人間の労働の種類は三つに分かれる。
JOB = 職業、生業としての労働
WORK = 生き甲斐としての仕事
労働の価値は「量」ではなく「質」にある。
「人間は労働を通して社会的存在になる。社会的存在とは、自分一人の世界の中ではなく、人々との交流の中に生きているという事である」
とマルクスは述べた。
『無意味』と感じる労働ほど人間にとって苦痛なものはない。
地位、報酬、賞与……これらは、人間がこなした労働の量に付随するものであって、本質そのものではない。
人間に真の充足を与えるもの、それは労働の「意味」と「方向性」ではないだろうか。
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[su_quote cite="カール・マルクス"] 疎外された労働には経済的側面と心理的側面とがあり、経済的側面とは、それが搾取された労働であることであり、心理的側面とは、労働に充実感や幸福感を感ずることができないということである[/su_quote]
初稿:1999年1月
ちなみに LABOR は、『陣痛』の意味もある。 病院の LABOR ROOM は陣痛室のこと。
キリスト教における原罪により、アダム(男性)には労働の苦しみ、エバ(女性)には産みの苦しみが与えられた。
LABOR が苦役としての労働を意味するのは、そうした理由から。
日本では、仕事も労働も一緒くたに語られるところがあるが、英語圏では、LABORとJOBとWORKは厳密に区別される。
「事に仕える」のがWORKで、”作品”の意味もある。
「人が動く」=働く、目的もやり甲斐もなければ、LABORに近い。
ちなみに、JOBは、ヨブ記に通じるものがある。
真面目で信心深いヨブを試す為に、神は様々な試練を課し、ヨブが神を恨んで信仰心を捨てるか、あるいは義を貫くか、見届ける話だ。
苦難における義人ヨブの恨み言は、現代人にも通じる。
そして、それがJOBの本質――日銭を得る為にあくせく働く私たちの宿命でもある。
神の意図がどうあれ、良心を貫く労働者はいつか報われる(金銭的にではなく)。
何故なら、騙し、傷つけ、貶めた事実は、良心の痂皮となって一生のしかかり、決して人を幸福にはしないからだ。
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