愛と破滅の旋律 マーロン・ブランドの『ラストタンゴ・イン・パリ』

追悼 『ラストエンペラー』巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督が死去 77歳 (シネマトゥデイ)
素敵なタンゴをありがとう。
たまにルキノ・ヴィスコンティ監督と混同していました。
バターは今でも強烈ですが、それを差し引いても、ラスト・タンゴの場面は心に染みる美しさです。

永遠のメロディに  Requiescat in Pace  

2018年11月26日

 

『ラストタンゴ・イン・パリ』について
「君のことは何も知りたくない。どこに住み、どこから来るかも何一つ知りたくない。外の世界は忘れて、この部屋で会うんだ」妻に自殺された中年男のポールと若く美しいジャンヌは古びたアパートで突然欲情し、激しく抱き合う。互いに誰かも知らないまま逢瀬を重ね、情交に耽るが、前途あるジャンヌは中年のポールに嫌気がさし、最後のタンゴを踊った後、悲劇へとひた走る。
ベルナルド・ベルトリッチの哀愁漂う映像に、ガトー・バルビエリの官能的なサックスが印象的な人間ドラマを画像とSpotifyで紹介。
目次

中年男の孤独と若い女の残酷さ

老いとは残酷なものだ。
「年老いて賢くなる」「年をとっても美しい」など言うが、現実には、肌はたるみ、お腹は突き出し、身体の節々が痛み、物覚えは悪くなり……楽しいことなど何一つない。
知恵がついて生きやすくなった時には身体が思うように動かなくなっている。
これで先々に希望を持てという方が無理だし、自分が生きてきた結果を目の前に突きつけられるのは辛いものだ。

かといって、最初からやり直すことが叶うわけでもなく、一日一日と可能性が失われていく現実を受け止めるのみである。

ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『ラストタンゴ・イン・パリ』も中年男の孤独と若い女の残酷さを余すことなく描いた作品だ。

突然妻に自殺されたポールは、何の取り柄もない中年男で、財産もなければ、名誉もない。何が楽しくて生きているのか分からないような、しがないホテル経営者だ。一方、二十歳のジャンヌは生き生きと美しく、TVディレクターの恋人もある。
二人はたまたま下見に来たアパートの一室で鉢合わせ、衝動的に肉体を貪り合う。

その後も逢瀬を重ねるが、ポールはジャンヌに「君の名前など知りたくない。君も俺も名前を持たない。ここでは名無しだ。
」と求め、ジャンヌは「クレイジーだ」と違和感を覚える。

「君のことは何も知りたくない。
どこに住み どこから来るかも
何一つ知りたくない
外の世界はわすれて この部屋で会うんだ」

「でもなぜ?」

「理由はこうだ。
ここでは名前は必要ない
知ってることは全て忘れるんだ
知人のことや職業 どこに住んでいるかも
何もかも忘れて会う」

それはそれでジャンヌには刺激があって楽しい。
若い恋人にはない、慣れた手管もあり、「何も知らないって、素敵」と、しばらくは快楽に浸る。

しかし、次第に情事が長引くと、ジャンヌの方で不安を感じ、ポールの背広のポケットを探って何者か探ろうとする。

「どうして、私のことを何も知りたくないの?」と疑問を呈するジャンヌに、ポールは「やめてくれ。利口ぶるな。何も言うな、黙れ。辛くても我慢しろ」と傲然と言い放つ。

ところがだ。

いざ立場が逆転し、ポールがジャンヌを追う側になると、ジャンヌにとって現実は醜悪なものとなる。

気持ちの整理もつき、ようやくジャンヌへの愛に目覚めたポールは彼女に結婚を迫るが、既に若い恋人との結婚を決めたジャンヌには不快な思い出でしかない。

そして、あれほど秘密にこだわっていたポールがジャンヌに本名を尋ねた途端、ジャンヌは容赦なくピストルの引き金を引くのである。

ラストタンゴ・イン・パリ

本作は決して気持ちのいいものではないし、感動や浄化を求めて鑑賞すると肩すかしに合う。かといって猥褻だけが売りの駄作でもなく、そのトーンはどこまでも重く、哀れだ。

それだけに、いっそう最後のタンゴが心に残る。

ベルトリッチ監督は、中年男と若い娘のうたかたのようなダンスシーンを撮りたくて、この物語を作ったのではないかと思うほどだ。

誰もがそれぞれの人生に夢を見、そして、裏切られてゆく。

それはどこまでも滑稽で、哀れだけれど、どうせ誰の人生も一場のダンスみたいなものだろう。

そんな哀しい調べの映画。

2018年11月26日 ベルトリッチ監督の訃報に寄せて

【2010年のレビュー】 あらゆる人生は一場の幻想

妻に自殺された男

1972年に公開され、過激な性描写から世界中でセンセーションを巻き起こした、ベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』と言えば、一般に「男と女の肉体愛を描いた作品」で知られるが、この映画の本質は、マーロン・ブランド演じる中年男の老いと悲哀、救いようのない孤独であり、”過激な性描写”はあくまで破戒のシンボルに過ぎない。

同年公開された映画『ゴッドファーザー』では、愛と威厳に満ちたファミリーのドン、ヴィトー・コルレオーネをこれ以上ないくらい立派に演じたマーロンが、本作では、気持ち悪いほど暗く、しつこく、厭世観に取り憑かれた中年男になりきっている。

妻に理由なく自殺され、幼少の頃から人並みな幸せなど何一つ味わったことがなく、行きずりで出会った女と肉欲のままに交わる「ポール」を演じたマーロン・ブランドが、その演技を絶賛され、ニューヨーク批評家協会賞を受賞したのも頷ける話だ。

とりわけ、死に化粧をほどこした妻の亡骸の側で、恨みとも嘆きともつかない独白をする場面は、映画史上に残る名演と言ってもいいのではないだろうか。

長年、何の問題もなく過ごし、自分でも「なかなか上手くやっている方」と思っていたのが、実は妻の心も行動も何一つ理解せず、挙げ句に、自殺されてしまう。

何が悪かったのか問いかけても、誰も答えず、自分でも分からない。

そして、分からぬままに、自分も年老いていく。

これほどの裏切り、そして絶望がまたとあるだろうか。

自分では何もかも分かっているつもりが、一番身近な人間とさえ解り合えず、不幸に追いやってしまったのだから。

こんな現実に直面したら、自分は一体、何の為に今まで生きてきたのかと思うだろう。

心にぽかんと穴が空いた時、たまたま目の前に現れた女と、退廃的、かつ自堕落な情事に溺れるから、映画全体が説得力を持つのである。

『名前』という現実 : 素性を知らないから愛し合える

パリの一角にある、薄汚れたアパートの一室で、偶然居合わせた「男」と「女」。

初めは普通に接していたが、突如、かかってきた一本の間違い電話が、その場の均衡を打ち崩す。

二人はまるで磁石が引かれ合うように抱き合い、立ったまま激しく交わるが、事が済むと、二人は互いの素性を聞くこともなく別れ、男は自殺した妻の実母が待つ我が家へ、女は心優しい恋人の元へ帰って行く。

だが、情事の余韻に誘われるように、二人は再びアパートを訪れ、それから名も知らず、素性も分からない、奇妙な逢瀬が始まる。

若い女は違和感を覚え、自己紹介しようとするが、男は「名前は言うな、聞きたくない。ここでは外のことは一切忘れて、ただの男と女として交わるんだ」と拒み、つらい現実から逃れるように若い女との情事に耽る。

*

造花の付いた黒い帽子、白いロングファーのコート、ミニのワンピースという着こなしも素敵。

ラストタンゴ・イン・パリ

情事が終わって、憑き物が落ちたようにすっきりとアパートから出てくる男。

ラストタンゴ・イン・パリ

大変な事をしてしまったと恐れおののく女。この対比が素晴らしい。

ラストタンゴ・イン・パリ

若い女には未来があるが、中年男には死と絶望しかない

名も知らない相手とのスリリングな情事に、若い女も最初は心を躍らせるが、どれほど身体を重ねても、「何ものにもなれない」ことに不満をつのらせ、中年男は現実生活との狭間で絶望に苦しむようになる。

そんな時、恋人からのプロポーズ。

一度は、仮縫いの花嫁衣装を着けたまま、「やっぱり別れられない」と男に取りすがるが、現実に返り、最初は魅力的に見えた中年男が、ただのルーザーであることに気付くと、若い女は「もう終わりにしましょう」と冷たく突き放す。

だが、こうなってはじめて真実の愛に気付いた中年男は、必死に彼女の後を追いかけ、真心を打ち明けるが、彼女のとった行動は思いがけないものだった──。

この作品の最大の見所は、絶望と孤独に打ちひしがれ、「この世に生きていても、いいことなど何一つない」と捨て鉢だった男が、最後の最後に、やっと真実の愛に目覚め、人生に希望をもった瞬間、若い女の手で残酷に絶たれてしまう点である。

「もうイヤよ、終わったのよ」と冷たく突き放す彼女に、恐らく、今まで誰にも感じたことがない、まして本気で口にしたこともない、聖なる言葉『I Love You』を告げるポールの顔は、まるで天の光に浄化されたように真摯で清らかだ。

普通のラブストーリーなら、感動のうちに抱き合い、永遠の幸福にいたる場面だが、ベルトリッチは容赦なく人生の現実を突きつける。

幼少時から家族愛に飢え、家畜の糞にまみれるような貧しい生い立ちの中年男と異なり、女の方は、立派なお屋敷で、将校の父親と貴婦人の母親に大事に育てられ、将来有望な優しいフィアンセもある。

若い女にとって、妻に自殺された中年男――それも性的に枯れる一方の、しょぼい男が夢に描く田舎暮らしなど、何の魅力も感じない。

かといって、大人の女のように、上手くいいくるめて疎遠にするほどの世知もなく、子供みたいに「イヤよ」と言って逃げ回るだけだ。

ほんの一瞬でも真実の愛に目覚め、人生に美しい夢を見た男だが、小娘の放った一撃を浴び、ようやく人生の真実を悟る。

愛が報われることもなければ、夢が叶うこともなく、多くの人間は、みじめに老いて、死んでいくだけだと。

一方、女は自分の若さと将来を思い、最後まで言い逃れる。

「しつこく私を追い回して、レイプしようとした。名前も知らない男よ」

周りも納得し、汚れなき花嫁としてバージンロードを歩く。

ハンサムな夫と幸せな結婚生活を送る為に。

昨日までの出来事は、悪い夢。

中年男が苦しもうが、命を落とそうが、自分の未来に引き換えれば、何でもないことだと。

そんな風にすっぱり割り切ってしまえるのが、若さの残酷さであり、女の潔さでもある。

中年男が、年甲斐もなく、若い女に懸想すれば、後には破滅しか残らないのは、こういう理由である。

30歳 ベルトリッチ監督の力量と『ラストタンゴ』の意味するところ

そして、もっとも恐るべきは、このシビアなテーマを、若干30歳のベルトリッチ監督が見事に描ききったことだ。

神の救いさえも突き放すようなベルトリッチ監督の鋭い眼差しは、キリスト教において固く禁じられている、ある種の「性行為」を通じて、人間の生々しい一面を否応なしに観客に突きつける。

そう、かの有名な『バター』だ。(後述を参照)

まだまだ戒律と良識が重んじられた70年代に、よくもこんな下品で、破廉恥で、宗教的感情を逆撫でするような演出を取り入れたものだ。

今、こんな作品を制作したら、世界中のフェミニストを中心に、袋叩きにあうだろう。(そもそもスポンサーも付かない)

それくらい品性下劣で、かつ野心的な場面だ。

だからこそ、肉欲の果てに、神の助けも借りずに、真実の愛に目覚めたポールの告白がいっそう神々しく胸に響く。

破滅を前に、若い娘と無邪気にタンゴを踊る姿と同様に。

ラストタンゴの詩情 : 人生最後の儚き舞い

『ラスト・タンゴ・イン・パリ』。

紳士淑女がグラスを傾ける高級バーの片隅で、お互いに名も知らぬ中年男と若い女は最後の杯を飲み交わし、酔いにまかせてダンス・コンテストの会場に紛れ込む。

そして、下品きわまりないタンゴを披露し、審査員に叱責されながらも、まるで悪びれることなく、上品ぶったおばさんにお尻の穴を見せて去って行く。

哀愁に満ちたタンゴをバックに、無邪気に絡み合う二人の姿は、幸せそうな恋人同士にしか見えない。

そして、若い恋人ともう一度、新しい人生を生き直したいというポールの願いは、あまりに無残な方法で打ち砕かれてしまう。

それでも「愛」は愚かだろうか。

人生に何を夢見ようと、まるで意味がないのだろうか。

否──。

この世のことも、人が生きることも、それほど単純ではないことをベルトリッチは教えてくれる。

ポールが人生の最後に辿り着いた『I Love You』の想いと、すべてを納得したような静かな死に顔。

一見、聖母マリア像を後ろから陵辱するような作品に見えて、実は、人間の内なる『神』を描いているように思えてならないのである。

記:2010年4月24日

人生の最後、若い女と無邪気に戯れる中年男。

ラストタンゴ・イン・パリ

二人のラストダンス。

一瞬、ジャンヌの見せる笑顔が天使のように愛らしいだけに、その後の悲劇が胸に刺さる。

タンゴの旋律がどこまでも哀しい。

ラストタンゴ・イン・パリ

※ この場面はとにかく、音楽が美しいのです。

ガトー・バルビエリと『ラストタンゴ・イン・パリのテーマ』

私が『ラストタンゴ・イン・パリ』というタイトルを初めて知ったのは、技巧派で知られるサックス奏者、リッチー・コールのアレンジ曲がきっかけだ。

流れるようなピアノ伴奏に合わせて、人間ばなれしたアルト・サックスが炸裂する。

「ラストタンゴ・イン・パリ」というお洒落なタイトルとは裏腹に、パリの町を全力疾走するような迫力に魅せられ、来る日も来る日もカセットテープの録音に聞き入ったものだ。

やがて、それが1970年代、「芸術か、猥褻か」で大問題となったベルナルド・ベルトリッチ監督の映画のテーマ曲と知り、大いに興味をもった次第。

それから、さらに時を経て、本当の作曲者はガトー・バルビエリと知った。

ラテン・ジャズの名手で、カルトな人気を誇るテナー・サックス奏者だ。

ラストタンゴ・イン・パリのテーマ曲は、アルゼンチン・タンゴで有名なアストル・ピアソラに依頼する手はずだった……というエピソードを目にした記憶もあるが、この作品の主題曲について、これ以外のものは考えられない。

ガトーはこのサウンドトラックでグラミー賞を受賞したというが、納得の出来映え。行き場のない哀しみを滲ませるように哭く、哭く、哭く。

こちらがダンスホールの場面で流れていたファイナル・ヴァージョンのタンゴ。

こちらは紳士淑女が踊っていた、正統派タンゴの楽曲。ガトー様のサックスが哭いてる、哭いてる。この曲も切なく美しい。

ガトー・バルビエリに関するレビューはこちら
https://novella.works/gato-barbieri

おまけ。
プラハ交響楽団によるオーケストラ・ヴァージョンもドラマティックで美しい。

こちらはガトー・バルビエリのテーマに合わせた本格的なタンゴ。

ラストタンゴ・イン・パリと『バター』

ところで、なぜ『バター』かと言うと、生娘に乱暴する為に、あのマーロン・ブランドが !

偉大なるゴッドファーザーさまが !!

挿入するのに『バター』を使ったから。

しかも前はでなくて、”後ろ”です。

……ショックでした。

しばらく冷蔵庫のバターを見るのが哀しかったほど。

バターが見たい人はYou Tubeでどうぞ。

last tango in paris butter で検索すれば、いろいろ出てきます。

*

撮影時、女優のマリア・シュタイナーはわずか19歳。

Youtubeにアップされた情報によると、最初、この場面はオリジナルの脚本にはなく、マーロン・ブランドのアイデアで取り入れられたらしい。

後に、マリアは自分のエージェントか弁護士を呼ぶべきだったと述懐。

この場面で、彼女は本物の涙を流したと言う。

またWikiによれば、マーロン・ブランドは、前妻に『こんな恥さらしなセックス映画に出た人に父親の資格がない』と言われ、全面的に親権を奪われてしまったとか。「役者として拷問のような体験だった」と語っていたそうな。

当たり前だわな。

ちなみに、ミッキー・ロークはこの作品に触発されて「映画『ナインハーフ』 恋と性の9週間半」を制作したという。

それでも、バターに比べれば、エロチックな氷の前戯や駅弁○○○○など、稚技に等しい。

ラストタンゴといえば、バター。

バターといえば、ラストタンゴ。

パンにはやっぱり、ネオソフト。

衝撃の『バター』です。

ワンワン

マリーナ・ショウの歌う『ラストタンゴ・イン・パリ』

ガトー・バルビエリの主題曲は、古今東西のアーティストにアレンジされ、今に語り継がれています。

こちらはマリーナ・ショウが歌う『ラストタンゴ・イン・パリ』。

歌詞もとてもロマンチックで、求め合う二人の心情をよく表しています。

「Making love not by choice, but by chance = 選んだのではなく、偶然によって愛し合う」という歌詞が象徴的ですね。

We are two illusions who touch in a trance
Making love not by choice, but by chance

We don't exist
We are nothing but shadow and mist
In the mirror we look as we pass
Our reflections revealed in the glass

Don't you know that the blood in your veins
Is as lifeless as yesterday's rain
It's a game where we come and conceal
The confusion we feel
As long as we're nameless
Our bodies are blameless

You cried when we kissed
It was nothing but shadow and mist
Two illusion who touch in a trance
Making love not by choice, but by chance
To a theme we tore from their past
To a tango we swore was their last
We are shadows of dance

As long as we're nameless
Our bodies are blameless

You cried when we kissed
It was nothing but shadow and mist
Two illusions who touch in a trance
Making love not by choice, but by chance
To a theme that we tore from their past
To a tango we swore was their last
We are shadows of dance

The last tango...
The last tango...

私たちは 恍惚に溺れる 二つの幻想
選択ではなく 偶然によって 愛を確かめ合う

私たちは存在しない
この世の何ものでもなく ただの影と霧にすぎない
鏡の中に 私たちが通り過ぎたように見つめる・・・?? (この部分がわからん・・)
私たちの姿が ガラスの中に現れる

あなたの血管の中を流れる血潮は 
昨日の雨のように 
死に絶えたものだということが分からないの?

これは私たちの秘かなゲーム
二人が感じる混沌たる世界

二人が名乗らない限り
私たちの交わりは 誰にも咎められることはない

二人が口付けた時 あなたは涙を流した
それはただの影と霧に過ぎなかったのに

恍惚たる二つの幻想は
選択ではなく 偶然によって 愛を確かめ合う

過去に涙する旋律に寄せて
これが最後と誓ったタンゴに寄せて
私たちは踊る影となる

ラストタンゴ
ラストタンゴ・・

DVD&CDの紹介

欲しい欲しいと思いながらなかなか手が出せなかったDVDとCD。やっと購入しました。

フォトカードの付いたDVD。

ラストタンゴ・イン・パリ

紙仕様のCDジャケットもお洒落です。

ラストタンゴ・イン・パリ

どちらも私の家宝です♪

ラストタンゴ・イン・パリ オリジナル無修正版 [Blu-ray]
出演者  マーロン・ブランド (出演), マリア・シュナイダー (出演), ジャン=ピエール・レオ (出演), ベルナルド・ベルトルッチ (監督)
監督  
定価  ¥7,980
中古 18点 & 新品  ¥1,580 から

英語・仏語、2カ国語による無修正版。日本語・英語字幕あり。
映像は1970年代のものだが、色あせた感じがかえって作品にマッチしている。
ヒロインの、ロングコートにミニのワンピース、黒い帽子とロングブーツのファッションもお洒落。
これはストーリーを追うより、人間の淋しい内面をとことん感じ取る映画だと思う。
「過激な性描写」の過激さは、エッチ度ではなく、「キリスト教的な」と解釈すべし。
マーロン・ブランドいわく「映画の世界から抜けられなくて、精神的におかしくなった」というほど、取り憑かれたような演技は、それだけで見物である。
一言では語り尽くせない、様々なテーマを感じさせる芸術作品である。

ラストタンゴ・イン・パリ by コロムビアミュージックエンタテインメント
 定価  ¥831
 中古 5点 & 新品   から

全編を貫く官能的で、哀愁に満ちたサウンドは、ラテン・ジャズの巨匠ガトー・バルビエリによるもの。
とりわけ二人が踊るラスト・タンゴのメロディは、これ以上ないほど甘く、切なく、愛の悲劇をいっそう際だたせる。
廃盤間近。信じられない。幻の名盤にならないように。

視聴はこちらでどうぞ。

初稿:2010年9月14日
加筆修正:2020年6月11日

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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