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自分の身体を子供に与えて死んでいく親 ~生命の環~

鮭に限らず、生殖活動を終えたら、死んで、子供の餌になる生き物は少なくありません。

クモ、カマキリ、メダカ、等々。

それだけ生殖にはエネルギーを使うし、野生の環境は、人間社会のように、すぐ近くにコンビニがあって、粉ミルクやおにぎりが買えるわけでもない。

食糧がなければ、か弱い子供たちはすぐに死んでしまいます。

ゆえに、親が自分の肉体を与えて、次代の命を繋ぐのは、至極真っ当であるし、それゆえに生命誕生から38億年の歳月を生き延びてきたわけです。

生命科学においては、自己複製の究極の形は生殖であり、自分と同じ機能を有する個体をもう一つ作り出すことです。そこに親子という概念はなく、ただただ、同じDNAがどんどん連鎖していくに過ぎません。

その過程で、寒い時代もあれば、食糧の乏しい時代もある。

人間であれば、社会環境の変化や教育、人間関係などから、新たな機能や性質を獲得します。親は音楽にまったく興味はないのに、子供は天才的なヴォーカリストになったり、親は非常に保守的な考えなのに、子供はそこから脱皮したような先鋭的な価値観を身につけたり、これらも生物学的に見れば、進化の一種というか、個が生き延びる為の獲得と言えるでしょう。

そんな風に、DNA的にほぼ完璧に複製されたものが、後天的な環境の変化によって、親とは少し違ったものになるから、こと人間社会においては、「親」と「子」という風に別個の捉え方がなされますが、元を辿れば、個体の複製に過ぎません。言い換えれば、生殖というのは、「我」が存続する為の一世一代の営みであり、我の複製である子が、我である親の肉体を食べても、痛くも痒くもないわけですよ。SF的に喩えるなら、肉の移し替え、物質間のエネルギー転送です。

親が子を慈しむのも、自分に似ているからであって、突き詰めれば、その始まりは自己愛だと思います。

しかしながら、子は、後天的な環境によって、親とは異なる性質や能力を獲得し、完全に独立した人格として生きるようになります。

この違和感、あるいは齟齬に対して、どのように対処し、受け入れていくか。

その葛藤のプロセスを「愛」と呼ぶのであって、世話とは本質的に異なります。

だからこそ、子は親の寛容に感謝し、親は子の成長を見届けて、生物としてやるべき事はやったと充足感を覚えながら、息を引き取ることができる。

それは、ある種の身勝手な人間にとっては、自らの肉体を子に差し出す鮭のように、諦念に貫かれた想いなのです。

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