デザインとは精神の具象 ~創意工夫と理念を色や形に表す

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【建築コラム】 世界は意思の表象

建築と社会とCivilizasion 人工島の海洋都市と社会の未来図にも書いていますが、この世に存在する、ありとあらゆる形には、その源泉となる”精神”があります。精神の中には、知識、センス、感性、経験なども含まれます。

スプーンでも、階段でも、車でも、キャンパスに形を描く時、デザイナーは、誰がどんな風に使うのか、安全性はどうか、どうすれば快適か、見た目にも美しいか、いろんなことを考えながら線を重ねます。製品(作品)の安全性も、美観も、それを考慮しない人の頭からは生まれません。言い換えれば、デザインとは、その人そのものなのです。

本作には、デフォルメされたキャラクターとして、有名建築家のフランシス・メイヤーが登場します。

現実にはここまで歪んだ人はないと思いますが、美しいのは見た目だけ、市民に対する思いやりも、社会に対する責任も、何もありません。

人々がメイヤーの作品に反発するのも、まさにその点です。

私たちは、作り手の肩書きやキャリアではなく、その人が作り上げたものから、その精神性を感じ取らなければなりません。

品評する側も、それ相応の見識や感性が不可欠なのです。

【小説の抜粋】 肝心なのは精神を具象化すること

北方の火山島ウェストフィリアでの深海調査を終えて、無事に帰港したヴァルター・フォーゲルは、リズといっそう絆を深めるが、父親のアル・マクダエルを激怒させ、二人の関係は再び暗礁に乗り上げる。

解決策の見えない中、MIGが開発初期の事業を不当に独占していたとの嫌疑がかかり、公聴会が開かれる。

深海調査に携わったスタッフの一人として証人台に立ったヴァルターは、一市民の立場から、ウェストフィリアにおける自然と開発の在り方を語り、関係者に深い感銘を与える。

一方、ローランド島に住む施工管理士のマックスと妻エヴァを訪ねたヴァルターは、アンビルト・アーキテクトの第一人者であるジュン・オキタ社長を紹介される。

自身の『リング』のアイデアに自信が持てないヴァルターは、オキタ社長の「デザインとは精神の具象」という言葉に何かを予感する。

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・ どこに作り手の心があるかはデザインを見れば分かる 海上都市の建設をめぐって

このパートは『海洋小説『曙光』(第五章・指輪)』の抜粋です。 作品詳細と無料サンプルはこちら

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「ペネロペ湾のアイデアコンペの話じゃなかったのか」

「ええ、アイデアコンペの話よ。たとえ勉強で参加するにしても、中途半端な気持ちでは困るもの。心半分で帰り支度しながら、とりあえず食えればいい、なんて性根の人間に大事な仕事を任せられるわけないでしょう」

「その通りだよ、オキタさん。だから俺も迷ってる。自分でも嫌になるほどに。あなたにもそんな経験があっただろう。自分を捨てるか、周りの期待を優先するか。何かを選ぶことは、誰かを傷つけることでもある。そうと分かっても、我を通さずにいないこともある。だが、それを利己主義と批判されたら、人は何をも選べなくなる。ともあれ、あなたが話したくないなら、俺もこれで失礼するよ。アイデアコンペに参加するなら、精鋭だけで挑んだ方がいい。総合力でメイヤーに勝てる人間などそうそうないからね。それに、同じコンペに参加するなら、『勉強のため』などと割り引かず、堂々と優勝を狙うべきだよ。俺は素人だが、いざとなれば、あんな人間にも意見するだけの矜持は持っている」

彼はその場に立ち上がると、礼だけ言って踵を返した。

その際、左手の壁に、目が覚めるような五枚のCG画が掛かっているのに気が付いた。

物理の法則を完全に無視した逆三角形の建物や、クロワッサンを縦に捻ったような大中小の三つの高層ビル、ガラスのドーナツみたいなグリーンファクトリーに、蝋燭の炎を思わせる奇妙なモニュメント。

彼がCG画に近寄って目を凝らすと、オキタ社長も彼の側に歩み寄り、

「気に入った? スタジオ・ユノの作品よ。特に一番右端があたしのお気に入り。三年前、有名な建築賞を受賞したの」

「こんな鉄の飴みたいに曲がりくねった建物が? 真ん中の人工都市なんて、宙に浮いてるじゃないか」

「アンビルト・アーキテクトよ。一口に『建築デザイン』といっても、みながみな、実作を前提に描いてるわけじゃない。また、実際に建設されないからといって、そのデザインが全く無価値とは限らない」

「実際に建設されなくても、価値がある……?」

彼は打たれたようにオキタの顔を見た。

オキタもまた深く頷くと、

「デザインとは思想よ。そして社会愛でもある。独り善がりでも駄目だし、没個性でも意味が無い。自己と他者の間を取りながら、共生の空間を創り出す。ある意味、公共性の強い芸術といえるわね」

「こんな宙に浮いた人口都市にも社会愛が?」

「そうよ。この空中都市は現実社会に対するアンチテーゼなの。地図には国境があり、全ての物事は一方的なルールで細かく区分けされている。そんな世界に、何にも束縛されない共生の空間を創り出すとすれば、もはや中空にしか存在しない。でも、それさえも、いずれそこに住む人々によって差別され、分断される。だから、この空中都市もボトムが溶け出しているの。要は現実社会の重力には逆らえないということ。ある意味、無力と虚のイメージね。これはあたしのコンセプトじゃないけど、制作過程は面白かったわ。メンバーそれぞれに意見が違って、あたしたち自身がお互いの重力に逆らえないようだった」

「なるほど」

「肝心なのは、精神を具象化することよ。詩人は言葉で愛を語り、音楽家は旋律で心の高ぶりや静けさを表現する。建築デザインにも、線の一つ一つに主張があり、理念があるの。たとえば、市役所の入り口にスロープを作るにしても、安全性はどうか、横幅は十分か、手動の車椅子でも楽に上り下りできるか、いろんな面を考慮するでしょう。そこに作った人間の顔は見えなくても、スロープの傾斜や手すりの形状に作り手の思いやり、創意工夫、美意識、社会性などが垣間見える。わけても、アンビルト・アーキテクトは実作に囚われず、自由に思想を表現することができる。それは時に百万の言葉より雄弁よ」

「俺は専門家じゃないけど、言わんとする事は理解できるよ。これは全てあなたの作品?」

「あたし、というより、スタジオ・ユノの作品よ。学生の頃から四人でやってるの。志を同じくするいい仲間よ。あたしも社長業より、そっちを続けたかったんだけど、ちょいと事情が変わって、今はアイデアを出すだけ。もっとも四人の中ではスキルもセンスも下だから、あたし一人が制作の現場を抜けたところで痛くも痒くも無いんだけど」

「そんなことはない。学生時代から一緒にやってたなら、誰が抜けても淋しいよ」

彼は改めて五枚のCG画を眺め、オキタ社長の言葉を深く噛みしめた。

「そんなに気に入ったならコピーをあげるわよ。そこのプリンタで幾らでも刷れるから」

「じゃあ、この真ん中の空中都市を」

オキタ社長がプレジデントデスクに戻って、PCを操作すると、彼はじっとCG画を見つめ、

「俺にも一つだけ、こんな感じのアイデアがあるんだ」

と初めて口にした。

「それもやっぱり非現実的で、実作は到底無理だけど、だからといって全く無価値というわけではないんだろうね」

「どんなアイデア?」

「大洋のど真ん中に円環の二重堤防を築いて、中の海水をドライアップする。現出した海底面に百万人が暮らす都市を築くんだ」

「なるほど。海のドーナツね」

「子供時代のアイデアでね。父さんと海岸で砂遊びしながら考えたんだ。強固な堤防を作れば、海の真ん中にも数百万人が暮らす都市が作れると。でも、
ステラマリスにそんなものは必要ないし、ここにもきっと必要ない。そもそも直径十五キロメートルの二重ダムなんて、構造学的に無理だろう」

「無理じゃないわよ。あなた、実際に計算したの?」

「GeoCADの構造計算プログラムを使って、何度か」

「ああ、GeoCADね。あれでは精密な数値は出せないわよ。正確さを求めるなら、専用の構造計算のソフトウェアを使わないと」

「そうだろうね。でも、いくら優れたソフトウェアでも、俺に使いこなすのはさすがに無理だ。専門的に土木建築の勉強をしたこともないし、構造計算に関する専門書を眺めても、何のことだか、さっぱり……」

「はぁん。一度は目を通したんだ」

「単なる好奇心さ。どうせなら、実作できる方が楽しいだろう」

「確かにね。自分で計算できないなら、誰かに頼めばいいじゃない。タヌキの父さんだってエンジニアじゃないけど、人を使って採鉱プラットフォームを完成させたでしょ。世間はいかにもあの人が作ったように褒めそやすけど、実際に設計図を描き、資材を調達し、ボルトを締めたのは下っ端の技師よ。あの人はただの経営者。でも、出来た」

「それはそうだが、そこまでは……」

「そこまでやる必要は感じてないということね。なるほど。それじゃあ宝の持ち腐れね」

「持ち腐れ?」

「自分ではくだらないと思うアイデアも、とことん極めれば、世界を変えるアイデアになるかもしれない、ということよ。自分で駄目だ、無価値だと思ってるから、それ以上、先に進まないのよ。ともあれ、これでも壁に貼って、気が変わったら、あたしに連絡ちょうだい」

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ジョセフィーヌ ルーブル美術館
ジョセフィーヌ ルーブル美術館

【リファレンス】 デザインとは思想そのもの ~創意工夫を色と形に表す

一般に、「デザイン」と言えば、「絵や工作の得意な人が作る」というイメージがありますが、デザインの本質は『作り手の哲学』にあり、美しい色彩や使いやすい形などは、あくまで表層に現れた結果に過ぎません。

たとえば、誰かがコーヒーカップをデザインしたとします。

コーヒーカップの存在意義は「コーヒーが飲めること」ですが、一口にカップと言っても、ピンからキリまであって、安く大量生産された白色無地のカップもあれば、芸術にまで高められた色形の美しいカップまで、実に様々です。

一つ一つのカップをよく見れば分かると思いますが、見た目重視で、取っ手の小さなカップもあれば、カップの縁が微妙にカーブし、唇にやさしくフィットする種類のカップもあります。また、こだわり派のcoffee lover が好みそうなモノトーンのカップもあれば、若い女の子が「カワイ~」と思わず手に取りそうな色柄のカップもあり、それぞれが工夫を凝らして、存在感をアピールしています。

それら全て、作り手の哲学の集積といっても過言ではありません。

子供でも安全に保持できるカップもあれば、見た目は綺麗だけど、妙に持ちにくいカップもある。

テーブルに置くだけで、ほっこりした気分になるカップもあれば、色形ともにユニークだけど、どこか好きになれないカップもある。

それは、作り手が、そういうセンスと考えの持ち主だから、色形に表れただけで、それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。

言い換えれば、この世に存在するあらゆる道具、建物、ポスター、しいては、町の作りまで、全ては作り手の精神の表れであって、その人となりと無関係な物は一つとして存在しません。

たとえスプーン一本でも、そこには作り手の思想が込められていて、我々は、色柄や形を通して、その思想に触れているのです。

当然のことながら、好ましい思想――ユーザーに対する思いやりや遊び心、責任感など――が、より一層、形として現れれば、それは色形を通して社会全体に広がります。家族でディズニーランドに行くと、大人でも愉快な気分になるし、京都の竜安寺に行けば、子供もどこかかしこまるのと同じです。

社会を変える一つの手立てとして、「好ましく感じられるもの(デザイン)を増やす」というのは、確かに一つの手立てと思います。

(もちろん、それとは真逆のものが存在しても構いませんが、そこはバランスとセンスの問題です)

【リファレンス】 アンビルト・アーキテクトとザハ・ハディッド

『アンビルト・アーキテクト』といえば、新国立競技場のコンペで優勝した建築家のザハ・ハディッドがきっかけで知った方も多いのではないでしょうか。
建築も、実作が全てではなく、概念を伝える『絵』としての役割も大きいです。
物言わぬように見えて、実は非常に雄弁で、奥深い芸術なんですよね。

こちらがザハ・ハディッドさんの作品。

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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