若い人が映画『マトリックス』を観るべき理由 すでにあなたもネットの囚人

『マトリックス 4』の制作発表に寄せて

キアヌ・リーブス主演の映画『マトリックス』は、私の中でいまだに『新作』で、ネオやモフィアスに出会ったのも昨日ようことのように感じるのですが、初回公開より、もう20年近く経ってるんですね。

ということは、今の20代から30代は、初代マトリックスが封切られた時の興奮も、もしかしたら内容さえも、まったく知らないのではないかと思うと、可哀想というか、残念というか、もうちょっと早く生まれてくればよかったのにね、とつくづく思います。『エイリアン』や『スターウォーズ』然り。

映画なんて、U-Nextとか、Amazonプライムとか、動画配信サイトやレンタルDVDでいくらでも観られるのですが、その時には、その時の潮流があり、そのような作品が作られた動機やプロセスというものがあるのですよ。たとえば、ジョージ・ルーカスが黒澤明監督の作品に大いに影響を受けて、チャンバラ系のSFを制作したように。

旧三部作の『スターウォーズ』も、現代を生きる若者から観れば、何が、どう斬新なのか、今と何も変わらないように感じるかもしれませんが、あれほど一人一人のキャラクターが際立ち、なおかつ、特撮から小道具に至るまで、リアリティにこだわった、劇画チックなSFは存在しませんでした。

もちろん、それ以前に、チャールトン・ヘストン主演の『猿の惑星』やスタンリー・キューブリック監督の『2001年 宇宙の旅』など、空想科学の作品はいろいろ存在しましたが、『スターウォーズ』というのは、喩えるなら、「飛び出すコミック」という感じ。ダースベイダー、R2-D2、マスター・ヨーダなど、漫画誌がら抜け出たようなユニークな造形もさることながら、宇宙船の動きや爆発の演出、ライトセーバーといった小道具に至るまで、それまでのSF映画の概念を打ち破る、非常に画期的な作品だったのです。それ以前のSF映画は、どちらかというと、「未来的な絵(美術)で見せる」「設定でうならせる」という感じで、リアルなアクションや特異なキャラクターで観客を興奮させる作品はほとんど無かったからです。(着ぐるみみたいな宇宙人が出てきて、キャーキャー騒ぐ感じ)

それと同じく、『マトリックス』も「映像革命」と言われ、日本のアニメみたいなストップモーションの動きや、デジタル文字を取り入れた緑色スクリーンの演出など、非常に画期的でしたが(これは押井守の『攻殻機動隊』に対するリスペクトとも言われています)、一番重要なのは、マトリックスが公開された1999年頃から、PCおよびインターネットが急速に普及し始めた、という点ですね。

ちなみに、押井守の『攻殻機動隊』は1995年。Microsoftの『Windows95』のリリースに世界中が湧いた年です。

つまり、1995年から1999年というのは、まさにインターネット黎明期。

パソコンやインターネットがマニアックな層から一般人へと広がり、日々、拡張されるインターネットを通じて、世界中が大きな予感を感じた時代です。

AmazonやGoogleの創始者たちが、着々と準備を進めていた時代と考えれば、革命前夜の興奮が想像できるでしょう。(というか、その頃には、もう始まっていたのですが)

あの頃は、SNS中毒やネット詐欺、フェイクニュースといったネガティブな問題より、インターネットがもたらす経済的、社会的、精神的な変革に寄せる期待の方が大きく、これから起こりうるIT時代に向けて、世界中のユーザーがわくわくしていました。日本でいえば、『ネットサーフィン』とか『私のホームページにようこそ!』とか『キリ番』とかで盛り上がっていた頃です。

一方、インターネットの本質にいち早く気づき、広大なネットの海の中で、わたしたちは自身を見失い、生きることや考えることさえ、価値観の変容を余儀なくされるのではないか……と疑問を呈する有識者もいました。押井守の『攻殻機動隊』もその流れの中にある作品だと思います。

「電脳ハック」「記憶の書き替え」「ネットで生まれた知的生命体」、等々。

『攻殻機動隊』が示唆した、”IT社会における自我と生命の変容”というテーマはウォシャウスキー監督に受け継がれ、仮想現実を舞台に「自我とは何か」という一つのテーゼを示したのが映画『マトリックス』だと思います。

攻殻機動隊が人間を『記憶の集積』として描いたのとは対照的に、マトリックスは自我をも支配する『潜在意識』にフォーカスし、「You are a prisoner of your own mind. (君は、君の心の囚人)」と観客に訴えました。

「自分はボンクラだ。ビルなんて飛べるわけがない」と思い込んでいると、本当にビルから落ちてしまう。

つまり、人間というのは、「自分が思った通りの人間になる」のであって、ビルを飛び越える能力があるから、飛べるのではない。「自分にも飛べる」と信じるから、高いビルの間も飛べるようになるわけですね。

マトリックスにおいては、機械の作り出した『仮想現実』が人間の生き場所として描かれていましたが、機械の作り出したヴァーチャル空間でなくても、わたしたちが、わたしたちの思い込みによって、現実を形作っている部分はあると思います。

ある人にとっては、胸のすくような青空も、ある人にとっては、眩しいだけかもしれません。

ある人にとっては、楽しいお祭りも、ある人にとっては、うるさいだけの群集でしかないでしょう。

わたしたちが見るもの、聞くもの、触れるもの、全ては自己認識の世界であり、楽しいと思えば楽しいし、うるさいと思えばうるさいものでしかない。

それは誰が指図するものでもなく、決めるのは己自身。

己の心の持ち方が、世界の色も変えてしまうわけです。

そしてまた、ぼんくら社員のトーマス・アンダーソン、即ちネオが、自分の生きている世界(会社やボロアパート)を「本物」だと信じ込んできたように、わたしたちも、わたしたちの生きている世界を、時には疑わなければ、真実は見えてきません。マトリックスの場合、真実というのは、人間が生体電池としてカプセルの中で眠らされ、身も心も機械に支配されている、ということです。

これをわたしたちの生活に置き換えれば、今はITも充実して、便利だ、無料だと、いろんなサービスを日常的に使っていますが、実際は、GoogleやAmazonの提供するツールに振り回され、嗜好や人間関係や人生の決断まで支配されているのではないですか?

あなたは本を買う時も、レストランに行く時も、自分で考えているようで、本当は、IT企業や広告会社の言いなりになっているのではないか、と。

そう考えれば、マトリックスは、Google神に支配される世界を予見していたともいえるし、もう既に、わたしたちはネットで繋がれた生体電池というか、一握の企業を儲けさせるだけの道具になっているような気もします。電気の代わりに、個人情報を差し出してね。

そして、マトリックスというシステムがそうであるように、わたしたちも、思考、記憶、判断、好みや行動に至るまで、検索結果やレコメンド機能に左右され、自分自身が情報に支配されていることにも気付かないところまで来ているのではないでしょうか。

新シリーズの『マトリックス 4』がどんな話になるのか、私には想像もつきませんが、『マトリックス』の第一作目に関しては、ネットのネタバレ・レビューで満足するのでなく、上記のことを踏まえながら、一度、しっかり、自分の目で鑑賞することをおすすめします。

The Matrix [Blu-ray]
出演者  キアヌ・リーブス (出演), ローレンス・フィッシュバーン (出演), キャリー=アン・モス (出演), アンディ・ウォシャウスキー (監督), ラリー・ウォシャウスキー (監督)
監督  
定価  ¥973
中古 16点 & 新品  ¥973 から

『マトリックス』『マトリックス リローデッド』『マトリックス レボルーション』と三部作が作られましたが、マトリックスは第一作目だけ見ておけば十分。
二作目と三作目は、んー、まあ、アレだ。

[sitecard subtitle=第一作目のレビュー url=https://novella.works/matrix]

[sitecard subtitle=これも見逃せない url=https://novella.works/ghost-in-the-shell]

この記事を書いた人

石田 朋子のアバター 石田 朋子 サイト管理人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。

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