映画『アイヒマンを追え』 なぜ戦犯は裁かれねばならないのか ~歴史と向き合う意義

目次

映画『アイヒマンを追え』が伝えたいこと

映画界も抱く歴史的危機感

21世紀になってから、ドイツを中心に、ナチズムや人種迫害の歴史と向き合う作品が増えている。

それ以前にも、ゲットーの悲劇を描いたスティーブン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』や、ベトナム戦争の現実を描いたオリバー・ストーン監督の『プラトーン』のように、戦争体験をベースにした作品は数多く作られてきたが、21世紀に入ってからの歴史映画は、戦争被害というよりは、それを生み出した社会的背景を検証する内容が多く、最近、私が観た作品の中では、小市民の中に潜む服従と無関心について説いた『ハンナ・アーレント(悪の凡庸さ)』、ヒトラーが現代に蘇り、再びナチスを組織するブラックジョークの秀作『帰ってきたヒトラー』、世紀の裁判と呼ばれたアイヒマンの裁判を中継した『アイヒマン・ショー 歴史を写した男たち』などが印象に残っている。

昨今、何故このような作品が続いて制作されるようになったのか。

大きな理由の一つは、ドイツをはじめ、世界各地で起きているレイシズムや難民問題だ。

以前から、人種間、民族間、宗教観の対立は存在したが、21世紀に入ってからは、先進国でも先鋭化し、どこも一触即発の状態にある。

映画『帰ってきたヒトラー』でも描かれていたが、「我々はまた第二のヒトラー、第二のナチズムを生み出すのではないか」という危機感は、決して大袈裟ではなく、我々の日常と隣り合わせなのだ。

映画『アイヒマンを追え』もその一つで、ナチス親衛隊中佐であり、国家保安本部 第4局 B4課長、ユダヤ人問題の最終的解決(ホロコースト)の中核だったアドルフ・アイヒマンの逮捕に影ながら貢献したドイツ人検事長、フリッツ・ハウアーの執念を描いた作品である。

本作で重要なのは、バウアーがアイヒマンに復讐する為に逮捕に至ったのではなく、アイヒマンを法廷に立たせ、真実を明るみにすることが、ドイツ国民に真の内省を促し、民主的な国作りの基礎になると確信したからである。

ドイツ人の誇りは 
奇跡的な経済復興とゲーテやベートーヴェンを生んだ国であるということだ
一方で ドイツはヒトラーやアイヒマンやそのお仲間を生んだ国でもある
どんな日でも昼と夜があるように
どの民族の歴史にも陽の部分と陰の部分がある
私は信じる
ドイツの若い世代なら可能なはずだ
過去の歴史と真実を知っても克服できる
しかし それは 彼らの親世代には難しいことなのだ

※ 実際のアイヒマンのインタビュー映像
実際のアイヒマンのインタビュー映像

なぜアイヒマンを法廷に立たせる必要があるのか

ナチズムとホロコーストの史実に欠かせない、ルドルフ・アイヒマンとはどんな存在だったのか。

映画『ハンナ・アーレント』にも描かれているが、問題の核心は、ホロコーストを指揮した人物が、鬼のような極悪人ではなく、平凡な小市民が、書類にハンコをつくような間隔で、淡々と絶滅計画を進めていた点にある。

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その動機も、「命令されたから、やった

上からの指示に、疑問も呈さず、違和感も覚えず、虐殺さえ事務的に取り扱う『凡庸なる悪』こそがナチズムのような過激思想を加速させたと断罪する。

だが、通常の感覚で、誰がそんな言い訳を信用するだろう?

だからこそ、アイヒマンを法廷に立たせなければならない。

闇から闇に葬り去るのではなく、本人の口から真相を語らせる。

そうでなければ、全ては『噂』となって立ち消え、経緯を把握することも、事実を検証することも出来なくなってしまうからだ。

実際、映画『アイヒマン・ショー』では、アイヒマン裁判以前は、壮絶な体験を人に話しても信じてもらえず、いつしか口を閉ざすようになった生存者の思いが描かれている。

そして、一連の出来事を社会科学的に分析するには、裁判という公正な場所が必要だ。

罪が重大であるからこそ、私怨によるリンチや、政治的圧力によって謀殺することがあってはならないのである。

裁判を通じて社会的背景を読み解く

アイヒマン裁判は、アイヒマン個人の罪を問うものではなく、そこに至るまでの社会的背景を読み解くことに意義がある。

なぜなら、これは決して一人の異常者の思い付きではなく、明日にも起こりうる、私たち自身の問題でもあるからだ。

アイヒマン氏のインタビューを続けます
ユダヤ人問題はどう解決すべきでしたか?

率直に言う ザッセン君
1030万人のユダヤ人全員を抹殺できていたら
私は言っていたはず
”よかった これで敵は全滅した”
それができていたら 血と民と自由を守れたのだが
私の罪はそれを完遂できなかったことだ
敵の根絶方法は私が考案したのだが
中途半端だった それが私の罪だ
もっと徹底すべきだった

この画像は、映画のものです。

私の罪は完遂できなかったこと

偽名を使い、ブエノスアイレスの一般市民に紛れて暮らしているアイヒマン。

逃亡してブエノスアイレスで一般人として暮らす

本作では、黙々とナチスの残党を追う検察長官フリッツ・バウアーの孤闘が描かれている。

第二次大戦が終わり、ナチスが解体されても、その残党は政府の要職、企業、一般社会の中にも紛れ込み、過去の大罪の露呈を恐れるように、政治的圧力や脅迫、書類隠しが続いていたからだ。

そんなバウアーの元に、ブエノスアイレスのローター・ヘルマンからプライベートな手紙が届く。

バウアー検事長 突然の手紙で失礼します
検事長のご協力で大量虐殺者を捕まえたいのです
アドルフ・アイヒマンは偽名を使い
ブエノスアイレスに潜伏中です
私の娘ジルビアは彼の長男ニックと恋仲です
検事長が彼を探していると新聞で知りました

アイヒマンに関する手紙

アイヒマンに関する手紙

アイヒマンに関する資料

手紙を出したヘルマン氏は、反発する娘に、言い聞かせる。

アドルフ・アイヒマンは
何百万ものユダヤ人を収容所に送った人間だ
それで彼らは殺された

手紙を受け取ったフリッツ・バウアーは、アイヒマンを捕らえて、ドイツの法廷で裁くことを決意し、その思いを州首相に打ち明ける。

1945年の終戦で悪は滅びたと思ってたよ
新しい社会を作れると思ってた
自由で公正で円満な社会をね
だが庶民に未来像はない
彼らが欲しいのは小さな家と車だ
あんな”和解”を支持している
ドイツは今回も革命より復興を優先した
アイヒマンは大物だ。”最終的解決”の当事者ですべてとつながっている
アイヒマンを裁けば芋づる式に出てくるぞ

ドイツの捜査機関はナチの残党だらけだ
連符刑事局も 連邦情報局もだ

そして検察では書類が消える

ドイツの法廷で裁くことを決意

悪はいまだ滅んではいない

『革命より復興を優先した』というのは、政治的ではなく、国としての志向のことだろう。

つまり、国民全体が過去を見直し、真の民主主義を打ち立てるのではなく、目先の復興――はやく戦禍は忘れて、便利で豊かな生活を取り戻したい、という物質的な欲望の方が勝ったという意味だ。

だが、見た目、先進的な生活を享受できても、国民の精神基盤が変わらなければ、また同じ過ちを犯してしまう。

実際、政府の中にも、市民の中にも、ナチズム的な気持ちを引き摺った者があるのだから、ここでしっかり悔い改めなければ、将来の禍根となるのを恐れたのかもしれない。

だが、バウアーの信念を達成するには、政府の協力はとても期待できない。

アイヒマンを逃したら、私には何の力も残らん
情報をモサドに流す

州首相に胸の内を明かすと、「国家反逆罪だぞ」と警告される。だが、バウアーは「私の祖国愛は揺るぎない」と主張し、口止めを要求する。

一方、バウアーの動きを察知したナチスの残党は、バウアーの過去を暴露し、失脚を画策する。

連邦刑事局では 外国に逃亡中の仲間は今頃ビクビクしてるぞ
バウアーは複数回男娼を買って逮捕を
失脚を画策する

バウアーの狙い

バウアーは早速、イスラエルを訪れ、モサドの用心と接触する。
モサドでも捜査は進んでいたが、「カイロでナセルを助けているという説」「アフリカとスイスを行き来してるという説」「ドイツでウサギの繁殖をしている説」など、様々な憶測が飛び交い、アイヒマンの行方は杳として知れない。
モサドはこの件に消極的で、「アイヒマンがアルゼンチンにいるという第二の証拠があれば我々も協力する」が彼らの結論であった。

そんな中、一枚の電気代請求書がバウアーの目を引く。

電気代の領収書から動きを把握

ドイツに戻ったバウアーは、部下のカールに助力を求める。

アイヒマンを裁けばお仲間の名前が出る
グロプケ官房長官の名前も出るだろう
アデナウアー首相はグロプケを切ろうとしない
首相官房も連邦情報局もグロプケの意のままだ

ユダヤ人問題で奴の名前は必ず出る
ニュルンベルク人種法の件でもな
グロプケは極悪人だ
だが有罪になると現政権が揺らぐ
それはアメリカにも波及する
米独ともにアイヒマン裁判を望まない

これは正義の問題だ それとも台所が気になるか

国のためならやむをえん
国家反逆も厭わない

最初は事の重大さに後ろ向きだったカールも、バウアーの真意を理解し、アイヒマン捜査に協力するようになる。

そんな中、バウアーと若者の討論会がTV中継される。

女性 「ドイツ人の誇りとは?」

バウアー 「あなたの言っている意味が分からない」

女性 「あなた方は国を壊した。なのに(若い)私たちに要求します。国を復興させろ、と。」

バウアー 「私の考えは違う。私が戦後初めてドイツに戻ってきた時、鉄道で若者と乗り合わせた。彼は政治の話ではなく、自分の希望などを語った。私は考えた。この若い世代のためにも、亡命先からドイツに戻ってよかった。だが私の本音を尋ねられたら、私は答えざるをえない。壁という壁が倒れてくるようだと。私の方にね。横を押さえ、前を押さえ、上を押さえている状態だ。

女性 「でも我が国の民主的な憲法は誇れるものでは?」

バウアー 「いいかね。我々ドイツ人は森や山々は誇れない。我々が作ったわけじゃないからだ。ゲーテやシラーもアインシュタインもだ。彼らの業績は彼らのもので、我々が誇るべきなのは我々が行う善行だ。まさに今日、ある若者に言われた。私は攻撃的な人間らしい。私も多くの人と同様に常に善人でいるのは難しいが、ドイツの雰囲気を決定づけるのは、父、母、息子として、毎日何を行うかだ。立派な憲法があるのは結構なことだ。最高の基本法を持てばいい。だが大切なのは、民主主義であることだ。これこそ、我々が直面する課題だ。勇気を持とう

バウアーは勇気をもてと訴える

バウアーの言葉に勇気づけられるカール。

若いカールは勇気づけられる

だが、TV討論の後も、嫌がらせは執拗に続く。

バウアーの元に届く脅迫

一方、捜査に協力するカールにもハニートラップが。

カールに仕掛けられるハニートラップ

やがて、アイヒマンのインタビューを録音したテープから、第二の証拠が浮上する。
いよいよアルゼンチンに居ることが確かなものになった時、メルセデス・ベンツに勤務するシュナイダーという元親衛隊員から、人事部の計らいによって、アイヒマンに偽名を与え、アルゼンチンに逃亡させた事を突き止める。

今では普通のサラリーマンだが・・

サラリーマンとして日常に潜む

過去に行っていたことは、記録として残っているのだ・・

過去の行いは記録に残っている

『リカルド・クレメント』がアイヒマンの偽名であった。これでモサドが動く。

証拠を求めて

証拠を求めて

バウアーは一計を案じ、アドルフ・アイヒマンはクウェートに潜伏中という偽の情報をメディアに流す。

アイヒマンはクウェートにいると偽の情報を流す

偽の情報はアルゼンチンにも伝わり、アイヒマンもすっかり安堵していたが……

フェイクニュースに安堵するアイヒマン

アイヒマンが拘束されたニュースは世界中に駆け巡る。

アイヒマン拘束を伝えるニュース

さっそく祝杯をあげるバウアーとカール。

その帰り道、バウアーはカールに言って聞かせる。

収容所の所長がシューマッハーに言った。
なぜ強制収容所に居るのかと。
シューマッハーは、所属政党が負けたからですと言い放ち、結局、12年間、収容所に入れられた。
私は収容所からの解放と引き換えに、ナチに従うと文書で誓約してしまった。
”バウアーが屈服”と新聞に書かれたよ。
自分が許せない。
シューマッハーは違った。
暴政に屈服してはならんのだ。

暴政に屈服してはならない

この言葉は、ハニートラップが発覚し、ナチスの残党に脅迫されるカールの心を強く動かす。
カールの思いがけない行動によって、バウアーは難を逃れ、アイヒマン裁判の実現に漕ぎ着ける。

アイヒマンを追え フリッツ・バウアー

過去への責任はなくても、史実は正しく理解しなければならない

作品の主旨は二つある。

一つは歴史と向かい合う意義。

もう一つは、暴政に屈してはならない、というバウアー教えだ。

そこの世界も、政権に都合の悪いことは隠したがる。

自分たちが悪いとは認めたくないものだ。

まして、自分が直接関与したわけでもない史実について、謝罪や反省を求められても、若い世代からすれば、身に覚えのない言いがかりにしか思えない。

だが、好悪の感情は横に置いて、その時代、何が起きたのか、正しく識ることは必須だし、歴史的理解と愛国心はまったく別のものである。

肝心なのは、「どちらが正しいか」ではなく、「なぜ、そんな悲劇が起きてしまったのか」、その原因と経緯を正しく分析することである。

ドイツも敗戦処理が終わったら、昔の忌まわしい出来事など忘れて、平和に、豊かに暮らせたらそれでいい、という雰囲気だったのかもしれない。

事実、そういうノリで20世紀後半を突っ走り、それなりの栄華を謳歌した。

それはドイツに限らず、どの国も似たり寄ったりだ。

現代は、傍から見えないように蓋をしてきたものが、とうとう抑えが効かなくなって、マンホールから溢れ出た結果であり、「最近始まった」のではなく、昔からそこに存在したのだ。

バウアー検事長が復讐の鬼であれ、とことん史実と向き合うことに拘ったのは、それなくして、本当の社会改革も、精神的覚醒も有り得ないと、確信したからだろう。

執念の果て、アイヒマンは逮捕され、公開裁判を通じて、世界中が絶滅計画の実態を知った。

もし、裁判が公開されず、アイヒマンも逮捕されなかったら、被害者の曖昧な記憶として終わったもしれない。

今を生きる人間に、過去への責任はないかもしれないが、正しく理解する必要はある。

なぜなら、私たちもまた、未来の平和に責任を負っているからだ。

歴史について語るとき、事実などはどうでもよい。
問題は伝承するときに守られる真実の内容である。

寺山修司

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シンドラー系と異なり、何度も繰り返し観たくなるような作品ではないが、随所に散りばめられた台詞には、制作者の歴史に対する熱い想いが込められている。21世紀における歴史教育の在り方を考える上でも、非常に参考になる栄華。

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男(字幕版)
出演者  ブルクハルト・クラウスナー (出演), ロナルト・ツェアフェルト (出演), リリト・シュタンゲンベルク (出演), イェルク・シュットアウフ (出演), セバスチャン・ブロムベルク (出演), ラース・クラウメ (監督), ラース・クラウメ (Writer), オリヴィエ・グエズ (Writer)
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この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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