人と思想『マルクス』 小牧治・著
最近、Amazonなどで、いろんな読書レビューを目にするが、つくづく思うのは、その文章が書かれた時代背景や書いた人のバックグラウンドを全く理解せず、「この本は○○である!」と決めつける人が後を絶たない事だ。今はGoogleもあるのだから、AmazonやWikiを検索すれば、少なくとも初版年月日や著者のプロフィールは分かる。もう少しDigすれば、その人が影響を受けた思想や作品、師事した人物の事も分かるし、その年代に起きたことを大まかに知ることもできる。その書物に込められた思想も大事だが、それが生み出された背景を理解するのも同じくらい重要だ。そこを欠いて、言葉尻だけ捉えても、本当の読書にはならないし、誤情報を鵜呑みにして、無条件に毛嫌いするなら、大きな機会損失でもある。
初版年月日や著者プロフィールを確認するのは大した手間ではないので、本文を読む前に、軽くチェックしてみよう。そうすれば、何気ない一言がいっそう重みをもって響いてくると思う。
これから紹介する『人と思想 マルクス』は、小牧治という文学博士によって書かれた伝記だ。
著書のプロフィールいわく、
主著=『人間形成の倫理学的基礎』『社会と倫理』『国家の近代化と哲学』『人と思想 カント』『人と思想 ルター』ほか。
初版年月は1966年。
東京オリンピックにビートルズ来日、「戦後は終わった」を合い言葉に、これから日本も欧米先進国の仲間入りを果たすぞと、一億総サラリーマンで息巻いていた時代である。
この三年後、全学共闘会議および新左翼の学生によって、東京大学の安田講堂占拠事件が起きることを考えれば、どういう社会の雰囲気か、だいたい想像がつくだろう。さらに、その三年後、連合赤軍による浅間山荘事件が起きる。
そういう時代の書物なので、本文も思い入れたっぷり(ロマンチック)、思想ではなく、マルクスの生き様や『共産主義宣言』や『資本論』が著されるに至る背景を丁寧に追った作りで、入門編としては最適だ。
それも決して共産主義万歳!な内容ではなく、マルクスの心髄である労働哲学に徹している。
私が一番共感したのは、冒頭のこの箇所。
かれの究極の念願、かれの究極の目的は、この人間――資本主義でゆがめられ、非人間化され、人間らしさを失ってしまっている人間――を解放して、ほんとうの人間らしい人間にすることであった。(20P)
つまり、方策がどうあれ、現状に対する疑問と労働者の救済が最大の動機である、という点である。
もし、マルクスが産業革命時のロンドンを訪れ、街角にうずくまる乞食や子供を目にして、「時代に乗り遅れた可哀想な奴」「自己責任」で終わっていたら、思想としての共産主義が確立することはなかったし、20世紀初頭、労働者が自らの権利意識に目ざめ、労働環境の改善に向けて動くこともなかっただろう。そこから先の政治的展開がどうあれ、社会に対する疑問を突き詰め、一つの解答を導きだすことは、誰にでもできそうで、簡単にできることではない。今でも発言大好きなプチ社会論者は大勢存在するが、その中の誰が徹底して考え抜く道を選ぶだろう。せいぜい、身内でいいねと頷きあって終わるだけではないだろうか。
どんな思想も、基礎となるのは、動機であり、方向性である。
その点、マルクスは類い希な頭脳と馬力と使命感をもった人ではないだろうか。
マルクスの思想の背景
小牧氏の解説によると、マルクスの思想が生まれる時代背景は、おおよそ次の通り。
この箇所は長いので、一部アレンジしています。
マルクスが生まれた1818年といえば、ヨーロッパを震がいさせたナポレオンが没落してから三年あとである(フランス革命=1789年)。フランス革命が種をまいた自由民権の思想は、ヨーロッパ各国はもちろんのこと、さらに遠くアメリカ、とくに南アメリカにもおよんでいた。君主の圧迫をうけて苦しんでいた国民は、あちこちで独立運動を起こすにいたった。
しかし、ウィーン会議(オーストリア首相メッテルニヒの主催)にあつまった列国は、革命思想の恐ろしいことを、身にしみて感じていた。同時にまた、列国が同盟するときは、あれほど強いナポレオンをも滅ぼす力になりうることを悟った。そこで、会議にきた代表者たちは、フランス革命的な思想や運動を鎮圧して、もとの保守専制にかえそうとの考えをもっていた。
……この後、メッテルニヒは外国にまで干渉して、ドイツ、イタリア、スペインなどに起こった革命運動を、武力で鎮圧した。メッテルニヒの反革命保守主義は、一時、ヨーロッパを風靡するにいたった。だが、メッテルニヒは、アメリカ諸国の独立をおさえようとしてモンロー主義(欧米間で互いに干渉しないことを主張する外交の原理)につきあたり、ギリシア独立運動にさいして、同盟諸国に裏切られてしまった。
自由民権と保守専制の衝突は、ふたたびフランスにおいて爆発し、ブルボン王朝を倒すにいたった(1830年7月革命)
勝利に帰したこの革命の波は、ただちにベルギー・ドイツ・イタリア・ポーランドなどへおよんでいった。
ことに、産業革命や資本主義の展開、それに呼応する深刻な労働問題や労賃の対立のなかにあったイギリスでは、いろいろな運動がはげしくなっていった。 <中略> 労働問題が深刻化する反面、労働者階級が台頭し、おいおいと強力となってきた。そうした情勢の反映として、資本主義を批判し、平等な社会を実現しようとする、社会主義があらわれてきた。
イギリスのロバート=オーウェン、フランスのサン=シモン、フーリエなどの「空想的社会主義」とよばれるものは、その代表である。
そうした情勢のなかで、遅れて資本主義が発展し、ようやく労働運動が深刻化してきたフランスでも、社会主義者や急進的小市民に指導された革命が勃発するにいたった。1848年2月の『2月革命』がこれである。
マルクスは、こういう波多き時代のなかで生をうけたのである。
こうして見ると、マルクスをはじめとする共産主義思想が生まれるべくして生まれたことが分かるだろう。
決して突然変異的に芽生えた思想ではなく、既にその土壌があって、様々な意見や価値観を吸収しながら大木に育ったのだ。
次いで、この一文。時代や生い立ちの背景を理解することがいかに重要か、簡潔に語っている。
わたしは舞台をえがくという名のもとに、ヨーロッパのこととか、フランスのこととか、ドイツのことを、あれこれしゃべりつづけた。わたしの問題は、マルクスの生涯や思想を話すことであったのに。だから読者のかたは、もううんざりして、しゃくにさわられたことと思う。辛抱づよくて好意のあるひとでも、一刻も早くマルクスの登場をお待ちになったことと思う。申し訳ない。だが、長すぎたと思われる舞台描写にも、大事なわけがあったのである。
じつは、「人とその思想」を語るばあい、しっかりと舞台を描写し、そのうえでその人に登場をねがうというのは、ほかならぬマルクス自身の念願であり、やりかたであり、理論であったのである。<中略>
人・思想と歴史・社会(とき・ところ)との関係は、役者と舞台との関連のようにかんたんで単純なものではない。人・思想と歴史・社会との相互の関連は、瞬時もとどまることなく生成し、変遷し、運動し、流れていく。それはたえず変遷し運動していく、人間と自然との関係であり、また人間相互の関係である。人はある手奥体のとき・ところのなかに生まれ、そこで育てられ教育されて大きくなり、そこで社会や歴史をつくりかえていく。
<中略>
マルクスは、だから「人とその思想」をみるばあい、こういう関連のなかでみなくてはならないというのである。マルクスはいう。よく観念論者といわれる人がするごとく、ある人を神さまにしたり、ある思想を永遠絶対の真理として固定してはいけない。舞台から切り離された思想が思想だけで存在しているように考えたり、舞台から引きはなされた思想をつらねて思想史を書いてみたりしてはいけない。思想が世界をつくるかのごとく空想してはいけない、と。
<中略>
わたしは、これからも、こういう関連のなかで、マルクスの人と思想をあきらかにしていきたいと思う。そうでないと、ほんとうのマルクスにはならないし、墓場のなかのマルクス君は、「これは、おれとはちがう」とおこるであろう。
「辛抱づよくて好意のあるひとでも、一刻も早くマルクスの登場をお待ちになったことと思う。申し訳ない」の一言に小牧氏の人柄が窺える。
'`,、'`,、ヾ(´∀`*)ノ '`,、'`
墓場のなかのマルクス君は、「これは、おれとはちがう」とおこるであろう・・味わいありすぎて、泣ける。
ともあれ、時代が作らぬ『人』はないし、人が作らぬ時代はない。
平安時代の庶民と、現代の庶民では、生き方も価値観も大きく異なるように、人間は環境に影響され、また人間の方から環境を変えていく。
歴史はこうした相互作用の連なりであり、マルクスひとりが時代の真ん中にポツンと存在するわけではない。
浅田真央ちゃんの前に伊藤みどりさんが居たように、機動戦士ガンダムの後に超時空要塞マクロスが作られたように、人も作品も政治も、全てのものは巨大な連なりの中にある。前後左右に影響を与え、時に否定されながら、流動的に形作る。
金言も、文句も、確かに「一言」に違いないが、そこに至るまでの道筋はそれぞれに違うということ。
人と思想『マルクス』 小牧治
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