知見は時に絶望しかもたらさない フランツ・カフカの『ロビンソン・クルーソー』

幸せに生きるコツ――なりふり構わず

ロビンソン・クルーソーが島のもっとも高い一点、より正確には、もっとも見晴らしのきく一点にとどまりつづけていたとしたら――

慰めから、恐怖から、無知から、憧れから、その理由はともかくも――そのとき彼はいち早く、くたばっていただろう。

ロビンソン・クルーソーは沖合を通りかかるかもしれない船や、性能の悪い望遠鏡のことは考えず、島の調査にとりかかり、またそれをたのしんだ。

そのため、いのちを永らえたし、理性的に当然の結果として、その身を発見されたのである。

カフカ寓話集 (岩波文庫)

今の時代、「知っていること」「備えがあること」は、現代人の幸せ術として必須だが、知り尽くしているが為、あるいは、備えが有るが為に、かえって慎重が過ぎ、結局、何もできずに終わってしまう人も多いと思う。

あれも不安、これも疑わしいと、ついには猜疑心の塊になり、食べても、飲んでも楽しめず、生きること自体が苦痛になってしまうのだ。

本来、生きることは、人生を楽しむための手段なのだが、あれもこれも知りすぎて、人の倍ほど見通す力が培われると、逆に、生きること=失敗しないことが目的になり、本末転倒してしまうのだ。

その点、低地に暮らすロビンソン・クルーソーのように、自分の置かれた場所も知らず、運命を悟ることもなく、呑気に楽観論を信じられる人の方が、はるかに幸せだ。

自分が無人島にいる事も、ここ数年、船一隻通ったことがないのも知らず、「いつか助かるのではないか」という根拠なき自信に支えら、毎日、雲と魚を相手に、のんびり暮らすことができるからである。

普通に考えれば、自分が無人島に漂着したた時、周りを見渡すことができる高所に居る方が、助かる確率もはるかに高いのだが、それは同時に絶望をもたらすこともある。

なぜって、自分の居る場所が、沿岸から何百キロも離れた絶海の孤島で、何年待っても、船一隻通らないと分かれば、どんな強者も気が狂って死んでしまうからだ。

いつでも最上の場所が、最高の結果をもたらすとは限らない。

また最高の知見が、必ずしも人間を幸福にするわけではない。

時には、「何も知らないこと」が人間に希望と活力を与え、大いなる救いをもたらすこともある。

周りの状況を詳しく知ることもなく、ひたすら助けを待ち続けたロビンソン・クルーソーは、たとえ自分が救出されなかったとしても、毎日、雲と魚を相手に過ごしたことを後悔はしないだろう。

少なくとも、彼は最後の瞬間まで正気を保ち、自分が(救いようのないほど)絶海の孤島に流れ着いた現実を知らずに済んだからである。

こうした言葉を絶望名人カフカが記しているのも興味深い。

 カフカ寓話集 (岩波文庫) (文庫)
 著者  カフカ (著), 紀, 池内 (翻訳)
 定価  ¥792
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初稿: 2018年9月20日

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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