父親にも完全に見捨てられた(というよりは、忘れ去られた)長男ドミートリィの幼少時のエピソードが紹介される。

一見、単なる人物紹介のようだが、実はこのパートに、後の殺人事件の鍵となる描写ががっつり書き込まれている。

また、ドミートリィの後見人となるミウーソフの人物像も、後のロシア革命の精神的土壌となる「西欧的なリベラルな考え」を念頭において読めば、歴史の過渡期を感じると思う。

ドストエフスキー伝記(祥伝社新書)より ~人は葛藤する限り、神と共に在るでも簡単に紹介しているが、『カラマーゾフの兄弟』もまた、社会の価値観が根幹から揺らぎ始めた時代の産物なのだ。『罪と罰』のラスコーリニコフが個人的に心の指針を見失ったとするなら、カラマーゾフの人たちは社会の変質の中で規範となるものを見失った、と言えるかもしれない。

このような男が養育者、父親としてどうだったかは、むそん、容易に察しがつくだろう。父親としての彼(フョードル)には、まさしくお察しのとおりのことが起こった。つまり、アデライーダとの間にもうけた自分の子を、まるでもうすっぽかして顧みようともしなかったのである。
それも、その子が憎いからとか、夫として受けたはずかしめを根にもってとかいう理由からではなく、なんのことはない、子供の存在そのものをてんから忘れてしまったのである。

「子供の存在そのものをてんから忘れる」なんて、父親として有り得るのか……と思うかもしれないが、現実に、家族間の忘却は存在する。
立場は違えど、無縁仏になる親など、その典型だろう。
子供はあっても、「親と関わりたくない」という人は少なくないし、引きこもりの兄弟や服役中の親族は「いないもの」になっているケースもあると思う。

フョードルの場合は、憎悪でも、羞恥心でもなく、自身の享楽が優先で、長男ドミートリィの存在などきれいさっぱり忘れてしまうのだが、享楽を「仕事」や「生き甲斐」に置き換えれば、似たような心理の親は相当数、存在するのではないだろうか。

そんなドミートリィを哀れに感じて世話役を申し出たのが、カラマーゾフ家の忠僕グリゴーリィである。後に登場するスメルジャコフの父親――といえば、後の展開が容易に察しがつくだろう。

ドミートリィはカラマーゾフ家の跡取り息子であるにもかかわらず、召使いの下男小屋でまる一年も過ごし、存在すら父親に忘れ去られる始末。

そんなドミートリィに救いの手を差し伸べたのが、母アデライーダの従兄である、ピョートル・アレクサンドロヴィチ・ミウーソフだ。

ミウーソフ氏は、作者いわく、

彼はその後多年にわたってずっと外国で暮らすようになるのだが、当時はまだ若干の青年で、ミウーソフ家の人々のなかでは例外ともいえる、首都じこみ、外国じこみの開けた考えの持ち主で、おまえkに生涯を通じての西欧人であり、晩年には四〇年代、五〇年代の自由派(リベラル)として知られていた。
その長い人生行路の間に、ロシアでも外国でも、彼は当時の多くの自由思想家たちと交友を結び、プルードン(フランスの社会主義者)やバクーニン(ロシアのアナーキスト革命家)とは個人的に面識をもち、その放浪的人生の終わり近くには、1844年のパリの二月革命の三日間のことをとりわけ好んで思い出話の種にしては、まるで自分自身がそのバリケード戦の参加者ででもあったかのような話しぶりをしたものである。

現代風に言えば、思想的にも、性格的にも「尖った人」とでもいうのだろうか。

何となく、ロシアも西欧も一緒くたに考えがちだが、ロシアはロシア、西欧は西欧であり、まったく異なる文化や精神土壌をもつ別個のものだ。

そう考えると、ネットも、TVもない時代、西欧かぶれの尖った人物、それも地位も教養もあるアッパークラスの青年からもたらされる情報というのは、それだけで、なにやら先取的かつ革新的な響きがあったのではないだろうか。現代風に喩えれば、インフルエンサーか、アルファブロガーみたいなイメージだ。

ところが、このミウーソフも決して善意の人ではなく、

どうしためぐり合わせか、パリに住みつくと、ミウーソフもまた子供のことを忘れてしまった。折しもかの二月革命が到来し、これが彼の想像力をいたく刺激して、もはや生涯にわたって輪知れられないほどの印象を残したこともある。

という理由で、ドミートリィをほっぽらかしてしまう。

ドミートリイは二度、三度と住まいを変え、結局、四度も転居を経験する羽目になる。

にもかかわらず、ドミートリィは、直感的に自身の権利とフョードルの財力を嗅ぎ取り、若い時分から放蕩を繰り返すようになる。

フョードルの三人の息子のなかでは、このドミートリィひとりが、幼いころから、自分にはともかくもなにがしかの財産があり、成人に達したら独立できるという確信をもっていたことがある。

少年時代、青年時代は、ちゃらんぽらんに過ごした。高等中学を中退して、その後、ある軍関係の学校に入り、やがてコーカサスに行って、そこで任官し、決闘騒ぎを起こして降等され、また復官するといった調子で、さんざ放蕩を重ね、金もずいぶん使った。

フョードルから仕送りを受けるようになったのは、成人に達してからだが、それまでの借金が相当な額になっていた。自分の父親であるフョードル・パーヴロヴィッチのことを知り、はじめて顔を合わせたのも、成人に達して後のことで、そのときは自分の財産のことで父親と協議するため、わざわざ当地を訪ねて来たのだった。

父親に対しては、もうそのときから好意をもてなかったらしく、わずかの期間親もとに逗留しただけで、父親からいくらかの金を引き出し、領地からの今後の収入の受け取り方について父親とある種の取り決めを結ぶと、早々に引き上げてしまった (16~17P)

ドミートリィに限らず、自分の父親がそこそこの金持ちと分かれば、いつかはその”おこぼれ”に預かれる――と期待するのは現代でも同じこと。

まして顔を合わせたこともない、名前ばかりの父親となれば、良心の痛みも羞恥も感じない。

愛情の代わりに「金を出せ」と迫るのは現代も同じだし、親として十分な責務を果たさなかった負い目から、子供に求められるがままに金を差し出す、あるいは、心の葛藤を金で解決する心理は、いつの時代も共通だろう。

しかし、ドミートリィの立場で考えれば、根っからの遊び人というより、淋しさもあったかもしれない。

子供時代に何度も転居を余儀なくされれば、心にも大きな影を落とす。
まして、真の愛情を知らずに育てば、金銭で周囲の歓心を買うことに躍起になるだろう。
お金をばらまけば、ちやほやされるのは当然のこと。その中で、孤独を紛らわせようとしたのかもしれない。

そして、フョードルも、今さら息子に詫びて、愛情を注ぐより、札束を切って解決する方がはるかに楽である。

まして、金勘定に関しては、フョードルの方がはるかに世知に長けている。

激情家の息子も、札束で頬を叩けば、こちらの思うように懐柔できると見込んだのだろう。

フョードル・パーヴロヴィチのほうは、ミーチャが自分の財産について誇大で誤った考えをもっていることを、そのときただちに見抜いてしまった。

しかしながら、ドミートリィの金銭への執着は、フョードルの読みより、はるかに激しく、強かった。

今度こそ父親との間にきっぱり決着をつけようと、二度目にこの町に乗り込んで来たときには、なんとまあ驚いたことに、彼はもう完璧な無一文であり、生産をしようにも何にも、自分の資産の総額をすでに現金の形でフョードルから引き出してしまっており、ひょっとすると、むしろ借りがあるくらいだということが、だしぬけに判明したのである。

そのうえ、これこれのときに、自分自身の希望で父親と結んだかくかくしかじかの取り決めによって、彼にはもうそれ以上何を要求する権利もない、云々、云々といった次第であった。

青年は愕然として、嘘ではないか、だまされたのではないか、と嫌疑をかけ、あげくは逆上して、正気をなくしたようになってしまった。

実はほかでもないこの事情こそが例の大破局(カタストロフィ)の発端となったのであり、、、、(17P)

予期した金が手に入らないと、怒りが憎悪に変わるのは、いつの時代も同じこと。

善心はマンモン(金の悪魔)より強し。

親子を繋ぐものが「カネだけ」というのも哀しいが、これだけ虐げられたら、父親が札束に見えても仕方ない。

注釈によると、「成人に達したら、当時のロシアの法律では満二十一歳になると財産を自由に処分できる権利を得ることになっていた」とのこと。

成人になったドミートリィが時機を得たようにフョードルのところにやって来たのも頷ける話である。

ところで、『カラマーゾフの兄弟』も、カネ、カネ、カネと、金の話が多いが、作中に登場するリーブルは幾らぐらいなのだろうか。

帝政ロシアの通貨事情に詳しい解説がある。

フョードル M.ドストエフスキー Фёдор Михайлович Достоевский, 1821-1881 が活動した19世紀後半のロシアにおける市民の生活感覚と貨幣価値の関係について、亀山訳 『罪と罰』 では巻末の 「読書ノート」 の 「8 ロシアのお金」 で明快に解説されている。 その中で、ラスコーリニコフが質草として金貸し老女のもとに持ち込んだ 《父親の形見》 の銀時計の質値が 「利子天引きで、一ルーブル五十コペイカ」 であったことに対して、「当時の一ルーブル五十コペイカは、現在の日本の貨幣価値に照らして、どの程度の額なのだろうか」 と問い、その答えとして 「一ルーブルを約千円と想定していただいておおよそまちがいない」 と説明されている。

上記の計算に基づくと、父子トラブルの元凶となる3000ルーブル=300万円。

結構、はした金で揉めてないか (゚_゚) と日本人には感じるが、ポーランドも2000年代初め(EU加盟の頃)の庶民の平均年収は200万円にも満たなかった。共産主義の時代は、もっと悲惨。当時の300万円なら、数年は遊んで暮らせるほどの額だったろう。

話はミウーソフに戻るが、人物像を語るエピソードとして、若かりし頃に、「僧院を相手取って、川の漁業権のことだか、森林の伐採権のことだが、そのあたりは確実には知らないが、いつ果てるとも知れない訴訟事件を起こしたものである。ともかく<教護派>と訴訟を起こすことを、啓蒙的市民としての自身の義務とさえ心得ていたのである」とある。

注釈によると、<教護派>とは、

もともとは法王、カトリック教会と結んで政治的支配をめざす西欧のキリスト教政党を指した言葉だが、自由派として西欧で教権は反対の運動に参加してきたミウーソフは、この言葉を地方の教会権力に対して用いている。正教会ではこの用語が使われたことがないので、ここには西欧的なミウーソフへの一種の皮肉も表現されている。

19世紀の西欧といえば、フランス革命後の急速な近代民主化、産業革命による工業化により、旧来の社会システムが大きく変化した時代でもある。

個人が発言力をもち、身分や家柄よりも資本が物を言う。

ロシアは、西欧より遅れて、民主化、工業化が伝播しているので、ロシアの地方都市から西欧に出掛けて、先進的な物の考えや権利意識を身に付けた人は、さながら「意識高い系」「ハイカラさん」といったところ。

欧米の一歩進んだ価値観やライフスタイルを持ち帰り、「だから、君らは遅れているんだよ」と、地方の田舎者にひけらかす感じの人物像が目に浮かぶ。

[EGAWALIST]
カラマーゾフの兄弟 ドミートリィ
更新情報や引用など
>海洋小説『曙光』MORGENROOD

海洋小説『曙光』MORGENROOD

宇宙文明の根幹を支える稀少金属ニムロディウムをめぐる企業と海洋社会の攻防を舞台に描く人間ドラマ。生きる道を見失った潜水艇パイロットと愛を求めるフォルトゥナの娘の恋を通して仕事・人生・社会について問いかける異色の海洋小説です。
Kindle Unlimitedなら読み放題。
Amazonの海洋学ランキングで一位を記録。

CTR IMG