なぜ安易な癒やしは長続きしないのか

私の体感ですが、癒しブームは90年代半ばから活発になりました。

それまでバブル経済で景気がよかった上に、漫才ブームや、明石家さんま、ビートたけし、ダウンタウンを主とする新手のお笑いスターの登場で、古典芸能的な笑いが一掃され、「いじる」「おちょくる」ような芸が人気を取るようになった背景も大きいと思います。

その影響で、真面目なことや内気なことは「ネクラ」と馬鹿にされ、吉本新喜劇的なノリが良しとされるようになったわけですね。

ところが、バブル経済が崩壊して、世の中、一気に不況に傾きました。

1995年には阪神大震災が起きて、社会に大きなショックを与えました。

リストラ、倒産、就職難民、etc。

経済的打撃に伴う一家離散や自死も多かったです。

そうした流れの中で、「お金じゃない、心の幸福が一番だ」と癒しブームに火が付き、今に至るという感じです。

アロマ、風水、○○セラピー、ペット、オーガニック、etc。
手軽に心を癒やすものが求められるようになり、『自己啓発』という言葉が注目されるようになったのもこの頃です。それまで「ネクラ」と馬鹿にされてきた自己分析や内省が、逆にイケてる若者の代名詞みたいになり、本屋にも「生き方」や「働き方」をテーマにしたエッセーなどが並ぶようになりました。喩えるなら、若者向けの娯楽情報誌が自己啓発本に鞍替えしたような感じです。それだけ若者の意識が向上したというよりは、安易に答えを求める人が増えた……というのが実態でしょう。

自分の頭で答えを導き出すだけの素養もなければ、忍耐力もないから、「こんな風に生きれば幸せになれますよ」というアンサーがあれば、すぐにそれに飛びついてしまう。納得できなければ、次はこの本、その次はあの本と、枝から枝に飛び移るみたいに答えを探し歩いて、結局、根本的なことは解決できずに終わる。早い話、自分の行いや考えを正当化してくれる根拠が必要なだけであって、本気で自分の過ちを治そうとは思わない。

だから、他人に図星をさされたり、痛い所を突かれると、「上から目線」と拒否したり、相手の人間性を貶めて、「こんな人の言う事は聞かなくていい。傷ついた私は可哀想」と耳を塞いでしまうわけです。

『なぜあなたの恋は上手くいかないのか』のノートでも繰り返し書いていますが、穴だらけのバケツでがんがん水を汲んでも、決して瓶はいっぱいにならないし、エンジンの傷んだ車で走り続ければ、いつか必ずガタがきます。

見たくない、聞きたくないことでも、自分自身を直視して、必死で改めていくしか人生を変える方法など無いのですよ。

修理は一度で済むこともあれば、何度も、何度も、必要なこともあります。

家電でも、いつも同じ部品が摩耗してしまう。

人間もそれと同じで、躓くところは大概同じです。

そこで改める勇気をもつか、嫌だ、嫌だと逃げ回るか、たったそれだけの違いなんですね。

親子関係でも、恋愛関係でも、一朝一夕に上手くいくものではないです。

コロっと前に進むこともあるけれど、振り返ってみれば、やはりそれ以前に積み重ねてきたものがある。その時は意識しないけど、たくさんの本を読んだことや、いろんな人の意見に耳を傾けてきたこと、身の回りの人を大切にしてきたこと、問題解決には直結しないけれど、外堀を埋めるような努力はしているわけです。時にそれは何ヶ月、何年にも及ぶし、その渦中にいる間は「苦しい、苦しい」で何の希望も感じないけれど、確実に歩みを進めているわけですね。

自己啓発本や癒やしグッズが悪いとは言わないけれど、表面的に共感を得て、慰められたような気分になっても、単純に自分を肯定してくれるものを見つけただけで、故障は故障のままです。

「よし、分かった!」とその場では頷いても、その感動もだんだん薄れて、また次、はい次と、自分を後押ししてくれるものを求めて永久に彷徨い歩くことになります。

ドリルを片手に、本気で自分自身を変えようとするより、自分を肯定してくれるものを見つけた方が簡単に幸福感が得られるからです。

どんな若い人も、一時期、何かにはまるのは自然だし、そのこと自体は責められるものではありません。

でも、いつまでも少年ジャンプや少女コミックを読んでいる大人がないように、いつかはその世界観から卒業するものです。「私、こんなもの読んでたんだ、恥ずかしー」と感じるのは、それだけ成長した証です。

一箇所、ボルトを入れ替えるだけで、ころっと人生が好転する人も多いのに、安易な慰めで満足して、幸福になる機会を逸しているのは、本当に惜しいことだと思います。

初稿 2002年


【追記】 

現代でも、『ノウハウコレクター』という呼び名があるように、中毒みたいに「幸せになる方法」や「お金持ちになる方法」を読み漁る人がいます。

その場では納得し、大いに盛り上がりますが、エネルギーが切れてくると、また新しい「教え」や「悟り」が必要になり、似たようなハウツー本に救いを求めます。

本気で人生を変えたければ、実行する他ないのですが、自分を後押ししてくれる理屈だけで十分なのでしょう。

ハウツー本の功罪は、迷える子羊に夢を与えながら、逆に、現実を直視する機会を奪ってしまうことでしょう。

何故なら、本を読んでいる間は、誰もが慰められ、大いなる可能性が感じられるからです。

しかし、本を閉じてしまえば、冴えない現実が待っているだけ。

自分で、生活習慣なり、勉強法なり、具体的に何かを変えない限り、人生など変わりません。

でも、現実と戦うのはイヤ。

慰めだけが欲しい……という人に、優しい言葉はうってつけなのです。

確かに、著者は、悩める子羊の理解者であり、この世でただ一人の味方です。

でも、著者は著者であって、あなたの友人でも、家族でもありません。

言論という余力で、生きるヒントを与えているだけです。

もし、彼等が、あなたの友人や家族の振りをして、その見返りに法外な金銭を要求するなら、それは詐欺師であり、偽善者です。

著者は、著者であって、決してあなたの友人や家族にはなり得ないのです。

ハウツー本や癒し本を読んで、前に進むきっかけにするならいいですが、本に書かれたような幸運や成功はめったに訪れないものです。

迷える読者に期待をもたせる著者もたいがいですが、一番よくないのは、著者自身がそれを自覚せず、本気で他人の人生を変えられると信じきっていることです。

あるいは、そこまで尊大になれるから、迷える読者も簡単に騙せるのかもしれません。

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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