21世紀の正義と教育 ヒーローとは何か 映画『ローガン』

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【映画コラム】 物語は終わらなければならない

長年連載したヒーローものをどう終わらせるかは、案外難しい問題と思う。

梶原一騎の『愛と誠』みたいに、「終わったものは、終わったの! 続編もスピンアウトもあるかい!!」みたいに、本編の『完』で永遠に終わる作品もあれば、だらだらだらだら無意味な展開を繰り返し、とってつけたようなエピソードで収入を繋ぐ作品もあり(トランスフォーマーとか、シュレックとか)、私がオリジナル原理主義に拘るのも、ただただ、この一点に尽きる。

すべての物語は終わらなければならない

過去の連載がどれほど優れたものであろうと、きちんと展開にけりを付けて、物語を収拾しなければ意味が無い。

美内すずえの『ガラスの仮面』でも、さんざん失望させられた私としては、特にそう思う。

2000年にスタートした『XーMEN』もその一つ。

一作、二作までは熱心に見ていたが、三作あたりからダレてきて、その後はほとんど見ていない。どうしても話がとって付けたような展開になりがちだし、本来、無敵のはずのスーパーヒーローが現実には年をとり、ビジュアル的にも変化する理由も大きいからだ。『ゴッドファーザー』のような人間ドラマならともかく、ヒーローもので年齢を感じさせるのは、見る側も演じる側も辛い。

17年間続いたヒュー・ジャックマンのXーMENも、どんな形で収拾させるのか、私には想像もつかなかったが、2017年公開の『ローガン』を見て納得。

ダース・ベイダーが甘顔のぼっちゃんと化したスターウォーズ新三部作(厳密にはエピソード1~3というのだが、私はわざと新三部作と呼ぶ)に比べれば、はるかに渋くて、メッセージ性に富んだものだった。 参考記事 → 助けてやれよ、オビ・ワン!! ジェダイの壮絶なイジメとアナキン

この時期、このシナリオを出してきた制作者も、オファーを受けたヒュー・ジャックマン(ウルヴァリン)&プロフェッサーX(パトリック・スチュワート)も大したものだ。

単にシリーズを完結させただけでなく、これまでの勧善懲悪のヒーローもの――おそらく世界中の子供たちに過った正義感や、暴力に対する想像力の欠如などをもたらしたであろうコミックに対して、出演者自らが異議を唱え、子供たちに21世紀の正義について示唆する、秀でた内容だったと思う。(ここでいうシリーズとは、ヒュー・ジャックマンを主演とするウルヴァリン編)

21世紀の正義と教育 : 映画『ローガン』が次世代に伝えたいこと

物語は、タクシー運転手で食いつなぐウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)が町のチンピラと諍う場面から始まる。

だが、どうも様子がおかしい。

えらく苦しそうだし、動きにキレがない。

それが50代間際となったヒュー・ジャックマンの容姿と重なり、余計で痛々しい。

プロフェッサー・Xも同様だ。

『ミュータントだから不具』ではなく、本当に足腰が弱って車椅子に乗っている。

しかも一人でトイレにも行けない要介護者だ。

以前の無敵の姿を知っているファンには相当にショックな描写だ。

これのどこがヒーローなんだ、と。

*

その意図は物語の半ばで明かされる。

成り行きで、ウルヴァリンと同じ鉄の爪を持つミュータントの少女ローラを、ノースダゴタ州にあるミュータントの楽園『エデン』に連れて行くことになったローガンとプロフェッサーX。
途中、立ち寄ったホテルで、ローガンは少女の持ち物からXーMENのコミックを見つけ、激高する。

これを読んでたのか?(XーMENのコミック)
そうだよ、XーMENのファンだ。
デタラメだって知ってるよな?
四分の一ぐらいはあったことだが、実際とは違う。現実の世界じゃ人が死ぬ。
ヒーロー気取りの馬鹿野郎が、レオタードで止められるか。
こんなの弱虫の慰めだ。

この台詞、コミックにけちをつけているように見えるが、その前のショットで、少女はプロフェッサーXと一緒に『シェーン』の決闘シーンを見ている。
西部劇史上に残る早撃ちの名場面で、当時は『暴力的』と評された。
ローガンは、そうしたTVの決闘シーン、恐らくは戦争やテロの報道も含めて、少女に「TVやコミックは、現実の四分の一ほどしか伝えない。実際はもっと凄惨だ」という現実を言い聞かせているのである。

少女に暴力の現実を諭すローガン

この場面だけを取り上げても、なぜウルヴァリン・シリーズの最終話を、「病人と要介護者」みたいな設定したのか、頷ける。

子供たちよ、これが現実だ。

この世にはスーパーマンもなければ、バットマンもない。

現実にヒーローが戦えば、そこには死者が生じるし(たとえ相手が悪人であっても)、人を殺すことは決して美談ではないのだと。

*

そんな彼らを執拗に追う悪徳企業『リーヴァーズ』のドナルド・ピアースと武装部隊。

たまたま、もてなしてくれたマンソン一家を殺害し、『エデン』に逃れてきたミュータントの子供たちにも容赦なく銃口を向ける。

今や子供たちの父親代わりとなったローガンは、最後の力を振り絞って必死に戦うが、その力も万能ではない。

ようやく死闘が決着し、生き残った子供たちは希望を胸に国境を目指すが、旅を共にしたローラだけはしばしその場に止まり、弔意を示す。

その際、ローラが口にする言葉は、ホテルでプロフェッサーXと鑑賞した西部劇の傑作『シェーン』の有名な台詞だ。

人の生き方は決まっている。変えることはできない。
一度人を殺した者は、もう元には戻れない。
正しくても人殺しの烙印を押される。
早くママの所に帰って伝えろ。「もう大丈夫だ」って。
もう谷から銃は消えた。

この台詞に、21世紀の新しい正義を感じる。

これまでは、バットマンVSジョーカーのように、単純な善悪の構図だった。

どちらかがバットマン、あいつがジョーカーと定義されたなら、一方的にやっつけ、殺して勝った方が正義だった。

だが、現実はそんな単純ではない。

『あの国はジョーカーだ、だからやっつけろ』などという、イチかゼロかの裁きは、双方に多数の犠牲を生むだけで、何の解決にもならない。

本物の戦争は、コミックとは違う。

血が流れ、手足が吹き飛び、凄惨な地獄絵図と化す。

本当にそれが正しい解決策か。

どちらがバットマンで、どちらがジョーカーということを、一体、誰が決めるのか。

そして、その判断は常に正しいのか。

いつまでも昔のヒーロー漫画のような発想では、誰をも幸せにしないし、世界も真に発展することはないと、この作品は主張する。

そして、真の英雄というのは、一人の優れた超人が悪人どもをバッタバッタとなぎ倒し、マントをひるがえして去って行くようなものではない。

作中で描かれるように、身体の不自由な年寄りに手を差し伸べたり、家族そろって食卓を囲んだり、年下の女の子に音楽プレイヤーを貸してあげたり、日常のささやかな親切や思いやりこそが真の英雄的行為であり、それがマスとなって世界を救うのだと教えてくれる。

振り返れば、テロ、内戦、大量生産、技術開発、etc。

問題の解決にみえて、実際には、より多くの不幸を生み出したに過ぎない出来事が数ある。

そして、その時々、私たちはそれを正義と思い込み、またそのように宣伝され、政府や企業の思惑に手を貸してきたが、本当にそれでいいのか。

今ここで踏みとどまって考えるべきではないか。

ウルヴァリン・シリーズの最終話は、それまでのヒーロー物語を否定することで決着する。

言い換えれば、21世紀に生きる子供たちは、それほど複雑、かつ不透明な未来を生きてゆかねばならないわけで、そういう状況を作りだした20世紀の大人たちはどう始末をつけるのか、過去のヒーロー物を牽引してきたローガンとプロフェッサーXに、生々しい現実を演じさせることで一つの回答を示したように思う。

西部劇のヒーロー、シェーンが去ったように、ヒュー・ジャックマンのウルヴァリン・シリーズも、ようやくその役目を終えた。

あまたのヒーロー映画のように、悪役と最後の死闘を繰り広げるのではなく、年寄りの介護をしながら生々しく死んでいくエンディングが、いかにも21世紀のヒーローという印象である。

スクショで解説 映画の見どころ

ローガンが足腰の弱ったプロフェッサーを介護する姿をじっと見つめる少女ローラ。
世に様々な教育があるが、これほど説得力のある教えがまたとあるだろうか。
きっと少女は生涯忘れない。大人になってからも確かな行動の指針となるだろう。

足腰の弱ったプロフェッサー

ホテルの一室で一緒に『シェーン』を鑑賞するプロフェッサーXとローラ。これは何と首をかしげるローラに、「初めて見たのは故郷の劇場だった。君ぐらいの年齢の時だ」と説明するプロフェッサーX。まさにおじいちゃんと孫娘の情景。

その後、「X-MENのコミックなんか読んで!」と激高するウルヴァリン(=父親役)に、「そう興奮するな。ローラだって、人が死ぬことぐらい理解しているさ」と弁護するのが、またまたおじいちゃんぽくてよい。

ローラとシェーンを鑑賞するプロフェッサーX

マンソン一家の団らんの後、プロフェッサーの最後の言葉。

今夜は間違いなく、長いこと味わってなかった最高の夜だった。私にはふさわしくない。そうだな。
とんでもない事をした。言葉にできないことだ。
ウェストチェスターで起こったことを思い出した。
今回初めて人を傷つけたんじゃない。
今日の今日まで知らずにいた。黙っていたが……。
だから、ずっと私たちは逃げ続けていた。
やっと君の気持ちが分かったよ。

ウェストチェスター事件について語って聞かせる

ウェストチェスターの事件については、【もう一度『LOGAN/ローガン』を観るために①】本編からカットされた「ウェストチェスターでの事件」その詳細を監督&脚本家が語る で詳しく説明されているように、この事件に限らず、ウルヴァリンも、プロフェッサーXも、その仲間たちも、マグニートーや、その他の勢力との戦いのために、たくさん傷つけ合ってきた。

結局のところ、何が正義で、誰が間違いであれ、死んだ者は二度と帰ってこない。

たとえ自分の側が正義と証が立っても、人を殺めた事実は生涯残るし、許されることもない。

それほどに虚しく、苦しい。

「君の気持ちが分かったよ」というのは、スーパーソルジャー製造計画「ウェポンX」において、世界最強の金属アダマンチウム合金を体内に注入され、鋭い爪を持つ人間兵器に仕立て上げられたウルヴァリンの苦悩だろう。

それゆえに無敵のヒーローとなったが、同時に、人を傷つける凶器ともなった。

ミュータントの守護者たるプロフェッサーXにも、その苦悩を完全に救済することはできなかった。

そうした悔恨も含めて、この台詞かと。

こちらがシェーンの決闘と別れのシーン。日本語字幕付きでUPされているので、興味のある方はぜひ。

ディスクはこちら。

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出演者  ヒュー・ジャックマン (出演), パトリック・スチュワート (出演), リチャード・E・グラント (出演), ボイド・ホルブルック (出演), スティーヴン・マーチャント (出演), ダフネ・キーン (出演), ジェームズ・マンゴールド (監督)
監督  
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こちらは、ヒュー・ジャックマン以前にウルヴァリン役に内定していた、アクション俳優ダグレイ・スコットにまつわるエピソードです。
ダグレイは、その時、トム・クルーズ主演『ミッション・インポッシブル 2』の契約に縛られ、第一作のXーMENに出演することが叶いませんでした。
予定通り、ダグレイが出演していたら、ヒュー・ジャックマンのキャリアも、XーMENシリーズも、まったく違ったものになっていただろう……という。

ヒュー・ジャックマンの歌唱パフォーマンスが楽しめる、新感覚のミュージカルです。

初稿 2017年11月9日

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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