デューラー イエス・キリスト

河原町のジュリー ~あるルンペンの思い出~ 貧困に対する社会の想像力とは

デューラー イエス・キリスト

もう二十数年前の話である。
京都は四条河原町に、『河原町のジュリー』と呼ばれるルンペンが住み着いていた。
背はひょろりと高く、黒いボロから楊枝のような手足をのぞかせ、頭にはいつも崩れた山高帽をのっけてた。
時々、周りにも聞こえるような大声で独り言を言いながら、誰とも目を合わすことなく通り過ぎて行く。

誰が名づけたか、『河原町のジュリー』。
悪びれもせず、垢だらけの身体で河原町を闊歩する彼を、京都っ子はスターの名に あやかってそう呼んでいた。
中には、街頭でぼんやり立ち尽くす彼に、小銭を投げる者もあった。

そんな彼にまつわる噂は数知れず、
「昔は大会社の社長だったけど、会社が倒産してルンペンになった」
「実は円山公園の桜の木の下に大金を隠し持っている」
「ある人がジュリーをからかったら、ジュリーがめちゃくちゃ怒って、三条大橋まで追いか
けてきた。
「恋人に先立たれたショックで狂ってしまった」……etc

『河原町でジュリーに遭ったら、絶対目を合わせてはいけない。目を合わせたら最後 、顔を覚えられて、家までつけてくる』という噂に震え上がっていた子もいたほどだ。

一体、ジュリーは河原町のスターなのか、疫病神なのか。
そんな噂もどこ吹く風、ジュリーはいつも流れに逆らい、街を闊歩していた。
時に、すれ違いざまに、大声で人に突っかかりながら。

そんなジュリーに出会ったら、京都っ子はさっととうつむき、「ジュリーや、ジュリーがおる。 見たらあかんで」と声を潜めた。そしてジュリーの視界に入らぬよう、足早に傍を通り過ぎた。精一杯、『他人の顔』を装って……。

そんなジュリーも、ある冬の寒い朝、一人あの世に旅立った。
円山公園のベンチで、体中に新聞を巻き付けて息絶えているところを、巡回中の警察官に発見されたのだ。
京都新聞の夕刊には、『さようなら、河原町のジュリー』という見出しで、かなり大きな 死亡記事が掲載された。
その日ばかりは、ジュリーを見て見ぬふりしていた人も、からかって怒鳴られた人も、誰 に見取られることなく、独り凍え死んだジュリーの生涯を、多少なりと思い巡らせたに違いない。
たとえ最後はボロとなり、独り消え行く生涯だったとしても、その過程には光り輝く時代もあっただろう。

ジュリーの亡骸は市の職員によって火葬され、京都市内の寺に無縁仏として安置された。
本当の名前は、最後まで知られることはなかった。

初稿:1999年9月8日 メールマガジン 【 Clair de Lune 】 より 

思いやりを欠いた社会

『河原町のジュリー』は伝説だと思っている人もあるようですが、実話です。

バブル世代より年寄りで、京都市で暮らしていた者なら大抵知っています。

ではなぜ、数あるホームレスの中でも『河原町のジュリー』だけは別格なのか。

それは時代背景が大いに関係しています。

わたしたち、バブル世代が学生の頃は、まさに高度成長期の真っ只中。

世の中、イケイケ、ドンドンで、飲めや食えやの大騒ぎ。

それまで遠い憧れでしかなかった、エルメスやクリスチャン・ディオール、シャネル、バーバリーといった高級洋品店が繁盛し、若い子向けのファッションビルはデザイナーズブランドが花盛り、その辺の女子高生でも一着2万~3万ぐらいするデザイナーズブランドのジャケットやスカートを当たり前のように学校に着てきてた時代でした。(私が通っていた高校は私服だったので、余計で派手だった)

そうして、「あしたのジョー」の時代から、ネオン煌めく華やかな都会に変貌を遂げる中、いわゆる『乞食』というのも徐々に市中から姿を消し、ホームレスの溜まり場みたいだった四条大橋や三条大橋のあたりもクリーンになって、「日本は豊かになった」というのを世の中全体が実感していた時に、イケイケムードに水を差すが如くだったのが、『河原町のジュリー』だったんですね。

社会が活気に溢れ、福祉も充実していた時代ですから、余計で「お乞食さん」のままのジュリーが珍しく、学生の目から見れば、「なんで?」という気持ちの方が強かったと思います。分かりやすく言えば、「この豊かな日本(京都市)に、なぜ乞食が?」という社会的違和感です。

もちろん、当時にも貧困者やホームレスはありました。

しかし、そういう方々は、社会の目に触れないところに隔離されるか、自分から立ち退くかで、一目でそれと分かる姿で四条河原町を闊歩する方は非常に珍しかったのです。

↓ 60年代~70年代の町並み 

では、なぜジュリーだけが京都市民から愛された……というか、特別な存在だったかといえば、都会がどんどん華やぐ一方で、社会の影を知らしめる存在だったからかもしれません。

あの頃の子供は「乞食」というものさえ見たことがない、誰でも三食、お腹いっぱい食べられて、着るものも、身につけるものも、Made in Japan の一級品、すでに戦後は終わった、日本のビジネスマンは世界一優秀、世界に冠たる経済大国、ウリィィィ~、みたいな感覚でしたから、この豊かな時代に、まだ「お乞食さん」みたいなものが存在するという事実に、ある人は驚愕し、ある人は嘲笑し、ある人は憐れみを覚え――と、良きにつけ、悪きにつけ、何かを感じずにいられなかったんですね。

京都新聞に訃報が掲載されたのも、決して見世物にするわけではなく、良い意味での憐れみの気持ちです。

世の中、右肩上がりで、皆が豊かになっているのに、ジュリーだけは時代から見放されたみたいに、孤独で、ボロボロで、ついに死ぬまで救済されることはありませんでした。
(これは私の推測ですが、多分、福祉の方から接触はあったと思います。でも、精神的な問題もあり、施設に入る、ということはなかったのでしょう。警察もマークしていたと思いますが、往来で大声で叫ぶぐらいで、他人に危害を及ぼす方ではなかったので、そのまま様子を見る感じだったのでしょう)

それだけに、誰にも看取られることなく、公園のベンチで息を引き取っていた――という事実が、当時の学生より上の世代、すなわち、戦中・戦後の悲惨な貧困を経験した中高年層に響いたのだと思います。当時の京都新聞を編纂していたのは、それぐらいの年代がメインですから。

そう考えれば、当時の世間は、平和と豊かさしか知らない若い世代と、「父親が戦争で死んだ」「きょうだい八人、芋をかじりながら、畑仕事を手伝っていた」みたいな元貧困層が上手い具合に共存し、うっかりご飯を残そうものなら、「勿体ないことをするな! わしらが子供の頃は、白米は贅沢品だったんだぞ」と叱られ、ホームレスを嘲ろうものなら、「人にはそれぞれ苦しい事情がある」と窘めらたりもしたのです。

「河原町のジュリーが貧しいのは自己責任」などと、あからさまに言う人は、まあ、なかった。

何かしら社会生活に躓いて、高度成長期の波に乗れなかった、不幸な人、という印象が圧倒多数でした。

だから、河原町のジュリーにすれ違っても、「目を合わせるな。下を向いて通り過ぎろ」

それは社会的に無視しろ、という意味ではなく、何かがきっかけで、そうなってしまった人のことを、じろじろ眺めて笑いものにするな、というニュアンスを含みます。

もちろん「怖い」「汚い」という気持ちもあったけれど、一方で、他人の不幸を慮る品性もあったわけですね。

現代はどうでしょう。

「貧しさを知る大人 > 豊かな子供」という社会構成がすっかり逆転して、「豊かな大人 > 豊かになれない子供」になっていませんか。

貧しさを知らない大人が増えれば、当然のこと、貧しい人への想像力は無くなります。

河原町のジュリーに対する社会の印象も大きく違っているでしょう。

他者に対する想像力は、経験からしか生まれません。

一度も火を扱ったことのない子供に、火の熱さや危険性を説いて聞かせても、いまいち理解しないのと同じです。

「火とはこういうものだ」という理屈は分かっても、火傷の痛みや火事の恐ろしさなど他人事でしかない。

そこに実感を伴うには、火遊びで辛い体験をした人が、何度も、何度も、繰り返し、言って聞かせる他ありません。

社会から体験した人がなくなれば、もうその事実は、遠い世界の出来事でしかなくなります。

戦中戦後の混乱や「あしたのジョー」で描かれた貧しさが昔話みたいに感じられるように。

現代における「河原町のジュリー」は嘲笑されるだけで、社会全体がその死を悼むこともありません。

皆が目指した豊かさが「想像力の欠如」となって、いっそうの孤独や生きづらさをもたらすのも皮肉な話です。

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