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創作における想像力とは ~どこまで他人の心情に近づけるか

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創作における想像力といえば、「ブレードランナーのようにユニークな未来都市を描く」「ミッション・インポッシブルのように観客の度肝を抜くようなトリックを考える」みたいに、『世界観の構築』に重点を置いて語られますが、それはあくまで舞台であって、物語の核ではありません。

SF映画でも、やたら背景やメカは格好いいのに、主人公や悪役がしょぼしょぼで、面白くも何ともない作品も少なくないでしょう。

逆に、セットは古くさいのに、物語は旧三部作の方が格段にいいスターウォーズの例もあります。

今も昔も、ジャンルを問わず、物語の核は「人物」であって、それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。

ちなみに、アニメのPixerなどは、ストーリーボードを担当するスタッフが数十名いて、脚本作りだけで二年近くかけるそうです(『ファインディング・ニモのメイキングビデオでやっていた)

それでも製作途中にエンディングが変わるのも珍しくなく、メカやコスチュームで人を惹き付けられるのも、本当に一部なんですね。

アニメや映画もそうですが、物語には様々な人物が登場します。

お姫さまもいれば、魔法使いもいる。

悪徳弁護士もいれば、熱血漢の刑事もいる。

物語の是非は、どれだけユニークなキャラが登場するかで決まるといっても過言ではありません。

わけても重要なのは、どこまでその心情に近づけるか、です。

サスペンスドラマを書くにしても、皆が皆、弁護士の経験があるわけでもなければ、刑事事件を担当するわけでもありません。

普通に暮らしていれば、詐欺師に大金を騙し取られたり、恨みを持った人に刃物で刺されるようなことはないと思います。

それでも、作り手は、限りなく詐欺師の心理に近付かなければならないし、他人を殺める人の心も理解しなければなりません。刑事事件を担当する人の苦悩や焦燥感、凶悪犯を弁護する人の気持ちも同様です。

そのように、自分が悲惨な事件や捜査を体験しなくても、当事者と同じように考えたり、作中において行動することができる。

それが想像力です。

学校でも、「友だちの身になって考えましょう」と教えますね。

その通りです。

自分自身が、当事者の立場で物事を考える力がなければ、いくら外見を整えても、緊迫した刑事ドラマや、殺人犯の心理は描けません。

「人殺しはみな悪い」みたいに、単純かつ定型化した考え方では、横溝正史の『犬神家の一族』やTVドラマ『刑事コロンボ』のように、トリックだけでなく、人間心理も巧みに描いた傑作は書けないでしょう。

ある意味、作家というのは、役者に似ています。

舞台俳優も美人女優も、一流の役者は、自分が演じる役柄を徹底的に研究し、それになりきります。

中には、役柄をいっそう理解する為に、ホームレスの暮らしを体験したり、軍隊の訓練に参加したり、医療施設でボランティアする人もあります。

専門家に教えを請うこともあれば、博物館や美術館で学ぶこともあり、みな、そのキャラクターに近付く為に、勉強と経験を重ねます。

誰でも知識を得れば、ある程度は真似ることができますが、そこから先は想像力の賜で、他人の心情や境遇に思い及ばぬようでは、ドラマなど到底書けないんですね。

そして、想像力の源になるのは、やはり『体験』です。

病人の苦しみも、失業中の焦燥も、体験のない人にはなかなか想像がつきません。

不治の病におかされた人の手記を読んでも、まったく実体験のない人は「ふーん。可哀想だなぁ」ぐらいにしか思わないでしょう。

しかし、肺炎や骨折に苦しんだ経験があるなら、ある程度は想像がつくはずです。

「自分も手術後は痛くて辛かった。この人も同じように辛いだろう」「ベッドで寝ていても、職場のことが気になって、気になって、安静どころではなかった。この人も好きな仕事ができなくなって、さぞかし苦しいだろう」等々。

同じ経験はしなくても、自分の原体験を元に、想像力を膨らませる事は可能です。

そして、自分の原体験をどこまで他者にスライドできるかは、自己分析の能力にかかっています。

分かりやすく言えば、自分の痛み苦しみをどこまで客観的に見つめ、考察の手立てとするかですね。

「インフルエンザになった。しんどい。つらい」というのは、自分主体の感情です。

でも、「つらい、しんどい」と繰り返すだけでは、『自分』という枠を超えて、他者の胸の内を想像するところまでいきません。

どこが、どう辛いのか。

病気になって、一番辛いのは何か。

支えになったことは何か。

希望と絶望の意味は。

……等々。

自分の内的な体験をつぶさに見つめ、論理的に考察することが大切です。

そして、自分の内的な体験を、他者にスライドし、人類共通の普遍的なテーマに高めていく。

それが創作に必要な想像力です。

たとえば、社会活動に従事している人で、幼い頃の虐待や貧困の思い出が仕事の原動力になっているケースも少なくないですね。

他ならぬ自分自身が、暴力の痛みや、明日食べるものもない貧困の辛さを知っているからこそ、同じ境遇の人々の心中を思いやり、支援の手を差し伸べることができるのです。

作家も、それと同じです。

ただ、辛い、苦しいと、自分の心情をぶちまけるだけなら、Tweetと大差ありません。

好き放題につぶやくだけなら、気分転換にもなりますが、「人に読ませる」となれば、それ相応のスキルと回答が必要です。

回答というのは、病気にしても、貧困にしても、人類共通の痛み苦しみについて、何かしらの知見、もしくは救済策を有していることです。

物語というのは、いわば、問題提起して、回収するまでのプロセスですから、「最後の回答」が存在しなければ、何の意味もないのですよ。

悪い喩えをいえば、「ダースベイダーがルークの父親と判明した」→「ルークが衝撃を受けた」→「その後、どうなったか、作中で何の説明もなし」みたいなケースです。ジョージ・ルーカスの映画では、最後にはルークとダースベイダーが父子として和解しますが、もし、そのオチが、「ルークが最後まで捻くれたまま」「ダースベイダーがルークを殺してしまう」みたいに、到底、納得いかない内容なら、観客も消化不良に陥って、二度と観たいとは思わないでしょう。

いわば、あのエンディングは、ジョージ・ルーカスの父子関係に対する一つの回答であり、本作で一番描きたかったテーマです。だから、大勢が感動したわけで、単にルークが反抗するだけの話なら、到底、名作には成り得なかったでしょう。

クリエイターの中には、「突飛なことを思い付く=想像力」と思い込んでいる人も少なくなく、それはそれで間違いないのですが、ことキャラクターの造形に欠かせないのは、美しい容姿や凄いアイテムではなく、「友だちの身になって考えましょう」という人間に対する想像力です。

生まれながらに身体が不自由なのに、健常者と同じように、元気で、強い……となれば、読み手やはり嘘を感じます。

「強がり」ならいいですが、あまりに病苦とかけ離れた心理だと、読み手はやはり違和感を覚えるし、一度、キャラクターに違和感を覚えたら、興味も親しいも失ってしまうんですね。

そうした齟齬を起こさない為にも、日頃から、自分の内面を客観的に見つめ、周りの人々をよく観察して、人間に対する想像力を高めましょう。

たとえ、人を殺したことがなくても、殺人者の心理をリアルに描くのが、作家というものです。

最後に、有名なカフカの言葉を。

いつも不可解に思うのだが、ものを書くことのできる人はほとんど誰でも、苦痛のなかにいて苦痛を客観視できる。

だからわたしなら、わたしは不幸のなかにいながら、おそらくまだ不幸に燃えさかる頭を抱えて、腰をおろし、誰かに向かって書面で報告することができるのだ――わたしは不幸です、と。

いや、わたしはさらにそれ以上のことができる。

不幸とはまるで関わりのなさそうな才能というものに応じて、さまざまな美辞麗句をもちい、そうしたことについて端的に、あるいは反対語によって、あるいは連想のフルオーケストラによって即興演奏をすることができる。

しかもそれは嘘偽りではなく、また苦痛を鎮めもしない。

なんのことはない。

恩恵的に与えられた力の過剰である。

苦痛がそれでも明らかにわたしの全力を、その苦痛が掻き起こすわたしの本質の底の底まで使い果たしてしまった瞬間における、力の過剰である。

とすれば、これはなんという過剰であるか?

『夢・アフォリズム・詩』 フランツ・カフカ

後半はちょっと分かりにくいかもしれませんが、自分の不幸=傷み苦しみを、「辛いです。死にそうです」とストレートに書くのではなく、自分は、それを文学的に表現する能力があると訴えている文章です。

カフカはその能力を『力の過剰』と著し、その喩えこそが、”修辞”というものです。

要は、人が”つぶやき”で済ますところを、自分はもっと高度な手法で著す文学的才能があり、またその才能ゆえに、自分の内面がボロボロになっても、逆に、ボロボロになるほど、そうした能力が湧き出て、なんか不思議だなx……と、半分、自画自賛している、中二病の告白です。

でも、一読して、そうは見えないところが、カフカの偉大な才能なのです。

海洋小説 《曙光》 MORGENROOD
ブックカバー
宇宙文明を支える稀少金属ニムロディウムをめぐる企業の攻防と、海洋社会の未来を描く人間ドラマ。心に傷を負った潜水艇のパイロットが、恋と仕事を通して成長する物語です。


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