『運命を愛する』ということ

人にはそうした不測の出来事が何度でも起こるし、世界の潮流から逃げることはできない。

真面目に勤めていても、会社が倒産することはあるし、健康に留意していても、交通事故に巻き込まれて大怪我をすることもある。

人には自分でコントロールできることと、できないことがあって、できない方はまさに『運命』と呼ぶ他ない。でも、俺はそんな事は認めたくなかった。

父の死を運命と悟ったところで誰が救われる? 

あれほど努力し、善心に生きた人が、高波で呆気なく命を落としたなど、どうして受け入れられる? 

だから、俺はそれに抗うことで救いを探そうとした。

そうする以外に自分を保てなかったからだ。

でも、そうして楯突いたところで、どこかで矛盾は生じる。

俺が、俺が、と拘っても、変えられないことは変えられないし、不条理に直面する度に戸惑い、憤り、その為に損もするだろう。

ならば、思わぬ出来事を正面から受け入れ、それに添って生きていくしかない。

最初はどれほど納得いかなくても、その中で前向きに働きかけるうちに状況も変わっていくだろう。

認めない、許さないと頑なに拒否するより、その流れにするりと自分を滑り込ませた方が物事はかえって上手くいくわけだ。そして、それが『運命を愛する』ということなんだろう。

だからといって、運命の慰み者とは決して思わない。

どんな過酷な運命が訪れても、その中で闘う人間は美しい。

父も、高波に呑まれたのは運命でも、その瞬間は運命や高波よりも強かった。

それも人間の立派な生き様と俺は信じる。

<中略>

俺は運命と闘ってきたのではなく、最初から高波をかぶる勇気もなければ、堤防に立つ自信もなかった。

ぐずぐずと理由をつけては先延ばし、現実の不条理を自分に言い聞かせて逃げ回っていただけの話だ。

最初から闘いにさえなってない。

自分では十分に強いつもりだったが、心の底では失敗を恐れ、背負うことを恐れ、自分にとって一番安全な場所に逃げ込もうとしていただけのような気がする。

『リング』もそうだ。

この海を見た時から、心の底では自分が何をすべきか識っていた。

だが、それを認めれば、俺はここに釘付けにされ、大きな運命を伴侶に生きていくことになる。

彼女を遠ざけてきたのも、それが理由だ。

これから起きる変化を受け入れる強さがあれば、あんな風に苦しめたりしなかった。

理事長に対しても、もっと素直になれただろう」

海洋小説 《曙光》 MORGENROOD 第六章『断崖』より

第六章『断崖』で、自らの使命に目覚めたヴァルターが、マックスとエヴァに決意を打ち明ける場面で使う予定だったが、全面的に削除。

ヴァルターの父親は、彼が十三歳の時、堤防を守りに戻って命を落とす。

我先に逃げた卑怯者が生き延びて、正しい行いをした者が命を落とした現実に対して、彼は深く傷つき、彼の父親を見放した運命を呪うが、『フォルトゥナ号』=運命の使者でもある、"拾いの神”こと、アル・マクダエルとの関わりを通して、父の教えでもある「己が運命を愛せ」の意味を理解するようになる。

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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