レッド・ツェッペリン『Kashmir』 A面からB面へ アルバムという物語

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レッド・ツェッペリン『Kashmir』について

レッド・ツェッペリンの印象的なイントロといえば『天国への階段』が圧倒的に有名だが、それに負けず劣らず、強烈な印象を残すのが、異国風の『Kashmir』だ。1975年に発表され、演奏時間は約8分30秒に及ぶ。

時間と空間を旅するこの曲も、『天国への階段』に似て、宇宙的な広がりを感じさせる秀作である。

こちらは歌詞付きの動画です。
意味が知りたい人は、「kashmir lyrics」で検索して下さい。
Googleがその場で日本語に翻訳してくれますよ。(新機能)

関連記事 → ロック史に残る叙情詩 『天国への階段』 レッド・ツェッペリン

【コラム】 音楽の要はメロディラインにあり

『Kashmir』を聴いていると、私たちは『アーティスト』を聴いているのではない。

『美しいメロディ』に耳を傾けているのだと、当たり前のことを思い出さずにいられない。

アーティストだから、美しいメロディを作るのではなく、美しいメロディを作るから、『アーティスト』と呼ばれるのだと。

昨今は、どうやら、このあたりが逆転して、売る側も、リスナーも、「音楽」ではなく、「アーティストを聴く」という認識に変わってきているような気がする。

とにかく、パッケージにアーティストの名前を付ければいい。

曲の内容など、実はどうでもよく、常に新しいものを提供して、世間の関心を繋ぎ止めればいい。

……そんな感じ。

しかし、音楽市場がどうあれ、音楽の要はやはりメロディラインだ。

たとえ、バンド名や曲のタイトルは記憶に残らなくても、一度、耳にすれば、忘れられない曲がある。

『Kashmir』も、まさにそんな曲の一つで、冒頭のギターソロの段階で、釘付けになる。

誰が歌っているのか、今も人気なのか、そんな事はどうでもいい。

ただただ、メロディの美しさに引き込まれる。

プロの作る音楽は、本来、そういうものだと思うのだが、どうも、近頃は、スピードばかりが求められているような気がしてならない。

売り出すのも早ければ、忘れ去られるのも早く、数年経てば、人の口にも上らない感じだ。

その時、その時、ヒットチャートを席捲するのも大事だろうけど、『Kashmir』のように、印象的な曲を一つでも残せば、伝説になる。

さながらA-haの『Take on Me』みたいに。

一発屋でもいいじゃないか。

何年、何十年の長きにわたり、塵が積もるように、売り上げ、語り継がれる曲もある。

アーティストの原点に立つならば、不滅の曲こそ、真のヒット曲ではないだろうか。

【音楽コラム】 A面で恋をして、B面で納得 : レコードという物語

A面とB面 : 作り手の駆け引き

近年、アナログレコードが売り上げを伸ばしているという。

うちの近所の家電量販店も、DVD売り場の1/3がアナログレコードに置き換わった。

30年以上前に目にして、それっきりの、あの有名ジャケットが、どーんと売り場の顔になっているのは感無量だ。

今、若い人の目で見ても、十分に魅力的と思う。

私たちがそうだったように、彼等もまた、自分のアイデンティティを構築するアイテムの一つとして、これらのジャケットを自室に飾るに違いない。

  

これも、どこのウェブサイトで目にしたのか、まったく記憶にないのだが、「なぜ音楽が売れなくなったのか」というコラムで、「お目当ての一曲だけを、ダウンロード購入できるようになったから」という話があった。(※ この記事はサブスクリプションが普及する前の2014年に作成しています)

以前はCD、もしくはアナログレコードで、アルバムを丸ごと購入して、「お目当ての一曲」以外も耳にする機会があったが、iTuneなどの登場で、「お目当て」だけを手に入れると、自分の関心のある曲以外は聴かなくなり、それがアーティストに対する愛着心を薄め、売り上げの低下を招いている……というのである。

それも重要な指摘だと思う。

本来、CDでも、アナログレコードでも、アーティストの『アルバム』というのは、最初から最後まで『物語』の上に作られていた。

たとえば、『Kashmir』が収録されている『フィジカル・グラフィティ』は、一曲目の Custard Pie から淡々と進んで、A面の最後に、この曲がどーんとくる。

もしかしたら、A面の一曲目でも良かったような気もするが、のっけから『Kashmir』で満足されては、後が続かない――という計算だろう。

そして、『Kashmir』で止めを刺されたリスナーが、「よいしょ」と重い腰を上げて、レコード盤をひっくり返し、雰囲気の異なるB面の『In the Light』に針を進める。

この心と身体のPause(休止)が、リスナーの聴覚をリフレッシュし、「Kashmirがあれだけ凄かったんだから、B面にも凄い仕掛けがあるのだろう」と新たな興味を掻き立てられるのだ。

こうした作り手の駆け引きが、随所に見られたのが、アナログレコードであり、あの両面には、アーティストとプロデューサーのセンスと哲学が凝縮されていた。

そして、アルバムの世界観を如実に表す、アーティスティックなジャケット。

リスナーは、企画から、作曲、アレンジ、レコーディング、ジャケットデザイン、店頭販売に至るまでの『物語』を楽しみ、作り手の『すったもんだ(=産みの苦しみ)』に尊敬と親しみを覚えた。

いいものを聴かせてもらって、「ありがとう」。

本当のファンとの交流は、こういう気持ちではないだろうか。

A面からB面への儀式

こうした『アルバムの物語性』を語る時、忘れてはならないのが、「A面からB面への儀式」である。

私は、LP & EP盤から始まって、二十代半ばにCDに移行した口だが、その時、何が嬉しかったといえば、「A面からB面にひっくり返さなくていい」という利便だった。

たとえば、寝ながらLPレコードを聴くとする。

すると、必ず、五曲目あたりで、レコードをB面にひっくり返す必要が生じる。

あそこで、のっそり起きだして、プレーヤーまで歩いて行くのが面倒くさい。

でも、自分で作業しなければ、レコード針は、いつまでもレコード盤の上でブツブツ言い続けるし(後期には、自動で収納されるレコードプレイヤーが登場したが)、放置すれば、針の先が摩耗して、レコード盤を痛める原因にもなる。

それで、「ああ、邪魔くさい」と思いながらも、寝床から起き上がり、プレーヤーまで歩いて行って、レコード針を持ち上げ、レコード盤をひっくり返す。

そして、もう一度、レコード針をB面の端っこに慎重に降ろす。

それはさながら儀式のように、リスナーに課せられた仕事だった。

ところが、CDは、儀式を必要としない。

PLAYボタンを押せば、一曲目から、最終曲まで、一気に再生してくれる。

しかも、プログラム機能を使えば、自分の好きな曲だけ、何度でも、自動的に再生できる。

さらに時代は進化し、円盤さえ必要としなくなった。

マッチ箱みたいなデジタルプレイヤーに、何千曲と録音し、手軽に持ち歩くことができる。

好きな曲を、一つだけ、ダウンロード購入することも可能だ。

音楽の売り方が『アルバム』から『回転寿司』に移り変わった瞬間である。

寿司屋で上盛りセットを購入するのではない。

目の前に流れてくる一皿だけを、好きなように取って食べる方式だ。

だが、寿司職人にしてみれば、トロ以外にも、いろいろ味わって欲しいと思うものだ。

色とりどりの上盛りセットは、いわば寿司職人の腕の見せ所でもある。

回転寿司で、好きな寿司だけ取り放題というのは、客にとっては便利かもしれないが、それで寿司の味が分かった気分になるのも、職人にしてみたら、やりきれないものである。

しかし今、回転寿司に飽きてきた人が、個性的な器に盛られた寿司セットに食指を動かし始めたのは、興味深い。

実は「寿司」というものが、「トロ単体」で存在するのではなく、「トロはあくまで寿司芸術を構成する一つの要素に過ぎない」ということに気付いたからではないか。

確かに、どの音楽も、「一つの曲」として存在するものだ。

だが、どの曲も、何の脈絡もなく生まれることはなく、そこに至るまでの道筋がある。

レッドツェッペリンも、クイーンも、ディープパープルも、のっけから「天国への階段」や「伝説のチャンピオン」を作曲したわけでなく、徐々にアルバム作りの階段を上って、あの境地に辿り着いたわけで、その道筋を理解することが、真のファン魂であり、リスナー道というものではないだろうか。

たとえサブスクリプションの時代であっても、アルバムを通して聴いていると、その道筋が、リスナーの耳にも、しっかり聞こえてくる。

内情を知るディーブなファンなら、「ああ、この頃、ベーシストの○○と、ヴォーカルの△△が揉めてたんだよなぁ」「同時期のローリングストーンズに影響されてるよなぁ」なんて、思い巡らすことができる。

リスナーは、ただ単にメロディだけを聴いているのではなく、その背景や成長の過程も味わっているのだ。

音楽にも回帰がある

浮いたり、沈んだり、昨今は業界もテクノロジーも移り変わりが激しい。

今日流行ったものが、明日にはもう売れなくなり、明後日からのことを考えなければならない。

そんな風潮に右往左往したくはないが、生き残る為には、うかうかしておれぬのが現状だ。

だが、音楽の分野に限って言えば、本物の音楽好きは、鮭が故郷に還るように原点に戻ってくるし、レコードが復活しようが、新手の配信サービスが登場しようが、「美しい曲」や「ノリのいい曲」は、いつの時代も人の心を捉えて離さない。

『天国への階段』も『Kashmir』も、YouTubeやSNSなど、様々な媒体を通して後世に受け継がれるし、CDが絶滅しても、楽曲そのものは永久に殘。

長い目で見れば、(その時に)売れなくても、最後には「いい曲」を作った人が不滅の栄光を手に入れるのではないだろうか。

※ 最近では、映画『ジョーカー』で使われた、ゲイリー・グリッター (Gary Glitter) の『Rock 'n' Roll (Part 2)』(1972)が衝撃的だった。歌い手は刑務所に服役中らしいが、作曲した当時、こんな世界的な大ヒット作の挿入歌に使われるとは夢にも思わなかっただろう。

もっとも、昨今は、その作曲活動すら「売れなきゃ維持できない」状況になっているが、いいものは表に出せば、生き残るチャンスがあるし、リスナーもそこまで情け知らずではないと信じたい。

多分、今時の若いリスナーは、回転寿司のつまみ食いばかりで、上等な器にバランスよく盛られた寿司セットの美味しさを知らないだけだと思うから。

ともあれ、若いリスナーには、アナログレコードを通じて、『A面からB面にひっくり返す儀式』を体験して欲しいし、昔のアルバムが物語性と、ミュージシャン及びプロデューサーの緻密な計算の元に作られたものだということを、しっかり感じ取ってもらいたい。

いつの日か、10円でも、20円でも、リスナーの感動を手軽に作り手に還元できるシステムが構築されることを願っている。

※ この記事の後、Spotifyが普及しました・・

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【詩想】 レコード盤とよき音楽の永劫回帰

追記 2019年12月6日

その昔、レコード盤には物語があった。
A面の一曲目は、ドヤ顔のオープニング。
華やかな曲もあれば、重厚な曲もある。

二曲目、三曲目は、しっとりと。
ちょっと意表をついた感じで、
ああ、こんな曲も作るのかと、アーティストを見直す。

A面の締めは、たいてい力作だ。
そこにアーティストの意気込みを感じることもある。

A面が終われば、レコード盤をひっくり返して、B面。
この作業が儀式のように厳かだったりする。

B面はがらりと雰囲気が変わって、バラード調。
たまに地味で、物足りないこともあるが、
作り手の苦心(疲れ)が垣間見えるのも、たいていB面の半ばだ。

最後の締めは、宇宙的。
ああ、今回は、こういう世界観でやりたかったのかと納得し、
次作を楽しみにすることもあれば、
このバンド、大丈夫か?? と不安を覚えることもある。
だって、前作と、全然雰囲気が違うんだもん(・ω・)

それでもA面の一曲目から通して、B面の最後の収録曲まで聴き終えると、
音楽アルバムといえど、ドラマなのだとつくづく思う。
絵本や小説みたいに、くどくど説明がなされているわけではないけれど、
そこには必ず作り手の美学があって、適当に並んでいる曲順は一つとしてない。

どの曲を一番に持ってくるか、
どの曲で締めるかで、
アルバムのイメージはがらりと変わる。
A面に入れるか、B面にずらすか
慎重になるのは当たり前。
このように聞いて欲しい、というアーティストの願いもある。

物語のページを繰るように、一曲、一曲、追いかければ、
一度も会ったことのないアーティストでも、
どんな哲学を持っているのか、
どんな大志を出しているのか、
何となく分かるものだ。

しかし、そんなA面&B面物語も、今はCD一枚に収まるようになり、
動画サイトや音楽配信の普及で、とうとう切り売りの時代になってしまった。
聴く方は楽しいが、
物語全体を理解してもらえないアーティストは忸怩たる思いだろう。

ある日、突然、曲だけが、ポンと生まれてくるはずもなく、
昨日から今日、今日から明日へと続く想いの中で、
一つ、また一つと、形を成していくものだからだ。

そんなドライな風潮に反抗してか、再びレコード盤が人気だという。
少しくぐもったような音質や、A面からB面にひっくり返す儀式が、
今のデジタル世代には新しいからだろう。

となると、昔、音楽配信やCD以前、
アルバムの物語性を意識しながら曲を作っていた、
60年代から80年代のレジェンドはこれから先も長く続く。

どんな世界も、いいものは滅びない。
さながら太陽が巡るように、何度でも、何度でも、この世に姿を現す。

レコード盤とよき音楽の永劫回帰。

初回公開日 2014年12月3日

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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