なぜ作中で犯罪を肯定してはならないのか?
銀行強盗に成功する主人公
スティーブ・マックイーン主演の映画『ゲッタウェイ』が上映された時、アメリカでは賛否両論だったそうです。
なぜなら、主人公とヒロインが演じる銀行強盗は、まんまと大金をせしめて、国境を越え、海外逃亡に成功するからです。
Wikiにも少し記載があります。
実際日本で公開されたときは、二人は国境を越え脱出に成功するが、スペイン版とアメリカ版(アメリカでは州法の規定により違う)では、エンディングが若干異なるところがあるという。
私はこの話を父親から聞きました。
『ゲッタウェイ』がTVロードショーで放映された時のことです。(確か1978年)
ハリウッド映画には表現の自由があるが、絶対にやってはいけない事が二つある。
2) 犯罪者のハッピーエンドを描かない。
前者の「子供が殺害される場面」については、シチューエーションとしてはOKです。
でも、映画の中で、子供の身体にナイフが突き立てられたり、手足が引きちぎられたり、ばーっと血が飛び散るような場面は絶対にNG。
描くとしたら、
クローゼットに隠れる子供。
しかし、犯人が子供の存在に気付き、クローゼットの扉を開ける。
「キャーっ」と叫ぶ子供。
---- ここで一旦、カット ----
自宅前に数台のパトカーが停車。
数名の捜査員が、犯行現場の指紋を採取したり、写真撮影をしている。
ジョンソン警部も駆けつけ、現場を見て回る。
廊下に点々と血痕。
子供が倒れていたことを示唆する白線の人型。
すると、捜査官の一人が声をかけ、ビニール袋に押収した血まみれのサバイバルナイフを見せる。
「ヤツのいつもの手口です。浴室にも、おびただしい血の跡が・・」
「ひでぇ事をしやがる」
状況から観客は子供が惨殺されたことを知る、という流れです。
ストーリー上、「子供が殺された」はOKでも、殺害の場面を描くことはNGなんですね。
後者の「犯罪者のハッピーエンドを描いてはならない」というのも同様です。
人殺しが裁きを逃れて幸福になったり、銀行強盗が大金を得て、カリブでバカンスを楽しむようなエンディングは絶対に許されない。
主人公が一時の激情で人を殺害することはあっても、最後には女子供をかばって自分も死ぬか(身をもって罪を償う)、逮捕されて、温情家の警察官に「情状酌量の余地があるから、刑期も五年ぐらいで済むだろう」と慰められるか。
いずれにせよ、何らかの形で罰を受けるのが不文律で、無罪放免=ハッピーエンドとはなりません。
そういう決まり事があるそうです。
21世紀の今はどうか分からないですけどね。
規制は社会のモラルを守るもの
一見、何でもありなハリウッド映画にも、やってはいけない約束事があり、制作者も、その理由に納得して、遵守しているのは興味深いです。
規制は、しばしば『自由』とセットで語られますが、果たして規制と自由は相反するものでしょうか。
表現者は、何を表現しても、「自由」で許されるのでしょうか。
創作は当人の自由ですが、発表には社会的責任が伴います。
規制とは、その責任を問うもので、表現の自由とは質の異なるものだと思います。
実際、ハリウッド映画でも、残虐な描写はたくさんありますし、時の権力者を堂々と批判したりします。
それでも、制作者が不当に逮捕されることはないですし、弁明の機会も与えられます。
粛清みたいに、闇から闇に葬り去られることは、今のところありません。
その中にも、守られるべき事はあり、その最たるものが「子供の権利」です。
設定はOKでも、子供の殺害を直截的に描写することが禁じられているのは、万一、子供の目に入った時に、子供が受けるショックや、模倣犯が現れる危険性などを考慮してのことでしょう。
何が何でも、子供の身体にナイフを突き立てる場面が必要というわけではないのだし、そこは、いくらでも作り手で工夫して、観客に伝えることができるはず。
それをはなから無視して、「自分は子供の身体にナイフを刺す場面を見せたい。何を作ろうと、表現の自由」では通らないのが、表現者に求められる責任であり、社会性だと思います。
そんなに作りたいなら、自分のプライベートな空間で楽しめばいいだけのことですし。
でも、社会に向けて公開するならば、社会に対する責任も背負うのが、表現者のモラルではないでしょうか。
映画『ゲッタウェイ』も、銀行強盗カップルのロマンティックな逃避行を描いていますが、それを『是』としないモラルが遵守されるからこそ、現実社会でも、銀行強盗は悪として裁かれます。
その最低限のモラルを、個々の勝手な言い分で無視されたら、法も秩序も無くなります。
TVロードショーの解説者の言葉ですが、
「『ゲッタウェイ』の犯人は追っ手を振り切って逃げおおせることができたけど、最後に二人を国境まで乗せたトラックの男は、もしかしたら、マフィアの報奨金目当てに二人の行き先を密告するかもしれないし、あるいは警察に垂れ込むかもしれない。いずれにせよ、この先にも『安住の地』はない、という含みを持たせている」
私も記憶が曖昧で申し訳ないのですが、「逃げおおせたのは今だけ、先のことは分からんぞ」という含みによって、かろうじて上映が許可された・・というような話だったと思います。
ともあれ、何所に逃げても、一時、幸せになっても、罪はどこまでも追いかけてきます。
世間が忘れ去っても、自分の良心はいつまでも記憶しているでしょう。
自身が罪を知る限り、この世の何所にも安住の地はありません。
その恐れと苦悶こそが『罰』だと、ドストエフスキーは書いてませんでしたか?
二人が手に手を取って、and they all lived happily ever after ・・にならないことは、子ども心にも分かります。
そんな余韻が、この作品の醍醐味だと思います。
*
『ゲッタウェイ』のエンディング。
「愛のテーマ」は私の大好きな映画音楽の一つです。
こちらがクインシー・ジョーンズのバージョン。
とてもロマンティックで綺麗です。
これをTVで見て、マックイーンは二度惚れしました。
共演のアリ・マックグローと二度目の結婚をしたけども、離婚したんですよね。。。(子供心にも、そういう事だけよく記憶している)
出演者 スティーブ・マックィーン (出演), アリ・マッグロー (出演), ベン・ジョンソン (出演), スリム・ピケンズ (出演), ボー・ホプキンズ (出演), サム・ペキンパー (監督), ジム・トンプソン (原著), スティーブ・マックィーン (Unknown)
監督
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初稿 2015年6月26日