リュック・ベンソンの映画『ジャンヌ・ダルク』

何を信じ、どう貫くか リュック・ベンソンの映画『ジャンヌダルク』と正しい信仰心

リュック・ベンソンの映画『ジャンヌ・ダルク』
新作『ジャンヌ・ダルク』を完成させた 映画監督リュック・ベンソンの言葉。

Q:なぜ世紀末のヒロインに、 ジャンヌ・ダルクを選ばれたのですか?

ベンソン: 現代は、信じられるものがない。だから、何かを信じぬいた少女を描きたかった。

公開当時のシネマ情報より

ジャンヌが「信じぬいたもの」って何だと思います?

私は、「神の声」そのものではなく、 『私は神の声を聞いた』という「自分自身」だったと思います。

この世で最強なのは、信仰をもった人間。

対象は何だって良い。

肝心なのは、「正しい信仰」をもつことです。

初稿:1999年

*

ここからはネタバレになるけれど、

私が一番印象に残ったのが、ラスト、処刑の決まったジャンヌ・ダルクが、ダスティン・ホフマン演じる『ジャンヌの良心』(いわば神そのもの)に、「お前は自分が見たいものを見て、自分が信じたいものを信じた。それは傲慢だ」のように諭される場面。

確かに、ジャンヌが本当に神のお告げを受けたのかどうかは誰にも分からない。

証拠となる文書があるわけでもなければ、それを示す超常能力があるわけでもない、いわば自己申告の聖女だからだ。

映画の中でも、草むらに落ちていた剣を「天からの授かりもの」と思い込み、盲信するジャンヌの姿が描かれているが、それはどんな人間にも当てはまることだ。「あの人に嫌がらせをされた」とか「彼はまだ自分を愛している」とか、物事を自分の都合よく解釈し、自身の人生を破壊するばかりか、周りも巻き込んで、さんざんに振り回す例は枚挙にいとまが無い。ジャンヌもその典型で、全ては究極の思い込みというのが、本作におけるリュック・ベンソンの主張である。

だとしても、何かを信じる気持ちは他のどんな慰めや励ましにもまさる。

たとえそれが得手勝手な妄想としても、自分を信じきれる人間は馬鹿みたいに強い。

ちょっとしたことで、すぐに心が折れてしまうのは、弱いというより、信じるものがないからだろう。

極端な喩えだが、拷問されても改宗しない信徒は、その真逆といえる。

自分、あるいは、家族や友人など、心から信じるものがあれば、迷いもせず、挫けもせず、突き進んで行けるものなのだけど。

ただし「何を信じるか」は自分で考えなければならないし、信じる対象を誤れば、大量殺人犯にもなる。

肝心なのは、正しい信仰の対象をもつこと。(信仰がおおげさなら、信頼と置き換えてもいい)

そして、信じ抜くこと。

信じる心は、しばしば、試されるものだから。

映画情報

本作は、『フィフス・エレメント』で一躍有名になったミラ・ジョボヴィッチを再び主演に迎え、過去作とはタッチの異なる歴史スペクタクルです。
LEONニキータで涙した私としては、「期待したほどでは……」というのが正直な感想ですが、聖女ジャンヌ・ダルクに対する解釈は斬新で、面白かったです。
その後のジョボヴィッチは『バイオハザード』でアクション女優の位置づけになってしまいましたが、なんか勿体ないような気がするのは私だけ??
今後は社会派ドラマや重厚サスペンスにも挑戦して、幅を広げてもらいたいです(^^)

ジャンヌ・ダルク スペシャル・プライス [DVD]
出演者  ミラ・ジョヴォヴィッチ, ジョン・マルコヴィッチ, フェイ・ダナウェイ, ダスティン・ホフマン, ヴァンサン・カッセル
監督  リュック・ベッソン
定価  ¥ 936
中古 16点 & 新品  ¥ 936 から
(0 件のカスタマーレビュー)

こちらの記事も参考にどうぞ

[custom-related-posts title=”” order_by=”ID” order=”ASC”]

Tags: , ,

映画の関連記事

エクソシスト

悪魔の言うことに耳を傾けてはならない。悪魔は嘘に巧妙に真実を織り交ぜる

シャーリーズ・セロン モンスター

自己責任か、境遇か。シャーリーズ・セロン演じる連続殺人犯アイリーン・ウォーノスは一見、無節操・無計画に見えるが、底辺には底辺の苦しみがあり、自己責任では割り切れないものがある。アカデミー賞に輝いた捨て身の熱演を画像付きで解説。『みんな私のことを、生き残ることしか考えないクズと思ってる。私には”選択肢”がなかった』

WALL・E / ウォーリー

宇宙コロニーを舞台に、大量消費社会と機械化文明を風刺するロボットアニメの傑作。人々は皆肥大化し、完全自動化された町で、コンピュータに管理され、他人と顔を合わせることもなく、移動マシンに乗って暮らす彼らの姿は未来の人類を思わせる。エヴァを追いかけるウォーリーの行動は町に大混乱を引き起こすが・・