私もこのサイトにいろんなレビューを書いていますが、一度だけ「本人」からメールをもらったことがあります。
流れとしては
1)ある人が、私の記事を見つけた
2)仕事を通じて「本人」と知り合い、「個人ブログで、こんなに熱く応援してくれてる人がいるよ」と本人に紹介した
3)どんな事が書かれているのだろうと、当サイトを見た。
4)「……」 → メール
という流れです。
私も初めてメーラーに受信した時、「またしょうもないイタズラ?」と思いました。
まさか「本人」からメールが来るとは夢にも思わなかったからです。(だって、スターだし)
でも、その前後に「紹介者」からメールを頂いたこと(その方も顔出し・実名で別の分野で活躍されています)。
ある一点に関する記述で、「本人」と悟りました。
おそらく、あのページを目にした99パーセントの訪問者がさらっと読み飛ばす箇所で、その方が一番反応されたからです。
そして、それはファンの間では有名なエピソード。
その為に、ご本人が非常に心を傷つけられ、今も恐らく葛藤に苦しんでおられる事も、ファンの間ではよく知られています。
(※ 近年、目にした情報では、様々な葛藤を乗り越え、コンサートでも歌うようになっておられるそう)
もちろん、悪気はありません。
「あの作品が素晴らしいから、皆さんもぜひ!!」みたいな応援の気持ちで書いた一文です。
それでも、アーティストから見れば、いつまでも一時代前の作品が最高傑作のように語られ、それ以降の作品はあまり語られないのは、屈辱的な気持ちなのかもしれません。
喩えば、ユーミンにしても、「やっぱり荒井由実の時代がいいよね」と言われたら、喜んでいいのか、悲しんでいいのか、複雑な気持ちでしょう。
ファンにとっては「荒井由実」も「松任谷由実」も変わりなく、単純に「荒井由実の曲の方が好き」という気持ちなのですが。
そして、その方も、決して怒りにまかせてエクスキューズされたわけではありません。
とても優しく、控えめに、だけども「これだけは言わせて欲しい」という感じで、ある一文を書き送ってこられました。
その筆致が、こちらにも気遣った優しい言い方だっただけに、私も余計でショックだったのです。
ファンは軽いノリで、「あの作品が最高っすね!!」とはしゃぐけど、それは必ずしもアーティストの本意ではない。
そして、その為に、ずっと苦しむものなのだと。
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私の方は、「単純にあの作品を応援して、世に広めたい気持ちで記事を書いたのですが、気持ちを傷つけてしまったみたいでごめんなさい。でもやっぱりあの作品が最高に好きだし、これからも応援しています」――みたいな返事を差し上げたのですが、、、
まあ、嬉しくはないでしょうね。
だって私は、その方が本当に分かって欲しい自分、評価して欲しい作品の方に向いてなかったのですから。
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その後、その箇所を削除しようかと何度も考えましたが、私にとっては、やはりあの作品が最高傑作で、それゆえに好きであり続ける自身の気持ちも本物なので、削除せずに今に至ります。
まあ、何度もご覧になることはないでしょうし、何度言っても、やっぱり分かってもらえない・・というのは、お互いにとってそうだと思うので、そのままにしてますけどね。
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ファンなんて、いい加減なものだと思います。
あれほど「SADEは神」「STINGのいない人生なんて・・」と心酔していたにもかかわらず、新作が自分の期待と違っていたら、気持ちもフェードアウトしてしまう。そして、最新作には目もくれず、昔のヒット曲ばかり聴いている。
アーティストにしてみたら、腹立ちますよね。
私が逆の立場でも、やる気無くすと思います。
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ファンは、時にアーティストにとっては重石でしかない。
自分が右に舵を切って、新しい方向に突き進もうとしても、「いつまでも私たちの愛する“あゆ”でいて欲しい(浜崎あゆみのこと)」みたいに、自分たちの幻想や願望を押しつける。
ファンは確かにCDやDVDや本を買い、コンサートにもたくさん来てくれるけど、基本、自分の愉しみしか考えてませんからね。
私もSTINGのことは大好きだけど、いきなりクラシックの新盤とか出たら、「は???」と思ったりする。
いつまでも「シンクロニシティ」や「孤独のメッセージ」みたいな、パンクなSTINGが聴きたいのに、なんで、そっちに行くの? と、ガックリ肩を落とすこともある。
それがSTINGの生き様であり、挑戦だとしても、理解しない……というか、私はいつまでも、私の好きなSTINGを聴いていたい。
だから、自分の望みに反して、クラシックだの、再結成だの、やり出すと、すっかり気持ちが萎えてしまうのです。
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そういう意味で、ファンは足枷だし、成長を阻む思いしにもなる。
信じる道を突き進むことを、ファンは決して許してくれない。
いつまでも「私の大好きなSTING」で居続けることを要求し、違う方向に舵を切れば、「裏切られ」たと怒り出す。
ある意味、ファンなんて、善意と好意の押し売り集団と言えなくもない。
いつまでもあの作品を「最高傑作」と位置付ける私も同類です。
新曲もいいなと思うけれど、やっぱり、○○が最高で、それ以外は考えられません。
その為に、「ご本人」が深く心を傷つけられ、懊悩されたとしても、そんなアーティストの心を、ファンは思いやりもせずに生きていくのです。
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それでも、市井の人間は、常に素晴らしい作品や作者との出会いを求めています。
それが何時、どのような形で作られ、どのような経緯で売り出されたとしても、今自分が目にして、聴いて楽しんでいる作品が全てです。
そこには、アーティストに対する理解も、思いやりもなく、ただ退屈な日常を紛らわすための娯楽の一つだったり、夢だったり、いろいろです。
裏の事情など考えもしません。
ある意味、「好きで応援したい」と思う気持ち自体が、ファンの一方的な善意であり、アーティストの重荷なのかもしれないですね。
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私の方は、今もその作品が大好きで、年に二、三回は堪能しています。
今も○○の心情を歌った、最高の歌曲だと思っています。
それでも、あのメールを思い出すと、今でも「ごめんなさい」って気持ちになるし、自分では応援しているつもりが、何も解ってあげられなかった事実が心に刺さります。
いつか、あの作品を肯定的に受け止め、会場で騒いだ人たちのことも許せるようになって下さるでしょうか。
もしかしたら、既にそういうお気持ちかもしれませんが(10年以上前の話なので)、今も、ずっと苦い、思い出なのです(´`;))
初稿 2015年10月27日
本人からメールがあったのは、2006年ぐらいでしたか。私も覚えてないくらい、むかーしの話です。
当時は「一般人のウェブサイト」もまだまだ少数でしたし(ブログ・ブームの少し前ぐらい)、ご本人も、公式のメディア以外で、一般人の感想を目にするのは珍しかったのかもしれません。